『フィガロの結婚』 野田秀樹演出 後半
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モーツァルト/歌劇『フィガロの結婚』 ~庭師は見た!~ 新演出
(全4幕・字幕付 原語&一部日本語上演)
東京芸術劇場コンサートホール 2015年10月22日、24日、25日
【指揮・総監督】井上道義  読売日本交響楽団 新国立劇場合唱団 
【演出】野田秀樹


 『フィガロの結婚』は、他のオペラに比べて、日本人キャストでも(歌は)見劣りしない傾向があるように思う。オケだって、ウィーンフィルなんかと比べなければ、美しく心に響く演奏をする。(こともあるような気がしないでもない)

 私は、一部のオペラを除いて、原語でなければ受け付けないというわけではない。特に『フィガロの結婚』においては、日本のアマチュアオケであろうと、外来引っ越し公演であろうと感動することにおいて差はほとんどないと感じている。二回ほど日本語のみの公演も聴いたが、それはとても良かった。レコードでも何組かあるし、ザルツブルグ音楽祭その他の、ドイツ語公演もすばらしいと思う。(実のところ、英語だとダメだと思うが)

 『フィガロの結婚』ぐらいになると、原語でもおおよその意味はわかるし、日本語で歌われても、日本語だということは半分ぐらいわかるが、意味は素直に入ってこない。音楽に無理に合わせるために、映画の字幕みたいに、不自然な言葉になっている。ドイツ語と同じようなもので、いつも聴いているのと音が違って新鮮味は感じる。

 このような超名曲の場合、舞台は見たって見なくったって、演奏だけでも感動する。ほとんど日本人だと、体型が子供っぽくて変だったり、ようするに舞台がうっとおしくて見ていられない可能性もある。かつて小林秀雄が、オペラを見に行ったって、俺は目をつぶってる、なんて書いていた。だからレコードの名演で十分なんだと、言いたかったのだろう。

 あらすじも音楽も分かっていない初心者や、普通の舞台に飽き飽きした何十回も見ている人には、あるいは興味深いのかもしれない。このように予防線を張っておかなければ、演奏はともかく、演出やルックスにガッカリすることが多い。モーツァルトの音楽を台無しにしていないだろうか。(他意はないが、宮本亜門もやってるしな)と、見る前には心配していたのだ。

 結果的に、最初に出た男声ケルビーノ。カウンターテナーのマルテン・エンゲルチェズのケルビーノは、男性的見かけはともかく、声としては興味深いお試しだ。伯爵夫人は、NHKのマッサンに出てた、シャーロット・ケイト・フォックスばっかり連想して見ていた。ほめているのだ。

 東京芸術劇場でのオペラ経験はとても良かった印象しかない。この劇場は比較的狭いので声がよく聞こえるし、舞台に近い席で聴くことができた。井上道義指揮の「トゥーランドット」とチョン・ミュン・フン指揮の「リゴレット第1幕」リハーサルである。レコードで聴くのとはまったく違う充実感。

 今回の、井上道義指揮のゆったりとしたテンポも、読売日本交響楽団 、新国立劇場合唱団もよかった。だからこの公演、生で体験した人は、感動に包まれたんじゃないかな。
「めでたし」


 おっと、スザ女は、バカ殿の優香姫そっくり。
 
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[2015/12/23 18:07] | フィガロの結婚 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『フィガロの結婚』 野田秀樹演出 前半
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アルマヴィーヴァ伯爵:ナターレ・デ・カロリス
伯爵夫人:テオドラ・ゲオルギュー
スザ女(スザンナ):小林沙羅
フィガ郎(フィガロ):大山大輔
ケルビーノ:マルテン・エンゲルチェズ
マルチェ里奈(マルチェリーナ):森山京子
バルト郎(ドン・バルトロ):妻屋秀和
走り男(バジリオ):牧川修一
狂っちゃ男(クルツィオ):三浦大喜
バルバ里奈(バルバリーナ):コロン・えりか
庭師アントニ男(アントニオ):廣川三憲


 黒船時代の長崎が舞台。今回は野田秀樹による大幅な読み替え演出のようだ。心配だ。特に、最初に野田と井上が出て言う。ケルビーノが女なのは変だと思っていた。ということは、男声でやるんだな、きっと。

 まず名前からして日本風に変えてある。アントニ男の語りで始るが、「フィガ郎」「スザ女」と表記してあるのを、セリフ部ではちゃんと「フィガろう」「スザおんな」と発音している。マルチェ里奈、バルト郎、アントニ男、走り男と、もう、ふざけている。画面に字幕で出てくると、最初は吹き出してしまう。

 歌唱は日本語と原語の折衷であるが、かなり入り組んでいる。一応、伯爵と夫人の外人歌手は原語。アリアも原語。レチタティーヴォを兼ねるアントニ男の語り部分や重唱やフィナーレなどは日本語が多い。

 第三幕の五重唱を例にとる。まずフィガ郎、マルチェ里奈とバルト郎が日本語で歌っていると、スザ女が原語で入ってくる。事態に驚いたスザ女は、日本語で重唱に加わる。アルマヴィーヴァ伯爵はずっと原語であるが「パードレ」というところを一回だけ「父だ」と言って、一部の気づいた人だけ笑った。(一幕で、あんたはいいのですよ。むりに日本語でなくても、という突っ込みも入れていた)最後は、全員原語に戻ってしめくくる。めちゃくちゃだ。不思議なことであるが、なんだか、楽しくなってきた。

 場面転換では、戦国時代の陣立てみたいに四人の槍持ちが、槍を交差させて前を塞いだりする。感動的な第二幕のフィナーレ後すぐに、舞台後ろから前に走り出てきた男がいる。なんて空気を読まんやつだ。巻いていた紙を広げて客席に見せる。裁判が結審したときに「勝訴!」なんて飛び出してくるやつだ。

 そこに書いてあったのは、「休憩」そして、槍を交差。
だから「つづく」のである。


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[2015/12/17 16:57] | フィガロの結婚 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『フィガロの結婚』 メータ フィレンツェ2003
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 演出はジョナサン・ミラー。たしかアバドがウィーン国立歌劇場で公演したときの演出家で、舞台装置は違うけれども、演出は似ているようだ。写実的な舞台装置であるために、実際に舞台で見るとそうでもないのだろうが、映像で見るとやや薄暗く汚れているように感じる。宮廷の使用人部屋であるから、みすぼらしいのも当然であるが、最近のザルツブルグなどの舞台装置と比べると貧相な感じがするのはいなめない。

 歌手もまた、どうしようもなく非力である。これがウィーンやザルツブルグとフィレンツェの格差なのだろうか。舞台装置だけではなく、歌手の見た目も平均年齢が高い。端役はそうでもないのだが、主役がいけない。バルトロやマルチェリーナはなかなかいいと思う。見かけがふさわしいのは、ケルビーノのマリーナ・コンパラートと伯爵夫人のエテーリ・クヴァザーヴァ。この二人はぴったりだ。これはめったにないことだ。クヴァザーヴァは、メータ指揮のライブ中継の「椿姫」で歌っていたが、今回はおとなしい。

 カラヤン盤に始った、第3幕の伯爵婦人アリアと六重唱の入れ替えがおこなわれているのと、第4幕マルチェリーナとバジリオのアリアがカットされている。残念なことであるが、実演ではこれが普通だろう。伯爵のルーチョ・ガッロは、おなじみだ。だが、10年前のスタジオ録音の方がよかった。立派な歌唱に驚いたのは、フィガロのジョルジョ・スーリアン。メータの指揮と相まって、第1幕の最後がこんなに気分が高揚したのは初めてだ。


ズービン・メータ指揮 ジョナサン・ミラー演出 フィレンツェ 2003年10月

伯爵:ルーチョ・ガッロ★
伯爵夫人:エテーリ・クヴァザーヴァ★
フィガロ:ジョルジョ・スーリアン★★
スザンナ:パトリツィア・チョーフィー
ケルビーノ:マリーナ・コンパラート★


 メータの演奏は、とても素晴らしい。スイトナーの演奏に似ていて、とりたてて何の変哲もなく、ごく普通に始るのだが、どういうわけか徐々に盛り上がって、フィナーレが終わると、感動に包まれる。ゆったり、繊細で、かゆいところに手が届く。食い足りないところはない。ベームの演奏に近い。かつてのワルター。フルトヴェングラー、クライバー、ベーム、カラヤン、スイトナー、クレンペラーなどの名演奏の後のものでは、もっとも優れた演奏ではないかと思う。つまり、アバドやムーティ、バレンボイム、レヴァインやアーノンクールの演奏よりもずっと良いということだ。


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[2015/08/16 18:59] | フィガロの結婚 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『フィガロの結婚』 レヴァイン90 HL
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☆このザルツブルグの魔笛はとてもよかったレヴァイン。


ジェームズ・レヴァイン指揮 メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団1990年

フィガロ:フェルッチョ・フルラネット
スザンナ:ドーン・アップショウ★★
伯爵夫人:キリ・テ・カナワ
アルマヴィーヴァ伯爵:トーマス・ハンプソン
ケルビーノ:アンネ・ゾフィー・フォン・オッター
バルトロ:ポール・プリシュカ★
マルチェリーナ:タチアナ・トロヤノス★

 もはやなかなか新しいレコードが手に入らない『フィガロの結婚』です。今回もハイライト版です。レヴァインはともかく、歌手が揃っているので聴いてみたいと思っていました。レシタティーヴォで使われるのがチェンバロではなくて、ピアノフォルテ(らしい)。ワルターかフルトヴェングラーの時代じゃあるまいし、と文句を言うほど悪くはないが、慣れるまで違和感は感じます。

 レヴァインの指揮が予想以上に気持ちいい。得意の「魔笛」の演奏を聴いているかのようだ。いつものように余計なクセや感情移入はないので、ショルティとベームの中間ぐらいのコクのある演奏だと思う。第4幕フィナーレも悪くない。

 ハイライト版でいうのも何だが、歌手の方は期待はずれだ。録音のせいかもしれない。アリアなどの歌声に、全般的に魅力を感じない。映像で見たことのあるキリ・テ・カナワは、映像はともかく、CDではショルティ盤など、そんなに悪くないはずだったが、なんだかあまりよくない。くぐもったような音質だ。フェルッチョ・フルラネット、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターも、どこといって悪くないのに、ぱっとしない。なんだか若さに欠ける。

 トーマス・ハンプソンはアルマヴィーヴァ伯爵にうってつけだと思っていたが、アリアに力強さがたりない。こんなはずじゃないと思うので、他に歌っているの期待したい。バルトロのポール・プリシュカは、とても重くて不足はない。マルチェリーナのタチアナ・トロヤノスは、残念ながらアリアが載っていないけれど、重唱で聴く限り全曲盤では最高かもしれない。

 この点、スザンナのドーン・アップショウも全体的には似たようなものだ。ハイティンク指揮のザルツブルグ公演で、とても魅力的なスザンナの映像を何度も見たので、スザンナにピッタリかと思っていたら、CDだとそうでもない。グリストやバトルに近い、要するにデスピーナみたいな声だ。ところがどっこい、第4幕アリアがすばらしい。このアリアは全曲中の要ですが、限界と思えるぐらい遅く丁寧に歌っています。テンポはおそらくレヴァインの指示なのでしょう。遅くてついて行けないという人もいるかと思いますが、私は感動しました。そしてアリアの最後で、他のどのレコードでも聴いたことのない高い声を出します。

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[2013/10/14 17:30] | フィガロの結婚 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
そこに人生のほんとう。




 先日、ドナルド・キーンさんの「わたしの好きなレコード」を読み直してみたら、オペラ好きのことが書いてあった。もとよりオペラについて書いてある本である。

 ちょっと盛って要約すると、なぜ源氏物語大好きな、こてこての日本文学者であるキーンさんが、よりにもよってオペラなんてものを好むのか、世の人々は理解できないらしい。オペラというと、あんなもの、なんで好きなんだという顔をされる。

 人間の好奇心は、バラエティのあるものを求める。こっちも好きだけど、全然関係のないあっちにも興味があるものだ。(ついでに、吉田秀和さんはすもうが好きだ。)

 そして、源氏物語のあの場面と、椿姫のこの場面は、同じ心情を表している。人間というものは、古今東西、どんな芸術であれ、変わらないものなんだよ。


 キーンさんはそう言うが、私も「オペラ」という言葉は出しにくい。
 どうも世の(音楽嫌いな人にはもちろん)クラシック愛好家にも、器楽に比べて、オペラは一段低くみられているようだ。ミュージカルとか歌舞伎に近いような雰囲気があるせいか、雑誌の月評や、人気ランキングでも常に終わりの方に置かれている。

 私の音楽がもてはやされるのは、、モーツァルトのピアノ協奏曲のような最高の音楽を人々が理解しないおかげです。と、ブラームスが言っていたそうだが、それとはちょっと違う。モーツァルトやベートーベンが、どれだけオペラに力を入れていたか。

 そんな私でも、バッハのゴールドベルク変奏曲やモーツァルトのピアノ曲に比べたら(こんなふうに限定するのもよくないが)、ほとんどのオペラが内容が薄いことを認めるにやぶさかではない。 ほんの一部以外、オペラもミュージカルも好きではない。どっちかって言うと、よっぽど慣れないと聞き苦しい。

 だからして、キーンさんもそのように見えるが、クラシック曲の中で大好きな一部の曲がオペラというジャンルに含まれているだけであって、他の器楽曲に比べれば、生演奏に接する機会が少ないために良さが伝わりにくい。 たまたま他の人よりも多く、たとえば『フィガロの結婚』などは8回も、接することができた。

 だから、そこに源氏物語と同じ、人間のもののあわれというもの、人生のほんとうを感じているのであります。
(って、あれ、絵はどういう関係があるのか?、さようならー。)

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[2012/10/02 18:04] | フィガロの結婚 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『フィガロの結婚』 エクサン・プロバンス音楽祭2012 第3・4幕
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 第3幕 結婚式のために飾られた大広間
 左が広めの社長室、右がオフィス。右側のガラスブース越しに書棚が見える。バルバリーナは、オフィスの受付嬢だった。

 伯爵のアリアを歌っている途中で、椅子を並べる数人が入ってきて作業。ただし歌っている方は、歌に専念しているのでいい。その次の伯爵夫人のアリアでは、その裁判所風にセッティングされた椅子にフィガロ、スザンナ他数人座り、伯爵は裁判長のように立っている。その人たちだけ時間が止まっているように静止している中、伯爵夫人はアリアを歌う。ドタバタしてなくていい。

 モウバリーとレイバーン説による、夫人のアリア位置前倒しをおこなっている。したがって伯爵夫人が歌ってから、六重唱。バルバリーナにピンを渡した後、伯爵は嫌がる彼女を思いきり抱きしめる、というか体に触りまくる。ここで第4幕に入る。

 第4幕 左右に一個ずつ小屋のある庭 
変な説明だが、小屋があるだけの舞台なので、今までと違って違和感がない。あのオフィス設定とは、何の関連があるのだろう。

 マルチェリーナは、英会話のマーシャ・クラッカワ先生に似ている。マルチェリーナとバジリオのアリアはカット。まあ、前半後半ともに、スザンナのアリア~フィナーレ部分がいいので、途中はなくてもかまわない。第4幕のスザンナのアリアがたっぷりとした見事な歌唱。最後の部分をこんなに伸ばすとは。

 最後の疑問。婦人と衣装を入れ替えたスザンナであるが、お腹を膨らませるためにクッションを入れている。途中でそれをスカートの下から出し、フィガロをたたいて、伯爵に見つかりそうになるとまたお腹に戻す。てことは、婦人のお腹のふくらみは、本物ではなくて、演出なのか?

 さらに、今までブラをしても小さめの胸だったスザンナが、夫人衣装の時はノーブラでひときわ小さい胸になっている。(夫人の胸は立派なのに)お腹は大きく、胸は小さく。意味がわからん。

 昨今の、見た目のそれほど良くない歌手の映像が多い中、外見上の不満は非常に少ない。みんな見苦しくない、その役にふさわしい容貌に感じる。どっちかって言うと、フィガロとスザンナが見劣りするが、そんなに悪くない。なんだかんだ言いながらも、それなりに楽しく終わるのであった。

こんばんはネトレプコの『ボエーム』があるぞ。たのしみだぞ。

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[2012/08/19 18:41] | フィガロの結婚 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
『フィガロの結婚』 エクサン・プロバンス音楽祭2012 第2幕
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 ケルビーノは、スーツ姿の新入社員といった雰囲気。ケイト・リンジーの見かけは、男の子っぽくてふさわしい。5重唱では見つかっておこられ、手錠で資料棚にくくりつけられる。その後の婚礼の合唱は、社員全員で社訓を読み上げているようだ。

 フィガロのアリア中、ケルビーノはからかいまくられ、ネクタイを引っ張り取られ、ベルトも取られる。ズボンを降ろされトランクス姿となり、スギちゃんでもあるまいに、そでを引きちぎられる。フィガロはボロボロのケルビーノに、自分の上着をかけてあげる。

 そこで気づいたが、幕ごとに場面の説明が付いていた。
第1幕 中央に大きな椅子を置いたがらんとした部屋
第2幕 アルコーヴ付きの立派な部屋
両方ともなにを言いたいのかわからない説明だ。

 よくあるように、休憩は2幕の後だけなので、第1幕が終わると、右側にあった壁(厚さ20cm)が、左に動いて新しい部屋が見える。回転舞台かと思ったら、手動で壁を動かしているようだ。

 当然、オフィスであるがロジーナの部屋である。ドレス、ミシン、衣装ハンガーなどがある。婚礼用のドレスの仮縫いなどをしているのだ。ケルビーノは、フィガロにボロボロにされたままの格好出てくる。が、スギちゃん袖の、引きちぎられ具合が違っているので、いちおう新しい衣装なのだろう。

 細々と書いてきましたが、歌手が大事なアリアを歌っている最中に、なんやかやと作業をさせたり、変な姿勢で絡ませたりという演出は好きじゃない。音楽優先にしてもらいたい。パンツを広げたり、ブラを投げつけたりしていては、音楽の感動も薄れるというもの。そろそろバカバカしくなって、舞台の説明は省略しようかなーと思った。

 ここまでは、演出が気になって音楽が良くなかったのだ。ところがどっこい、スザンナのアリア。このアリアは、そもそもがケルビーノに女装をさせるドタバタ劇中歌なので、こんな演出でも違和感がない。ここから音楽に集中できたのだ。

 ロジーナ婦人は、下着姿になると、妊娠しているらしくお腹が出ている。(たぶんそうなのだろうが、そうでなかったらごめんなさい)。庭師のアントニオは、ビヤ樽のようにお腹が張っているが、これが普通の体型なのだろう。
 
 フィナーレの最後、部屋の壁がバラバラに分割される。やっぱり手動なのだ。ここで、フィガロとバルトロは殴り合い。スザンナとマルチェリーナながーいブーケの綱引き。やっぱり大げさなドタバタだ。ただ、この後半に来てやっと、音楽が楽しめるようになった。ガーディナーのような快速演奏だ。

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[2012/08/16 21:04] | フィガロの結婚 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
『フィガロの結婚』 エクサン・プロバンス音楽祭2012 第1幕
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 昨年は、『影のない女』の放映で、旅から戻ってきた。ことしもうれしいことに『フィガロの結婚』を放映してくれるので、オリンピックはともかく、BSに向かうのである。来週は、『ボエーム』があるし、今年のバイロイト放送は『パルジファル』。おめでた続きだ。

 エクサン・プロバンス大司教館中庭というところは、これまた昨年、ナタリー・デセイの「椿姫」で見たところ。回りを壁で取り囲まれてはいるが、一応野外のようで、空がうっすらと明るい。客席もぼんやり明るい。見たところ、舞台装置が、昨年の『影のない女』のように現代ビジネス現場のようで、ガッカリ観満載なのであるが、どうであろうか。心配だ。


ジェレミー・ロレール指揮 ル・セルクル・ドゥ・ラルモニ  ブリュネル演出
合唱:レザール・フロリサン 2012年7月12日、エクサン・プロバンス大司教館中庭

(前半)0:00:00~1:34:30 (後半)1:36:00~2:56:30

 アルマヴィーヴァ伯爵==パウロ・ショット
 伯爵夫人========マリン・ビストレム
 フィガロ========カイル・ケテルセン
 スザンナ========パトリシア・プティボン
 ケルビーノ=======ケイト・リンジー
 マルチェリーナ=====アンナ・マリア・パンザレラ
 バルトロ========マリオ・ルーペリ
 ドン・バジーリオ====ジョン・グレイアム・ホール
ドン・クルチオ(裁判官):エマヌエーレ・ジャンニーノ
アントニオ(庭師):ルネ・シレール
 バルバリーナ(庭師の娘):マリ・エリクスメン


 第1幕 とある会社の資料図書室

 右壁に4mほどもある書庫。中央にフィガロのオフィス。その右に同じく鉄骨枠だけの4m資料棚。奥にガラスばりの別のオフィスと数人の会社員が働いたり、こっちを見たりしている。右手前にソファーがある。極めて目障りの悪い舞台装置だ。

 フィガロもスザンナも秘書?。おそらく伯爵は社長なのだろう。当然他のメンバーもサラリーマン風体である。右手前のソファー部分だけ2人の部屋。スザンナは頭から白い布を、ブーケを、平安ひきずり女のように長く延ばして動き回る。

 スザンナの髪型が、いつものプティボン風で、黒柳徹子の小タマネギか、大仏頭か、要するに結んだ頭頂部が2段になって見える。なんとなく変だと思うぞ。

 部屋に明確なしきりはなくて、2人でいるときでも、ガラスの向こうから誰か見ていたり、部屋の隅に誰かいたり、通りすぎたりする。3曲目のフィガロのカヴァティーナ途中、仕事をするしぐさのフィガロの後ろで、ガラス越しに、バルバリーナをくどいている伯爵のようすが見える。

 続くバルトロのアリアでは、どういうわけかマルチェリーナがブーケをかぶって横にいる。バルトロは資料をコピー機に乗せたりと、やはり作業をしながら歌う。その後、ハシゴに登って資料を捜しているマルチェリーナの、そのハシゴに、下着やブラやパンツをたくさん掛けた洋服かけを押して出てきたスザンナが、おもいきりぶつける。

 まだ付けていたマルチェリーナのブーケの裾を踏んづけたり、ブラを投げたり、パンツを引っ張って伸ばしたり、もうめちゃくちゃです。その様子を、となりのブースから喜んで眺めている同僚もいます。

 主要以外の登場人物は、レザール・フロリサンのメンバーのような気がします。それにしても、歌と演奏がいいのかどうか、さっぱりわかりませんなー。



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[2012/08/13 20:04] | フィガロの結婚 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『フィガロの結婚』 カラヤン ウィーン1978Decca その2
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 このカラヤン盤でいちばん気になる配役は、スザンナがイレアナ・コトルバスであることだ。先日紹介した、下記の本でも、ルチア・ポップがカラヤンに可愛がられていたことは間違いない。コトルバスは、どちらかというと好きな歌手だし、この盤では、ポップに極めて近い歌い方をしている。

 3年後のショルティ盤では、ポップが見事に歌っているし、プロデューサーも同じなのに、なぜコトルバスなのか。EMIのカラヤン、シュワルツコップのバラの騎士では、ゼーフリートとシュトライヒが歌う予定であったが、出産などのトラブルで他の歌手となる。2年後のベームの盤に、この2人が起用された、というようなことが、ポップにもあったのだろうか。ベームとショルティの映像でも歌っているのに。

 ルチア・ポップのアリア集では、この盤と同じトム・クラウゼの伯爵との2重唱がある。伯爵との声の絡みが絶妙だ。単独のアリアでももちろん、ポップがいい。ベームの指揮では最高だが、たとえショルティの指揮であっても。

 1964年以来決別していたウィーン国立歌劇場にカラヤンが戻ってきたときの演目のひとつが『フィガロの結婚』でした。それに合わせてレコーディング計画が立てられたのでしょう。下の話は、戻ってきたときではなくて、以前の話。


 とかく帝王然とした悪い話ばかり伝えられるカラヤンですが、オペラ座の現場での心配りには暖かいものがあったようです。そのほか、ベームが鬼のような「地獄耳」という話もおもしろかったですが、東洋人として始めてウィーン国立歌劇場の団員となった、旧姓:高島一恵さんの本よりカラヤンについて。
『ウィーンわが夢の町 アンネット・カズエ・ストゥルナート』より


 すると、突然カラヤンの怒声が、メガホン越しに響いてきた。
「おいー・そこの青い衣裳を着た人! さっきから食べてばかりいるが、あなたは通行人(エキストラ)か?歌手か?」

 最初は、私のことだと思わなかった。だが、周囲がサッと私を避けたので、スポットライトを浴びたように、私一人が舞台の中央に立つことになってしまった。
 普段から、私に冷たくあたっている団員たちは、明らかに、私が何か失敗をして、カラヤンに叱られるのを期待している視線だった。

 カラヤンが、ステージ上に登ってきた。
 ああ、どうしよう……怒られるのだろうか。この公演から下ろされるのだろうか。カラヤンからクビを宣告されたら、ほかの劇場でも、仕事ができなくなるのではないだろうか……。
 カラヤンは、ツカツカと、私に向かって来た。どうやら、イライラしている様子だ。 周囲の人たちは、さらに道を空けるようにして、私とカラヤンだけが、ステージ上で対峙する形になった。 私は、顔を下げたまま、上げられなかった。

「いったい、君は、さっきから……」
 と言いかけたカラヤンが、その先の言葉を失っていた。
 私を覗き込むように、じっと見ている。仕方がないので、私は、ゆっくり顔を上げた。
「君は……?」 カラヤンは、驚いているようだった。         
「君は、どこの国から来たんだ?」

 私の顔を間近で見て、ヨーロッパ人でないことに気づいたようだった。私は、ゆっくりと話した。
「私、日本から一人で来ました……。歌手になりたくて……。七一年から、ウィーン・オペラ座の団員をつとめています……。実は、私、いま、妊娠中で……。つわりがひどくて、お腹が空いて我慢できなくて……。申し訳ありませんでした……」
 正直に話して、頭を下げた。そして、私は覚悟を決めた。

 多分、東洋人では、このプッチーニのオペラは無理だと言われるのだろう。いくらメイクをしたって、東洋人であることは完全には隠せない。一九世紀のパリのカルチェ・ラタンに、東洋人の女性がいることなど、ありえないのだ。

 ところがカラヤンは、私の顔を見ながら、意外な言葉を眩いた。
「そうか……。日本から……。よく、あんな遠い所から一人でやってきたね」
 そう言ってカラヤンは、私を抱きしめてくれた。
 そして、周囲にいる歌手たちに、大声で言った。
「みんな、聞いてくれ」
 その声に、下がっていた歌手たちが、いっせいにカラヤンの周囲に寄ってきた。

「この娘は、東洋の果ての、日本という固から一人でやってきた。私は、日本へは何度も公演で行っているから、どんなに遠い所か、よく知っている。寂しい思いをしているに違いない。どうかみんな、これから、彼女の支えになってあげてほしい」

 足が震えた。
 立っていられなかった。
 私は、カラヤンの前で、膝をついてしまい、その場で号泣した。涙が止まらなかった。メイクが落ちるのも忘れていた。

 私の苦悩を分ってくれる人がいた。
たったひと目で、私の苦悩を見抜いてくれる人がいた。
しかも、それが、世界最高の指揮者カラヤンだった。

 翌日から、四年間に及んだ私に対するいじめも人種差別も、すべてピタリと止まってしまった。

 カラヤンとは、その後も仕事で一緒になる機会が何度もあった。あの日以来、私を覚えていてくださって、よく話すようになった。
 お腹が大きくなってくると、「もし女の子だったら、僕が名づけ親になつてあげよう」とまで言ってくださった。私には娘が二人いるが、二人とも、ミドル・ネームは、カラヤンの命名である。


ウィーンわが夢の町

新版 巨匠たちの音、巨匠たちの姿 (1950年代・欧米コンサート風景)


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[2012/04/02 20:09] | フィガロの結婚 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『フィガロの結婚』 カラヤン ウィーン1978Decca その1
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 1950年頃のカラヤン&ウィーン・フィルは、熱くとても速い、疾風怒濤の演奏が多い。といっても聴いているのは、『フィガロの結婚』『魔笛』、交響曲40・41番くらいだけれど。したがって、『フィガロの結婚』序曲も、すごく速い。こんなに速いのは、他に知らない。

 などと書いていたら、昨年聴いたスイトナー盤の方が速さだけで言ったら、速いことに気づいた。ただあれは、手放しで名盤とは言い切れない出来なので却下。その後のカラヤンは、もちろん大家の風格、なんだかんだ言っても、フルトヴェングラー、ベームの演奏に、やっぱり近い正統派になっていったように思います。(ワルターはまた別格)

 そこでこのカラヤンの最録音。デッカでの最後の録音になったようですが、後のショルティ盤のような録音の良さは特に感じません。デッカは有名な1955年のクライバー盤、3年後の58年のラインスドルフ盤(どちらもウィーンフィル)以降20年間、『フィガロの結婚』から遠ざかっており、1978年になって久々にカラヤン盤をレコーディングしたと思ったら、またまた、たったの3年後、81年にショルティもレコーディングするという計画性のないことをしている。

 全曲盤LPも、それからCDに焼いたのも持ってはいるのだが、今回聴いたのはハイライトCD盤である。全曲を聴くと、旧盤やベーム盤と違って、一部テンポのしっくりしない部分も感じることがあった。しかしハイライト盤で聴くと、もちろん一部歌唱に不足はあるが、これは完全に名盤である。


 それでこの再録音、とてもこの時期のカラヤンとは思えない、1950年に戻ったかのような熱い序曲で始まる。交響曲の演奏などとは大違いの、規範とすべきすばらしい演奏だと思う。ベームの演奏も素晴らしいのだが、冷静すぎて熱気が足りないようなところがある。

 そして驚くべきは、終始カラヤン30年前の名盤とほとんどかわらない熱気と緩急混ざったスピードで最後まで押し通していることだ。晩年のヴェルディに顕著に表れる、重厚で堂々たるカラヤンのオペラ録音とは違っている。

 歌手は、当然ながら、以前の歌手に比べれば小粒である。全体の演奏も旧盤に近いが、特にアルマヴィーヴァ伯爵夫人、ロジーナを歌うアンナ・トモワ=シントウが、シュワルツコップの若き頃の歌唱に非常に似ている。

 アンナ・トモワ=シントウは、カラヤン、ベームの両巨匠で歌っているドンナ・アンナが素晴らしいが、他は特に思い当たらない歌手だ。アラベラやバラの騎士、カプリッチョなどのR・シュトラウスをよく歌っているような気がするけど。重唱やレシタティーヴォでは、気品が足りないような気がするが、2つのアリアはシュワルツコップが録音し直したみたいだから、イイのである。

 ここでいうシュワルツコップの歌唱とは、カラヤン1950年、オペラアリア集1952年、フルトヴェングラー1954年ライブでの彼女の歌唱のことです。もちろんカラヤンの指示だろうけれど、それに似ているだけでもスゴイこと。
ヤノヴィッツには、もちろんかなわないけど。




『フィガロの結婚』 カラヤン ウィーン1978Decca
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン国立歌劇場合唱団

フィガロ:ヨセ・ヴァン・ダム
スザンナ:イレアナ・コトルバス
アルマヴィーヴァ伯爵:トム・クラウゼ
アルマヴィーヴァ伯爵夫人:アンナ・トモワ=シントウ
ケルビーノ:フレデリカ・フォン・シュターデ


モーツァルト:フィガロの結婚 ハイライツ
モーツァルト : 歌劇「フィガロの結婚」1978
モーツァルト:「フィガロの結婚1950


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[2012/03/27 19:03] | フィガロの結婚 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『フィガロの結婚』 ゼッダ指揮 藤原歌劇団公演
藤原1203s



 行ってきました、『フィガロの結婚』。昨年の新国に続いてですけど、新国のは十数年ぶりでした。『フィガロの結婚』を見るのは、9回目ですけど、つまり、ここのところ、めったにないことだったのです。震災以来、観劇が減ったこともあり。

 格安航空券のはびこる今日、格安チケットが買えたので決めました。当然、東京文化会館の5階の2列目です。通常、5階の時は、1列目にするのですが、2列目だったんです。運良く、左右と1列目に空きがありました。その点、息苦しさはありません。

 しかし、この前に座るカップルが、よく動くのです。ご承知の通り、5階ともなると、舞台との高低差もそうとうあり、1列目の人がどう頑張っても、舞台に被さるのです。それも1人の頭で、画面上の上から下まで隠れます。したがって頭の左右から見るしかありません。

 それでも動かなければいいのですが、カップルなものだから、お喋りのように顔を近づけたりもどったり、舞台が3分割されて見えていました。2列目の特権で、後ろがいないから、思いっきり背伸びして見ていました。ああ、疲れた。

 第1幕開演前に、楽器の修理が必要とかで、15分ぐらい遅れて始まりました。そのちょっとした待ち時間の間に、バームクーヘンを食べ始めたら、苦しい。急がなくても良かったんだけど、いつ始まるか分からないと、気が気じゃなくて、飲み込めなくて、冷や汗ものでした。(そんなもの食べるな!)


アルベルト・ゼッダ指揮東京 東京フィルハーモニー交響楽団 藤原歌劇団合唱部
マルコ・ガンディーニ演出 2012年3月4日(日) 14時 東京文化会館

アルマヴィーヴァ伯爵:谷友博
伯爵夫人:清水知子
フィガロ:上田誠司
スザンナ:納富景子
ケルビーノ:松浦麗
マルチェリーナ:二渡加津子
バルトロ:田中大揮
バジリオ:小宮一浩


 さて、この5階は、声がよく聞こえます。スザンナが、レリ・グリストかキャスリーン・バトルかといった声で、良かったです。おそらく、ツェルリーナの方が、合っているでしょう。

 幕が開いた、舞台装置にはビックリしました。壁の禿げた、だだっ広い倉庫の中を、壁で仕切っただけ。そして、左右の前壁が別々に降りてきて、舞台上を隠しているときに、テーブルやベッドなどの小道具を取り替えていました。もうちょっとロココ調が好きですね。なにしろ、舞台上が見えずらいので、歌手の演技がわかりません。

 まあ、よくあるように、第4幕のマルチェリーナとバジリオのアリアはカットされていました。ハイライト盤を聴いているようで、残念です。全曲やってほしいです。

 かねてから(ウソです)、アルベルト・ゼッダの指揮は、聴いてみたいと思っていました。最初は、オケの人数が少ないぞ、響きが薄いぞ、と思っていたのですが、どんどん良くなっていったような気がします。

 テンポは速めで軽快。もっとゆったりしてもイイのにと思ったり、間がなくて次の音がすぐに始まったりと、ちょっとした違和感は感じたのですが、だんだん感動に包まれてきて、そんなことどうでもよくなりました。

 ゼッダの指揮では、一昨年の「タンクレーディ」を聴き逃したわけで、初めてだったのです。このフィガロも、やっぱりロッシーニっぽいのでしょうか?

 大河ドラマの「平清盛」を見てるので、「藤原」という名前に良い印象はない。しかし…
 手前のカップル以外には、(自分が一人だからといって、ヤキモチを焼いているわけではないぞ、)
完全に満足した、藤原歌劇団の『フィガロの結婚』でした。

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[2012/03/05 17:32] | フィガロの結婚 | トラックバック(0) | コメント(1) | page top
『フィガロの結婚』 カラヤン ウィーン1950EMI
kara50LPs.jpg

☆『フィガロの結婚』カラヤン1950 西独盤LP(なぜかドイツ語?)


 そろそろ、ほんとうの名盤を聴きたくなった。
『フィガロの結婚』はたくさん採り上げてきましたが、以前から聞いていた名盤は避けて、比較的新しいのが多かったのです(当社比)。そこでLPも持っている決定版「カラヤン旧盤」をあらためて聴いてみました。

 しかし、今となっては、他盤に比べ、音質が劣ります。どれくらい悪いかというと、フルトヴェングラーのスタジオ録音「トリスタン」「ワルキューレ」に劣るのはもちろん、あの「ニーベルングの指輪・ローマ歌劇場」よりも、さらにちょっとだけ悪いような気がします。

 この当時ではしょうがないものの、レチタティーヴォ・セッコが省かれている点も、ちょっとした息抜きがなくて圧迫感を受ける。しかし、不思議なことに、オケとのバランスの問題か、ステレオ初期の、クライバー盤やジュリーニ盤などよりも、歌手の声がハッキリ聞こえる。より生々しい歌声に感じるという、いいところもある。CDの1枚目に、1・2幕がキッチリ入っているのも良い。

 プロデューサーはウォルター・レッグ。「魔笛」ともども、フルトヴェングラーがザルツブルグ音楽祭で上演したのとほとんど同じ配役をカラヤンで録音したので、2人の関係が悪化したようです。フルトヴェングラーの54年ライブも良い演奏で、シュヴァルツコップを始め、スタジオ録音にはない名唱を聴くことが出来ます。ただし、ドイツ語ですが。

 カラヤン42歳、初のオペラ全曲録音でした。そしてこのレコードは、カラヤンとか『フィガロの結婚』ではなくて、LPでの国内初のオペラ全曲盤でした。この録音が上手くいったので、同年12月に「魔笛」もレコーディングされました。

 若きカラヤンの序曲から、熱気と勢いありあまる演奏は、55年録音の「こうもり」を思い出させる。シュヴァルツコップ、ゼーフリート、クンツも、この頃が最高。そしてユリナッチのケルビーノ。



ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団  ウォルター・レッグD、ロバート・ベケットRE
1950年6月17-21日、10月23-27 & 31 ウィーン、ムジークフェラインザール EMI

フィガロ:エーリヒ・クンツ
スザンナ:イルムガルト・ゼーフリート
アルマヴィーヴァ伯爵:ジョージ・ロンドン
アルマヴィーヴァ伯爵夫人:エリーザベト・シュヴァルツコップ
ケルビーノ:セーナ・ユリナッチ
バルトロ:マリアン・ルス
マルチェリーナ:エリーザベト・ヘンゲン
ドン・バジリオ/ドン・クルツィオ:エーリヒ・マイクート
バルバリーナ:ローズル・シュヴァイガー
アントニオ:ヴィルヘルム・フェルデン
二人の少女:アニー・フェルバーマイヤー、ヒルデ・チェスカ
 


  


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[2011/10/17 22:04] | フィガロの結婚 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『フィガロの結婚』 スウィトナー指揮1964 後編
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 4月に前編を書いてましたが、その続きです。その間、ベーム、ジュリーニ、アバドのレコードも聴き直しました。前回のままですと、かなりの名演と誤解され(てもいいのだが)てはいけないと思い、よくないところも書きましょう。

 その前に、この3枚組CDは、納め方がちょっと他と違う。他では見たことがない。1枚目が1幕のみとか、3枚目が4幕のみ、というのもあるが、たいていは4幕あるものを3枚に納めるのだから、時間的に3分割するのが多い。つまり第2幕と第3幕の途中でCDが切り替わるのだ。

 CD2枚組に入れている場合、まれに古い、カットの多い録音だと、1枚目に第1幕・第2幕全部入っている場合がある。ジュリーニ盤なんか最悪で、第2幕フィナーレの最後の部分、全曲中でも一番いいところで、切り替えになる。

 このオペラの要である第2幕をちゃんと続けて聴きたい。そこで、元のCDの2幕部分だけをCD-Rにコピーして、1枚で聴けるようにしたこともある。ベームの「ジークフリート」なんてのも、CD4枚組であるが、CD-Rにコピーすれば、1幕づつ1枚に入るので、気持ちがいい。こんなのは最初から3枚組で出すべきだと思うが。

 というわけで本CDは、1枚目が1幕のみ、2枚目が2幕のみという、幕の途中で切り替える必要のない、素晴らしい構成になっている。3枚目に3幕と4幕が入っているが、これで何の不都合があろうか。

 結局、これも良いところでした。


 さて、問題点は、一見オールスター。定評のある、馴染みのあるモーツァルト歌手が揃っているところにある。

 プライ、ギューデン、ベリー、ローテンベルガー、マティス、ブルマイスター、シュライアー(バルトロのオルレンドルフだけ聞いたことがないが)とまあ、近場のジュリーニ盤やベーム盤と競合しなくて、ドイツ語で歌える歌手をこれだけ揃えるのは、本当に奇跡のような配役とも思えるのだが…。

 これから先は、なんだか、言うまでもないような気がしてきた。


『DIE HOCHZEIT DES FIGARO』
オトマール・スウィトナー指揮シュターツカペレ・ドレスデン1964年、ルカ教会

 アルマヴィーヴァ伯爵==ヘルマン・プライ
 伯爵夫人========ヒルデ・ギューデン
 フィガロ========ワルター・ベリー
 スザンナ========アンネリーゼ・ローテンベルガー
 ケルビーノ=======エディット・マティス
 マルチェリーナ=====アンネリース・ブルマイスター
 バルトロ========フリッツ・オルレンドルフ
 ドン・バジーリオ====ペーター・シュライアー


 「オケの素晴らしさ」に反し、他盤に比べて「歌唱が弱い」のはもちろんなのだが、そうではなくて、心情的に納得できないのだ。

 ローテンベルガーは、パミーナしか聴いた覚えがありませんが、スザンナで過不足ありません。その他女声2人、ヒルデ・ギューデンもエディット・マティスもどちらかというと、いや、絶対にスザンナの方でなじみがある。

 ワルター・ベリーがフィガロなのは、これもベーム盤などで聴いたことがあるし、適役だと思う。そしてプライもベーム盤などで…。プライはフィガロでなくては!。ベームの名盤だけではなくて、アバドのセビリャでも「フィガロと言えばヘルマン・プライ」。「スザンナと言えばルチア・ポップ」。もはや格言にしたいくらいだ。

 つまり、フィガロが2人、スザンナが3人の劇のようであり、
 声の違い、いやっ、違わなさを気にしないで聴けば最高の演奏であります。

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[2011/07/17 16:12] | フィガロの結婚 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
愛の神よ、安らぎを与えたまえ Gundula Janowitz
ヤノヴィッツ



 「グンドゥラ・ヤノヴィッツ オペラ・アリア集」というのがあったので、借りてきた。てっきり、ベームの指揮で収録したものかと思っていたので、拍子抜けした。すべて聴いたことのある音源だった。

 私は、レコードもあまり集めないし、レパートリーも狭くしているので「オペラ・アリア集」などというものを聴くと、知らない曲とか、聴いたことのない音源であることが多い。《ローエングリン》と《カプリッチョ》こそ、恐らく、一度しか聴いていないが、あとはお馴染みのレコードだ。

 お馴染みの歌手というと、当然モーツァルト、ヤノヴィッツ、ポップ、プライ、シュライアーというのが一番に思いつく。ポップなんて、同時代にコトルバス、マティス、ドナートなど、似たようなレパートリーのライバルがやたらといるが、ヤノヴィッツはそうではない。

 ワーグナー以外のドイツオペラ界のマリア・カラスみたいな、シュワルツコップ亡き後(60年代に入ると、という意味)それを受け継ぐ、孤軍奮闘、ただ一人の存在だ。彼女をよく起用したベームとカラヤンよりも、ずっとかけがえのない歌手ではないか。カラヤンはその後、アンナ・トモワ=シントウをよく起用するようになるけど。

 ああ、それなのに意外とレコーディングの数が少ない。馴染みがあるだけに、やたらとたくさんあるのかと思っていたが、少ないのだ。ただし超一流の指揮者の名盤が多い。ベーム、カラヤン、バーンスタイン、クーベリック、リヒター、ケンペ、クレンペラーの名盤になくてはならない。マルシャリンやドンナ・アンナの録音がないのは、不可解だが。

 先に上げた、お馴染みの4人の歌手。ポップは3回、プライとシュライアーはたぶん2回づつ、実演で聴いたことがある。ところが、年代的なものもあって、ヤノヴィッツは実演に接したことがない。80年と85年の、ウイーン国立歌劇場の来日公演は高いのだ。

 このCDに入っていないのでは、「こうもり」のロザリンデ、「魔法の笛」のパミーナが忘れられない。入っている、ほとんどの曲は、シュワルツコップをも凌駕する、最高の歌唱だと思う。しかし、全曲盤で聴いてください。



1. 歌劇《フィガロの結婚》から 愛の神よ、安らぎを与えたまえ
2. 歌劇《フィガロの結婚》から スザンナは来ないかしら‐楽しい思い出はどこへ
ベーム ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団

3. 歌劇《コジ・ファン・トゥッテ》から 岩のように動かずに
4. 歌劇《コジ・ファン・トゥッテ》から 恋人よ許してください
ベーム ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

5. 歌劇《フィデリオ》から 悪者よ、どこへ急ぐのだ‐来れ、希望よ
バーンスタイン ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

6. 歌劇《魔弾の射手》から まどろみが近寄るように‐静かに、清らかに
7. 歌劇《魔弾の射手》から 黒雲が日を隠しても
クライバー ドレスデン国立管弦楽団

8. 歌劇《ローエングリン》から 寂しい日々に神に祈った[エルザの夢]
    クーベリック バイエルン放送交響楽団

9. 楽劇《ヴァルキューレ》から 一族の男たちが
10. 楽劇《ヴァルキューレ》から 君こそは春
    カラヤン ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

11. 歌劇《カプリッチョ》から ほかに私の胸に報いるものはない
      ‐ふたりの愛が私をめがけて羽ばたく
    ベーム バイエルン放送交響楽団



  




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[2011/06/29 19:21] | フィガロの結婚 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『フィガロの結婚』 スウィトナー指揮1964 前編
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 さて、先日、「フェルメールとフランドル絵画展 Bunkamura」のついでに安価に買ってきたスウィトナー指揮の『フィガロの結婚』3枚組である。申し訳ないぐらいの、たしか、たったの¥1260だった。

 スウィトナーという指揮者は、私が実演で聴いた中では、間違いなく最高の指揮者でした。しかしレコード製品となったモノには、その片鱗が感じられません。サヴァリッシュもそうですが、他の指揮者に比べて、個性が弱いように感じられます。つまり、買わなくてもいいかな、と思わせる演奏が多いのです。(だから多くは聴いていませんが…)

 スウィトナーでは、「魔法の笛」同じく1968ドレスデン盤を愛聴しています。まあ、他にはあまり聴いていないわけです。彼はモーツァルトの4大オペラを録音していますが、1961年に「後宮」、64年に「フィガロ」、68年に「魔法の笛」。以上ドレスデンで。その後、1970年に「コジ」ベルリンで、これはイタリア語。

 ドレスデンの3つがドイツ語(二つはもともとドイツ語でいいんだけど)。その後の「コジ」だけイタリア語。長らくベルリン国立歌劇場で活躍していたから、なぜドレスデンとこんなにレコーディングしているのか不思議だった。


『フィガロの結婚』のドイツ語盤というと、
いちばん最初に買った全曲盤である、フルトヴェングラーのザルツブルグライブ54、『FIGAROS HOCHZEIT』 ハイライト ライトナー指揮BPO61。
『DIE HOCHZEIT DES FIGARO』ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮とゲーツァ・オーバーフランク指揮のDVD。などを採り上げました。

 『フィガロの結婚』ドイツ語版は、どれを聴いても、ドイツ語の言葉が違っているように聞こえる。「魔笛」のように定番の台本があって、どこかをカットしているとかいう問題ではなくて、全く違ったセリフになっている部分もある。イタリア語からの訳では、演出家や指揮者が、そのたびに変えたりしていたのではないのだろうか。
というのも以前書きましたが、ここでは指揮の流れがひときわスムーズなせいか、ドイツ語の硬さをそれほど感じません。

 この『フィガロの結婚』CDも、きっとジュリーニ盤のような、きっちり標準的な演奏をしているのだろうと予想していました。序曲をかけたとたん、うんっ?フィガロか?と思うぐらいの快速です。最近、古楽器で「魔法の笛」などを演奏するときありがちな、めちゃくちゃ速い演奏です。

 これは、古ーいワルターのライブや、1950年録音のカラヤン・ウィーン盤の速くて颯爽とした、かつコクのある演奏を、真新しく録音し直したような名演です。


オトマール・スウィトナー指揮シュターツカペレ・ドレスデン1964年、ルカ教会

 アルマヴィーヴァ伯爵==ヘルマン・プライ
 伯爵夫人========ヒルデ・ギューデン
 フィガロ========ワルター・ベリー
 スザンナ========アンネリーゼ・ローテンベルガー
 ケルビーノ=======エディット・マティス
 マルチェリーナ=====アンネリース・ブルマイスター
 バルトロ========フリッツ・オルレンドルフ
 ドン・バジーリオ====ペーター・シュライアー


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[2011/04/24 19:21] | フィガロの結婚 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
なぜだか悪くない!? 新国立劇場『フィガロの結婚』再演
新国2010



 この新国での『フィガロの結婚』、たしか3回目か4回目かの再演。今頃になってやっと見に行くオペラ好きは、あまりいないのではないでしょうか。それというのも、ちょっと珍しい席(それほどでもないが)、いまや4階でも少なくなった「D席=¥3150」最安席の、さらに少ない3階の席が手に入ったものでして。

 3階でD席では、そうとうに音の悪い席かと思いきや、「アラベラ」の時の4階D席よりも、舞台に近い分だけよかった。4階D席も、前に人が大勢重なって見えるひどい席だ。この3階で何が悪いかというと、4階左右部分の席の裏側が、視覚上、舞台のすぐ上に見えてしまう。つまり舞台の半分ぐらいは、下は人の頭、上は4階床裏に挟まれた状態で、かなり目障りに見えてしまうのだ。

 さて、『フィガロの結婚』の実演ですが、最も見た回数の多いオペラでありながら、ほんとに久々、20年ぶりぐらいです。と書いて調べてみたら、1992年、バイエルン国立歌劇場来日公演、サヴァリッシュ、ヴァイクル、ポップ、その他の素晴らしい配役の凡庸な公演以来でした。この公演で、もう『フィガロの結婚』なんて見ないと思ったのでしょう。


2010年10月19日[火曜日] 18:30開演新国立劇場 オペラパレス

* 指揮 : ミヒャエル・ギュットラー
アルマヴィーヴァ伯爵 : ロレンツォ・レガッツォ
伯爵夫人 : ミルト・パパタナシュ
フィガロ : アレクサンダー・ヴィノグラードフ
スザンナ : エレナ・ゴルシュノヴァ★
ケルビーノ : ミヒャエラ・ゼーリンガー
マルチェッリーナ : 森山 京子
バルトロ : 佐藤 泰弘
バジリオ : 大野 光彦
ドン・クルツィオ : 加茂下 稔
アントーニオ : 志村 文彦
バルバリーナ : 九嶋 香奈枝
合唱 : 新国立劇場合唱団

演出 : アンドレアス・ホモキ
美術 : フランク・フィリップ・シュレスマン
衣裳 : メヒトヒルト・ザイペル
照明 : フランク・エヴァン
* 管弦楽 : 東京フィルハーモニー交響楽団


 再演に次ぐ、再演のせいか、名前を見ると、歌手も指揮者もレベルダウンしているような気がします。演出も、前回2007年の時からすでに、当初の演出よりも崩れてきている評があったように思います。そのせいかどうか、特に演出らしいものは感じませんでした。

 驚いたのは舞台装置です。先日の、圧倒的なネトレプコの椿姫の時に感じたのと同じ、舞台を狭く使っているのです。舞台上のプロンプターボックスから奥に深い溝があってから白いハコのような舞台があるが、左右に上にだいぶ余った真っ黒いスペースがある。したがって、またまた舞台が遠く、歌手が遠くで歌っている感じになる。

 真っ白いハコ舞台の中に、真っ白いダンボール箱が積んであるだけの舞台。それもザルツブルグ音楽祭「椿姫」のような綺麗なものではなくて、茶色の箱の上に白塗料で塗ったような、要するに塗装の薄さが目に見える、より貧相に見える白なのです。この方が、表面のテクスチャーがわかって、立体感が見えやすいという効果はあるのでしょうが、貧乏ったらしいです。

 まあ、最初だけこうで、第2幕になったらガラッと変わるのだろうと思っていたら、幕もなく、そのままの舞台で第1幕が終わると、ただちに第2幕に入った。前方にある真っ暗な溝は、第2幕でケルビーノが飛び込むためにあったようだ。その後、庭師アントニオがハシゴを立てかけて下から上がってくる。第3幕でも、ハシゴ下がアントニオの家という設定で登ってくる。なんじゃこりゃ。

 このとんでもない、舞台中央前方にハシゴが立っている状態は、一時的なものかと思ったら、第4幕最後までこのままだった。箱形の舞台も、壁がだんだん崩れて傾いてくる以外は変わらず。この貧相なセットのまま最後までいって、サプライズは何も起こらなかった。これには本当に驚いた。


 さて、歌手というか合唱団員ですが、主要歌手が外国人(普通のことだが)であるせいか、黒い服の日本人歌手がダーッと出てくると、南の国の原住民が現れたような雰囲気になる。ブヨンセの渡辺直美か、ちびくろサンボか、とにかく、背の低い小太りな歌手だけ集めたかのようだ。(イメージです)

主要歌手ではスザンナのエレナ・ゴルシュノヴァがまともな歌を聴かせてくれました。今回はオペラグラスなどを持っていかなかったので、勝手にマリン・ハルテリウスの姿を想像していました。そんな所作でした。

 その他は、そこそこで、良くも悪くもない。先にあった『影のない女』や『アラベラ』の舞台のように、感動的なところと、反面、ムカつくところとの混在はありません。冷静に、軽く好感の持てる歌手陣でした。

 これは何かのまちがい、前日ビールを飲み過ぎたのでしょうか、オケの演奏が気持ちよかったです。スザンナ第4幕のゆったりアリア(いちばん見事な歌だったのに)で、テンポとかクラリネットとかが、妙にちぐはぐになった以外は、不満がありません。

 このミヨーな軽い気持ちの良さは、『フィガロの結婚』の作品の力によるものではないかと、思う、今日であります。

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[2010/10/20 11:29] | フィガロの結婚 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『フィガロの結婚』 アーノンクール コンセルトヘボウ93 第4幕
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 これを書く前に、引き続き、ベーム1980東京文化会館ライブDVDの後半を見た。やはり、涙が出るような素晴らしさだ。


 開始のバルバリーナの歌も、声が伸びていてとても良い。今までと同じようにレチタティーヴォをゆっくり演奏しているため、この間が長く感じる。

 マルチェリーナは堅実なアン・マレイ。ここでもゆったり目の落ち着いたテンポで歌っているが、アンサンブルの時ほど魅力的ではない。バジーリオのフィリップ・ラングリッジも、ほぼ同じ傾向がある。

 フィガロとしては、なかなか健闘しているアントン・シャリンガーは、ここでもなかなかいい。テンポはいたって普通なのだが、いままで遅めの演奏だったので、速くなったように感じる。アーノンクールの合いの手伴奏も激しさを増す。

 スザンナは有名な、と言ってもあまり聴いたことはないバーバラ・ボニー。レチタティーヴォの入りは、ちょっと速い。それでアリアが近づくにつれて、だんだんゆっくりしてくる。そして、アリアに入ると、また思ったよりも、いやここはけっこう遅めの演奏が普通だから、明らかに速い。

 そしてここでも、だんだん遅くなって、つまり、普通のこのアリアに近づいてくる。そして、歌というよりも、語りに近くなってくる。このボニーの歌い回しも見事で、普通と全く違うのに、とてもいい。

 スザンナのアリアは第4幕の要で、今までずっとドタバタしてきたこの劇が、急にしっとりとした歌になって、それから再びドタバタのフィナーレに突入するという、まさに「へそ」なのだ。ところが今回はそうではない。アリア中に緩急の変化があるため、ここだけ静かという印象はなく、全体がつながっている雰囲気になっている。

 フィナーレに入っても、やはり、ゆったり丁寧な演奏は変わりがない。そのぶん推進力が弱まり、凡庸に聞こえる部分もないとは言えない。終景の出だしの音など、ベームなどに比べると、やはり粗雑な印象は拭えない。しかし、ここから音楽は勢いを増す。

 最後の最後、伯爵が「許しておくれ」、夫人が「私は素直ですので、すぐにハイと申します」と言った後の音楽の運びが素晴らしい。数あるアーノンクールの演奏の中で、もっとも感動した部分だ。

 ベーム以外の指揮者では経験したことのない、「奇跡の瞬間」がここにある。まさにベームが乗り移ったかのような、見事な9重唱の幕切れ。

 爽やかさもある、ゆたっりしたテンポのせいで、今までに聴いたことのない『フィガロの結婚』を、いつもよりたっぷりと味わったような、満足感を持って全曲が終わる。




  




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[2010/01/13 23:21] | フィガロの結婚 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『フィガロの結婚』 アーノンクール コンセルトヘボウ93 第3幕
 第1幕に載せた配役をもう一度、評価つきでのせます。

ニコラウス・アーノンクール指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
オランダ・オペラ合唱団 1993年5月 アムステルダム・コンセルトヘボウ
Ⅰ.46m50s Ⅱ.51m02s Ⅲ.41m42s Ⅳ.41m38s

 アルマヴィーヴァ伯爵:★★トーマス・ハンプソン(バリトン)
 伯爵夫人:★シャルロッテ・マルジョーノ(ソプラノ)
 スザンナ:★★バーバラ・ボニー(ソプラノ)
 フィガロ:★アントン・シャリンガー(バス)
 ケルビーノ:ペートラ・ラング(メゾ・ソプラノ)
 マルチェリーナ:★アン・マレイ(メゾ・ソプラノ)
 バルトロ:クルト・モル(バス)
 バジーリオ:★フィリップ・ラングリッジ(テノール)
クルーツイオ:クリストフ・シュペート(テノール)
 パルバリーナ:イザベル・レイ(ソプラノ)
 アントーニオ:ケゲイン・ランギャン(バス)
 ニ人の少女:リリアーナ・カステッロ、ペートラ・ラング(ソプラノ)


 第3幕に入って、伯爵とスザンナの2重唱があるが、その前後のレチタティーヴォがゆったりしていて、こんな場面あったっけ?と思うほど他と違うが、とても聴きやすい。

 この幕の要、伯爵のアリアです。今までとは違って速く、切れがいい。その分伯爵としての重みや威厳がなく、落ち着きがない。重厚ではなくて、心配性の小男の歌のようだ。他の部分ではとても優れているトーマス・ハンプソンであるが、この歌に関する限り、非常にもの足りない。指揮者の意向でしょう。

 その後の6重唱は、みんな単独のアリアの時と違って、生き生きとノビノビ演じているようだ。ここでも伯爵とスザンナがとりわけ素晴らしい。言葉の端々で、微妙なテンポの変化を作り出している。

 この録音当時よくおこなわれていた、モーバリとレイバーンの仮説による、この6重唱と伯爵夫人のアリアの順番変更は、おこなわれていない。

 第3幕のもう一つの要、伯爵夫人のアリア。テンポは普通かやや遅め。レチタティーヴォの部分では、シャープな合いの手が入るが、アリアにはいるとオケは大人しくなる。伯爵の場合とは逆で、今までそれほど魅力的な伯爵夫人ではなかったが、ここでは素晴らしい歌唱を披露する。声自体に艶と豊満さが足りないと思うが、シュワルツコップ・ヤノヴィッツ路線の正統な歌い方。アーノンクールも伯爵の時とはずいぶん違う。

 フィナーレは、特にマーチの部分は、硬めの演奏。ソプラノ2重唱のアレグレットはそうでもなく、そこそこしなやかに流れるが、話が進行する間に踊るファンダンゴから、最後の伯爵のセリフまで非常にきつい伴奏がつく。最後の合唱まで、テンポは普通でもオケは硬めである。


 いままでアーノンクールにしては、落ち着いたゆったりしたテンポで来ていたと思っていたが、第3幕になってその印象は違ってきた。そこでカラヤン・ベーム後の、現在の代表的指揮者の時間と比べてみる。

 意外にも、ものすごく速い名演のアバド盤。
 案外、古臭い定型演奏に近くて、面白味に欠けるムーティ盤。
 ちょっと遅めで、地味ながら、正統な堂々たる名演のメータ盤。

アバド ウィーン 1994
Ⅰ.41:44 Ⅱ.43:14 Ⅲ.36:25 Ⅳ.37:32
ムーティ ウィーン 1987
Ⅰ.43m08s Ⅱ.45m24s Ⅲ.38m00s Ⅳ.39m12s
メータ フィレンツェ 1992
Ⅰ.46m08s Ⅱ.49m10s Ⅲ.41m44s Ⅳ.42m06s
アーノンクール コンセルトヘボウ 1993
Ⅰ.46m50s Ⅱ.51m02s Ⅲ.41m42s Ⅳ.41m38s

 ゆったりめのメータ盤よりもさらに遅いかと思っていたら、案外、同じくらいだ。それにしては、遅く感じた。おそらくレチタティーヴォが遅いのだ。この中でいちばん落ち着いて聴いていられるメータ盤の演奏時間に近いのが、アーノンクールにしては比較的穏やかな印象を受ける理由かもしれない。

 伯爵のアリアが弱いのと、フィナーレのきつい伴奏。この第3幕がいちばん普通と違って、素直に鑑賞しにくい。



  

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[2010/01/10 19:10] | フィガロの結婚 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『フィガロの結婚』 アーノンクール コンセルトヘボウ93 第2幕
ベーム80C

☆『フィガロの結婚』の規範、ベーム・ウィーン1980年東京文化会館ライブDVD


 新年になって、ひとまず『フィガロの結婚』の規範となる、ベーム1980東京文化会館ライブDVDを見た。あらためて見ると、ポップ、ヤノヴィッツ、プライ、ツェドニク以外の歌手は、それほど良くはない。取り替えたい歌手も数人いる。FM音源の音質も当然、そんなに良くはない。しかし、まあ、くり返し『フィガロの結婚』を見ている人にしかわからない、このベームとウィーン国立歌劇場の素晴らしさはなんだろう。

 まず、入りの「伯爵夫人のカヴァティーナ」。音楽が始まった瞬間、またまたベーム張りのゆったりしたいい感じ。続く「ケルビーノのアリエッタ」。古い対訳だと、‘恋の悩みを知る君は’となっている‘恋とはどんなものかしら’。前後の夫人やスザンナの曲のように、劇の進行に乗っているわけではないので、単独で取り出してもいい名曲です。

 この2曲とも、アーノンクールの演奏は、素晴らしいのだが、歌手が今まで聴いてきた名歌手たちに比べると、小粒で魅力が薄いし、声の種類もちょっと違うような気がする。アーノンクールの演奏では、チューリッヒ歌劇場のライブでも、歌手の選択がおかしいと感じた。「伯爵夫人はそんな歌い方はしない!」「ケルビーノはこんな声じゃない!」と言いたくなる。ほんの少し、そんな気がする。

 3曲目に、ケルビーノに服を着せながらスザンナが歌う、前半唯一のアリア。スザンナはこの劇の主役と言ってもいいぐらいなのだが、アリアらしいまともな曲は、第4幕の1曲だけ。この第2幕の曲は、本当にアリアなのだろうか? そういえば、モーツァルトは、ドン・ジョヴァンニにもあまり歌わせていない。

 そしてアーノンクールは、ここで、この曲で、ベームやクレンペラーでもやらない、さらに遅いテンポを取る。これはとても楽しい。スザンナを歌うのは、有名なバーバラ・ボニー。この歌手もアリアはもの足りない。ただし、レチタティーヴォのせりふ回しはとてもいい。レリ・グリストやキャスリーン・バトルのような魅惑的な声を出す。


 狩に行っていないはずの伯爵が戻ってきた3重唱から、事実上のフィナーレに突入する。こんな長くて大団円をむかえるフィナーレは、天才モーツァルトといえども、最初で最後の、一度限りの出来事。怒れる伯爵が飛び込んできたことで、演奏も攻撃的なものに変わる。

 続くケルビーノとスザンナの2重唱、プラハ交響曲の主題に似た旋律にのせて、ここでもテンポは遅いが、最後は急速に締める。この後のスザンナのセリフ「あの子ったら、足の速いこと…」が、また、ものすごくゆっくり。あれっ、こんな所にレチタティーヴォがあったっけ?と意識してしまった。

 ここから本当のフィナーレ。出だし、伯爵がものすごく力を入れて歌い、極めて重く始まる。そしてその後も、遅めのテンポで進む。ここでは歌手も力を入れ、アーノンクールは遅いため、歌と伴奏がずれるが、それもまた味わい深い。

 ケルビーノと思っていたら、スザンナが現れて、伯爵がビックリして静かになる部分。ここはまた、極端に遅く、アクセントをきつくしている。やっと本来の?アーノンクールらしさが出たのか。3人の掛け合いの、歌の合いの手のように頻繁に入る、ヴァイオリンの下降音も力が入っていて面白い。

 このオーケストラは、各場面の最初の音楽の入りが、品がなく、ぶっきらぼうに始まるような感じを受ける。最後の最後、全員登場してのアンサンブルも、必ずしも整っているとは言えない。いろいろなところで、他とは一風変わった、新鮮な楽しい演奏で引きつけてきて、最後はごく普通の、堂々たる正統な終わり方をする。

不思議なことだが、暖かい気持ちになって演奏が終わる。よかった。




  



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[2010/01/04 16:45] | フィガロの結婚 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『フィガロの結婚』 アーノンクール コンセルトヘボウ93 第1幕
haruno22.jpg




 アーノンクール指揮の『フィガロの結婚』というと、今まで、チューリッヒ歌劇場1996のビデオ、ザルツブルグ音楽祭2006のビデオとレコードを、すでに取り上げている。
 納得の出来ないチューリッヒ歌劇場はともかく、評判のよかったザルツブルグ音楽祭と比べてどうなのであろうか。その時には以下のように書いた。

 =ニコラウス・アーノンクールにしても、天敵とも言えるウィーンよりも、1993にロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とスタジオ録音した『フィガロの結婚』の方が、本領が発揮されているのではないか。=

 この考えは、今でも変わらない。


ニコラウス・アーノンクール指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
オランダ・オペラ合唱団 1993年5月 アムステルダム・コンセルトヘボウ
Ⅰ.46m50s Ⅱ.51m02s Ⅲ.41m42s Ⅳ.41m38s


 アルマヴィーヴァ伯爵:トーマス・ハンプソン(バリトン)
 伯爵夫人:シャルロッテ・マルジョーノ(ソプラノ)
 スザンナ:バーバラ・ボニー(ソプラノ)
 フィガロ:アントン・シャリンガー(バス)
 ケルビーノ:ペートラ・ラング(メゾ・ソプラノ)
 マルチェリーナ:アン・マレイ(メゾ・ソプラノ)
 バルトロ:クルト・モル(バス)
 バジーリオ:フィリップ・ラングリッジ(テノール)
クルーツイオ:クリストフ・シュペート(テノール)
 パルバリーナ:イザベル・レイ(ソプラノ)
 アントーニオ:ケゲイン・ランギャン(バス)
 ニ人の少女:リリアーナ・カステッロ、ペートラ・ラング(ソプラノ)


 演奏時間を比べてみる。
ザルツブルグ音楽祭2006
Ⅰ.50m20s Ⅱ.52m22s Ⅲ.44m40s Ⅳ.42m10s CD
Ⅰ.51m45s Ⅱ.53m16s Ⅲ.45m32s Ⅳ.43m26s DVD
チューリッヒ歌劇場1996
Ⅰ.50m44s Ⅱ.57m57s Ⅲ.44m00s Ⅳ.42m06s DVD
コンセルトヘボウ 1993
Ⅰ.46m50s Ⅱ.51m02s Ⅲ.41m42s Ⅳ.41m38s CD

 先の3つは、ライブ演奏である。チューリッヒの第2幕のみ大幅に違うが、その他の幕は、演出の違うライブということを考えれば、ほとんど同じといってもいいだろう。今回の演奏は、スタジオ録音盤であるためか、演奏時間が全幕にわたって短い。

 第1幕と第3幕は、ハッキリと違って、演奏時間が短い。ところが聴いているときの印象は、けっこうゆるめのテンポの部分が多いように感じる。ということは、他が、といっても他の方が新しいのだが、もっと極端に遅い演奏をしていたっけ?
この点は、後ほど検証してみよう。

 第1幕に関しては、アーノンクールのイメージからすると、裏切られたように非常におとなしい演奏だ。序曲からして、クレンペラー風の、かなりの遅めでありながら、軽やかに過ぎていく。歌の部分では、決して出しゃばらず、ひかえめに、ていねいに、歌手を支えている。ゆったり遅い部分が多いので、ベームのようにも感じる。

 第5曲のスザンナとマルチェリーナの2重唱。さすがはアン・マレー、スザンナよりも魅惑的な歌を聞かせている。第6曲ケルビーノのアリアは、このなかではめずらしく速めで軽やか、しかし自由すぎて、いささか品位に欠ける。

 第7曲の3重唱では、伯爵が隠れているケルビーノを見つけても、それほど声を荒げることもなくソフトに処理している。全体的にもソフトで穏当な部分が多い。

 第10曲フィガロのアリア。アントン・シャリンガーという歌手は、他で聴いたことはないが、声がバス過ぎる。もうちょっとバスバリトン風であってほしい。ただし、この曲へ来てついに、指揮者も歌手も力が入るし、それによってテンポも動く。しかし、やはり爽やかさも保持しており、気持ちよく第1幕が終わる。




  

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[2009/12/17 23:33] | フィガロの結婚 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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