「魔法の笛」 クレンペラー指揮 フィルハーモニア管1964 第1幕
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 こんな時ではありますが、クレンペラー指揮の「魔法の笛」1964年を、久しぶりに聴きました。クレンペラーのオペラ録音では、「ドン・ジョヴァンニ」1966年、「フィガロの結婚」「コジ・ファン・トゥッテ」1970年もあります。このシリーズ最初が「魔笛」でした。

 しかし、本当は、EMIによって1959年に「ドン・ジョヴァンニ」、1960年に「フィガロの結婚」のレコーディングがおこなわれるはずだったのです。それも飛びきり素晴らしいキャストが組まれていました。

 クレンペラーは、ここぞと言うときに怪我とか病気で、チャンスを逃してしまう指揮者で、この時、病気のクレンペラーの代役として指揮をしたのがジュリーニでした。名盤と誉れの高いジュリーニ指揮による「ドン・ジョヴァンニ」、「フィガロの結婚」は、こうして生まれたのでした。

 これらのクレンペラーのオペラ録音中では、「ドン・ジョヴァンニ」が名盤といわれ、「魔笛」がそれに次ぐものだと思われます。「フィガロの結婚」は、宇野功芳しかほめていませんし、「コジ」に至っては、話題になった気配すらありません。

 大ざっぱに言いますと、クレンペラーの演奏は、バッハもベートーベンもモーツァルトも同じ、「ドン・ジョヴァンニ」も「コジ」も同じに聴こえます。どの音符にも同じような力を入れているみたいです。したがって、比較的普通の「ドン・ジョヴァンニ」よりも「フィガロ」「コジ」の方が、他と違っていて面白い演奏です。

 そしてこの「魔笛」。やはり重厚長大、気宇壮大で他とはずいぶん違います。歌手も主役が新人で、脇に豪華名歌手を揃えています。「フィガロ」ほど変(私は好きですが)ではありませんし、餡がたっぷり黒光りする羊羹みたいで、なんだか買って特をしたような気がします。

 ご存じのように、この「魔笛」にはセリフ部分がなくて、音楽だけです。ステレオになる前の古い録音ではよくありますが、この時代には珍しいことです。そのせいか、逆に、普通の録音ではカットされている、すべてのセリフ入り台本が付いています。


オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団&フィルハーモニア合唱団
録音:1964年3月、4月キングスウェイホール

タミーノ:ニコライ・ゲッダ
パミーナ:グンドラ・ヤノヴィッツ
パパゲーノ:ワルター・ベリー
夜の女王:ルチア・ポップ
ザラストロ:ゴットロープ・フリック
弁者/第2の僧:フランツ・クラス
第1の侍女:エリザベート・シュワルツコップ
第2の侍女:クリスタ・ルートヴィッヒ
第3の侍女:マルガ・ヘフゲン
パパゲーナ:ルート・マルグレート・ピュッツ
モノスタトス/第1の僧:ゲルハルト・ウンガー
二人の戦士:カルル・リーブル&フランツ・クラス
第1の少年:アグネス・ギーベル
第2の少年:アンナ・レイノルズ
第3の少年:ジョセフィン・ヴィージー
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[2011/03/16 14:46] | 魔法の笛 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
夜の女王とザラストロの関係は 「魔法の笛」のセリフその2
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 「魔笛」の台本は、通常の公演はもちろん、レコード録音されたものでもカットが多く、意味が分かりにくい台詞になっている。レコード付属の解説にも、途中で善玉と悪玉が入れ替わる矛盾に満ちた台本、などと書いてあったりする。作曲中に、ほぼ同じあらすじのオペラが世に出たことも、台本をむりやり途中で変更したという説の根拠に挙げられていたりする。

 そんなことはない!台本の内容は一貫している。というのが私の主張である。もちろん細かいところで、つじつまの合わない変なところはある。だが、それは、オペラや演劇などの台本ではよくあることだ。しかし、大筋で矛盾はない。

 以前見た実演で、最後に女王とザラストロが和解して、メデタシメデタシで終わるものがあった。他に、2人は夫婦(あるいは元夫婦)ではないかという説もある。そんなことはありえない。が、たとえばマルシャリンとオクタヴィアンの関係だった可能性は考えられなくもない。

 ここでは、少なくともかつては、女王の方がザラストロよりも立場が上だったのだ。なぜなら、女王の夫、パミーナの父こそが、この世界の支配者だったのだから。

 この状態を歴史的誰かにたとえてみる。
キリスト亡き後のマグダラのマリアと、ローマにカトリック教団を設立したペテロの関係にもとれる。ペテロが初代ローマ法王として君臨するためには、キリストの妻や血縁などは歴史から抹殺しなければならなかったのだ。

 豊臣秀吉亡き後の、淀君と徳川家康、または関ヶ原で勝っていれば石田三成。徳川家康がいなければ、豊臣秀頼政権と石田執権政治の対立が考えられる。そこへいくと、織田信長歿後の、秀吉の織田親族および家臣団の殲滅は、驚くほど素速かった。

 現代の企業で考えると、創業者会長一族と2代目社長の権力闘争である。ジャイアント馬場亡き後の、全日本プロレスの馬場夫人と新社長である三沢光晴の対立。結局独立して新会社を設立する。ありゃ、たとえが俗っぽくなってきた。

 したがって、権力はザラストロに移っているのに対して、資産である「魔法の笛」「グロッケンシュピール」「三人の童子」その他は女王側が握っているのである。


 それでは第2幕「夜の女王のアリア」前の台詞(レクラム文庫本からほんの一部)。
「お前のお父様がお亡くなりになると同時に、私の力も葬られたのです」
「七重の太陽の輪を、ご自分から聖職者たちに渡してしまわれました。この威力のある太陽の輪を、ザラストロが自分の胸に付けています」
「それのことで私がお父様とご相談した時、お父様は額にしわを寄せてこう申されました。『妻よ-私が個人で所有しているすべての財産は、お前とお前の娘のものだ』
-あのすべてを焼き尽くす太陽の輪は-私が性急にお話に口を挟むと-『あれは聖職者たちにやる』というお答えでした。」
『ザラストロは、これまでわしがやってきたように立派に聖職者たちを指導してゆくだろう。あれのことをもう口に出してはならぬ。女の心には理解できぬものを求めてはならぬのだ。お前とお前の娘とを、賢い男たちの導きにまかせるのがお前のつとめだ』

第2幕第二十八場「火と水の試練」でのパミーナの台詞
「この笛こそ私の父が、魔力の羽ばたくその時刻に、電光・電鳴・暴風の荒れ狂うただ中で、千古の柏の木の幹の、奥の奥から刻んだ笛。」


 「魔法の笛」の筋は逆転していないし、善も悪もない。
タミーノとパミーナは結婚し、タミーノが次の王となる。
そして「影のない女」につづくのだ。

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[2011/02/08 18:01] | 魔法の笛 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
■ 魔法の笛 メスト チューリッヒ歌劇場2000 第1幕 ■
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フランツ・ヴェルザー・メスト指揮 チューリッヒ歌劇場
ジョナサン・ミラー演出 2000年7月7日ライブ収録 DVD
序曲6m10s Ⅰ:58m40s

夜の女王:エレーナ・モシュク
ザラストロ:★マッティ・サルミネン
タミーノ:ピョートル・ベッチャーラ
パミーナ:★マリン・ハルテリウス
パパゲーノ:★アントン・シャリンガー
パパゲーナ: ユリア・ノイマン
モノスタトス:フォルカー・フォーゲル
弁者:ジェイコブ・ウィル
童子:チューリヒ少年合唱団


 舞台装置はシンプル。真ん中に入り口の着いたピラミッド。その両側にオベリスクの塔。後ろには胸像が並び、その上には、大英博物館の中心にある旧大英図書館のような、弧を描いた書棚がビッシリとある。いささかアイーダっぽい。

 まず、タミーノが登場すると続いて、乳房丸出しの女性が、大きなヘビを体に巻いて舞台を通り過ぎる。まあ、それだけだが、タミーノは失神する。3人の侍女は、紫のドレス。フィガロとかコジとかのような魅力満点の衣装。

 フィナーレになると、真ん中の入り口とは別に、左右にも石の枠だけの入り口ができる。ザラストロは一番のベテラン、マッティ・サルミネン。僧侶のようでもなく、黒い服を着ているものの、特別に威厳を示すわけでもなく、人の良いおじさん。ただし、歌は迫力一杯、力強い。

 タミーノとモノスタトスが、どういうわけか、タキシードのような場違いな、ちょっとバカっぽい衣装を着ている。タミーノは声は良いが、見かけがイマイチ。したがって見目抜群のマリン・ハルテリウスとは、お似合いとは言えない。むしろパパゲーノとのほうがお似合いだ。

 ここで、第1幕フィナーレの前に置かれている、パパゲーノとパミーナの二重唱。その前奏が、アバドのライブと同じで、4つの和音だけの短いものになっている。すぐに歌い出す感じ。こっちの方が先だったのか。

 フィナーレの最後の最後で、オケがものすごい速い演奏になる。アーノンクールというか、いや、チューリッヒっぽいというか、なんだか奇をてらっただけのようで不自然。このフィナーレで終わらないで、そのまま第2幕に入る。左右にあったドアの石が、回転して形をかえ、真ん中のピラミッドを隠すようにして、静かに人々が登場する。

 それでもって、第2幕のザラストロのアリア終わりで、ゆっくり舞台が暗くなり、DVDの一枚目が終わる。拍手もないので、ここで舞台が終わったわけではないと思うが、非常に変な終わり方、1枚目と2枚目の切り替え方だ。




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[2010/07/17 17:04] | 魔法の笛 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『魔法の笛・魔笛』 シュタイン指揮 ハンブルク・フィルハーモニー 1971 後編
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えっと、一ヶ月以上ほったらかしにしていた『魔法の笛・魔笛』の後編です。


ホルスト・シュタイン指揮  ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団
ハンブルク国立歌劇場合唱団 1971年収録
芸術監督 ロルフ・リーバーマン

Ⅰ.68m34s  Ⅱ.82m20s

ザラストロ………★ハンス・ゾーティン
夜の女王…………★クリスティーナ・ドイテコム
パミーナ…………★エディット・マティス
タミーノ…………★ニコライ・ゲッダ
パパゲーノ………ウィリアム・ワークマン
パパゲーナ………キャロル・マローン
弁者………………フィッシャー=ディースカウ
モノスタトス………フランツ・グルントヘーバー
甲冑の男2………クルト・モル



 「ライプツィヒ歌劇場1976」のドイツ制作ビデオと同じで、対訳が古い言葉を使っていて面白い。「2人のまろうど」「入信者」「帰依者」など。

 以前、魔笛の台本、で取り上げた第2幕はじめの「タミーノは死んでしまうのではないか」の部分。
弁者「彼は王子なのです」 
ザラストロ「それ以上-彼は人間だ」
①タミーノに試練を与えると死んでしまうのではないか、と心配する弁者
②もし死んでも「神々の喜びを、我々より早く感じるだけだ」…ここで音楽。
この部分は、思い切り、キッパリ、カットされている。
ここって、なくてもいい部分なのだろうか。そうは思わないが。


 この頃の映像技術的な制約で、映像と音声が別に収録されている。いわゆるアフレコ(アフター・レコーディング)。映画やテレビドラマなどでは、映像を先にとって、後から音を入れたりするが、クラシックものでは、スタジオ録音した音声に合わせて演技をする。オペラに限らず、オーケストラもやる(特にカラヤン)。

 ただし、他のビデオでもそうであるが、セリフ部分は同時に収録されている(に違いない)。そりゃあ、歌と音楽に合わせて口を動かすのはナントカできるにしても、普通のおしゃべりに口を合わせるなんてムリだろう。どこにもそんなことは書いていないが、歌でよく外している歌手でも、ピッタリ合っているから、セリフは同時録音に違いない。

 もっと後の1976に収録された二つのドイツ語版ビデオ、ゲーツァ・オーバーフランク指揮 コーミシュ・オーパー・ベルリンの『フィガロの結婚』、 ライプツィヒ歌劇場の『魔笛』。この二つとも、歌は醜いぐらいに口とずれているにもかかわらず、『フィガロの結婚』においてはレチタティーヴォの部分、『魔笛』ではセリフ部分は合っている。なぜに、セリフ部分ではできることが、歌でできないのか。

 先に書いたようにパパゲーノがやけに歌と口(顔?)が合っていない。しかし、ほかの歌手を見ると、ちゃんと歌と口が合っている。今までの常識と、パパゲーノの見かけのおかしさに惑わされていたのだ。途中では、これは音声と映像と同時に収録したものだろうと思っていた。しかし、さらによくよく見ると、口は見事にあっているものの、歌手が歌っているような息づかいがない。静かで整った顔をしたままで歌っている。やっぱり違うのか?といろいろ考えてしまった。

 そういうわけで、ほかのビデオ作品と比べて、格段に見やすい。ベームの『フィガロの結婚』とか、最近見たのではショルティの「ヘンゼルとグレーテル」とか、メジャーでもひどいものがたくさんある。こんなに見事なアフレコは他に知らない。


 夜の女王のクリスティーナ・ドイテコムでありますが、ずっと、なぜだか悪い印象を持っていました。あの名盤の誉れ高い、ショルティ盤で歌っているからであります(キッパリ!)。このように無実の罪で?嫌われておりました。

 ところが、ここで見ると、とてもいい。もちろん後半の高い部分はグルベローヴァなどの超高音ソプラノにかなうわけないけど、なんとなく女王の母親らしい部分が感じられるのです。決してきれいな声ではないのですが、太い声で、妙な迫力があります。アムネリスを歌ってもいいような気がしますが、他の曲を歌ったのを聴いたことがありません。私の好きなポップの夜の女王の歌唱に近い印象を受けます。

 ザラストロのハンス・ゾーティンもとてもいい。いつもはつまらないことの多いザラストのアリアに意味が感じられる。今回の映像では、パミーナによりそって歌ったり、手をつないで退場したりと、恋人気分…というか父親気分がただよっているのだが、これは後で述べることになる「夜の女王とザラストロの関係」を考えると興味深いものがある。

 毎回言っているように、いままで聴いていた演奏よりも、一つ一つの歌唱に聴き応えがある。かつてのクレンペラー盤の映像版と言ってもいいのかも。しかし不思議なことに、オーケストラはきわめて普通に演奏しているようにも感じる。終盤のパパゲーノ独唱。それからパパゲーノとパパゲーナのデュエットのからみ。こういう所の熱気と盛り上がりもすさまじい。@あっぱれ!

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[2009/10/18 20:27] | 魔法の笛 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『魔法の笛・魔笛』 シュタイン指揮 ハンブルク・フィルハーモニー 1971 中編
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 この素晴らしい「魔笛」ビデオですが、音楽之友社の「名作オペラブックス」や「スタンダード・オペラ鑑賞ブック」のディスコグラフィーにも載っていない。後者は50点も取り上げられているにもかかわらずだ。私は今まで、本や雑誌で、誰かが取り上げてコメントしているのを読んだことがない。こんないいものを、今まで知らなかったとは不可解だ。日本での正式の発売が遅れた、とかいう事情があったのだろうか。

 歌手についてですが、先に言ったように、どの歌唱もいつもより力強く感じられます。これはシュタインの歌唱指導がものをいっているのでしょうか。3人の侍女も、かなりの実力者がそろっているかのような、見かけ上も、抜群に魅力的です。夜の女王が3人現れたような威圧感があります。

 今回、名歌手が目白押しですが、ひとえに偉大な芸術監督、ロルフ・リーバーマンの力によると、解説に書いてあります。その中で、名前を聞いたことのないのがパパゲーノのウィリアム・ワークマン。

 この人が若くて細い色男風なので、声と見た目がひどく合わない。だから、時代的に、もしかしたらと思われたのだが、演技の映像は歌手ではなく、見た目の良い俳優を使っているのではと思ってしまった。当然、音楽を先に録音して、別の人が、後でそれに合わせて演技をしたのかと。

 パパゲーノは、ディースカウが歌うことがあるように、結構低音を出す。その声と、力の抜けた優男の風貌が、全く合っていないのだ。口が合っていないわけではない。そして、歌は立派に歌っている。

 それで、パパゲーノがいい男なものだから、定評のあるタミーノ、ニコライ・ゲッダは割を食っています。もちろん声は良いのですが、見かけがタミーノらしくない。弁者のフィッシャー=ディースカウもそうだが、このような板東英二タイプの顔は、ヒーローには無理がある。それにしても若い二人の名歌手は、けっこう童顔で、かわいい。

 ニコライ・ゲッダは64年のクレンペラー盤で歌っていますが、そこでの歌唱よりも、ずっと説得力のある、タミーノになっていると思います。晩年に一度、歌曲のリサイタルを生で聴いたことがあります。

 しかし、なんといっても、見かけ上の驚きでいうと、パミーナのエディット・マティスです。私にとって、モーツァルトのソプラノでは、ルチア・ポップに次いで印象深い歌手です。写真ではお馴染みのマティスだが、映像で見たのは昨年、イッセルシュテット指揮ハンブルグ国立歌劇場管弦楽団『フィガロの結婚』のスザンナが初めてだった。そして、写真で受けていたイメージとあまりに違うのに驚いた。

 今回も、また、フィガロの時とも違って、これまた歌手とは別の俳優が演じているのではないかと疑るぐらいに違和感があった。ただし、慣れてしまえば、庶民であるスザンナよりも、お姫様のパミーナの方が合っている感じはする。歌は、最高にすばらしい。

 写真と違って、どうもこのマティスの顔を見ると、セナかオードリーを連想してしまう。アイルトンと、春日ではなくてヘップバーンの方ですよ。

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[2009/09/05 23:22] | 魔法の笛 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『魔法の笛・魔笛』 シュタイン指揮  ハンブルク・フィルハーモニー 1971 前編
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ホルスト・シュタイン指揮  ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団
ハンブルク国立歌劇場合唱団 1971年収録
芸術監督 ロルフ・リーバーマン

Ⅰ.68m34s  Ⅱ.82m20s

ザラストロ………★ハンス・ゾーティン
夜の女王…………★クリスティーナ・ドイテコム
パミーナ…………★エディット・マティス
タミーノ…………★ニコライ・ゲッダ
パパゲーノ………ウィリアム・ワークマン
パパゲーナ………キャロル・マローン
弁者………………フィッシャー=ディースカウ
モノスタトス………フランツ・グルントヘーバー
甲冑の男2………クルト・モル


 小学館から発売されているDVDブック、「魅惑のオペラシリーズ」の中でも格段に古い1971年録画である。ところが先日取り上げた「ライプツィヒ歌劇場1976」のビデオよりもとても気持ちよく見ることのできる仕上がりだ。

 DVDを機械に入れて再生すると、メニュー画面はなく、いきなり序曲が始まる。それでちょっとビックリなのだが、その後画面には黒い背景に「魔法の笛」らしきものが映っているだけの状態が続く。画面に集中できなくて、本の配役表を見直したりして、序曲が終わるのを待つ。ついでに、モノラル録音。

 第1幕が始まると、森の中、最初はタミーノを追って着ぐるみの龍が現れる。ここのところは、まあまあ普通だなと思ったが、よく見ると、床と背景には特に何もない。これ以降も、時々、手に木の枝を持った人たちが数人立って、森の中を表すだけで、ほとんど舞台装置らしきモノのない簡素なセットが続く。

 ザラストロの神殿に入っても、背景真っ黄色で、太陽らしきギザギザしたモノが上に浮いていたりすることがあるだけ。はじめは、やけにみすぼらしいと思っていたが、だんだん歌手に集中できて良いような気がしてきた。コロコロ背景の垂れ幕や装置が変わるのと違った、落ち着いた雰囲気になる。大げさに言うと、2重唱などは『トリスタンとイゾルデ』のように、真っ暗な中で二人が歌う。いつもより力強い歌唱に聞こえる。

 演出同様、シュタインのオケも、あまり存在が感じられない。ごく普通に、当たり前の演奏をしているだけ(のような気がする、ということ)。それよりも、ひとつひとつの歌が、いつもよりドッシリした意味を持って聞こえる。この点も、レヴァイン=メトの派手な装置と、とどこおりなく爽やかに流れるが、心にひっかかるものがない音楽と対照的だ。

 ここのところ、このようなちょっとメジャーじゃないディスクを見ていると、ベームやショルティの名盤と言われるレコードや、レヴァインやサヴァリッシュのビデオって、特別扱いするほどのこともないような 気がしてくる。


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[2009/08/30 21:19] | 魔法の笛 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『魔法の笛・魔笛』フリッチャイ指揮 ベルリン放送交響楽団 1954
フェレンツ・フリッチャイ指揮 ベルリン放送交響楽団
(RIAS交響楽団、RIAS室内合唱団) 録音:1954年6. ベルリン DG
Ⅰ.65m09s  Ⅱ.77m21s

ザラストロ………グラインドル
夜の女王………シュトライヒ
パミーナ………シュターダー
タミーノ…………ヘフリガー
パパゲーノ………フィッシャー=ディースカウ
パパゲーナ………リザ・オットー
弁者………………キム・ボルイ
モノスタトス………ヴァンティン
第1の侍女………マリアンネ・シェヒ
第2の侍女………リゼロッテ・ロッシュ
第3の侍女………マルガレーテ・クローゼ
3人の童子………マルゴ・ギョーム、マリア・ライト、ディアーナ・オィストラーティ


 かなり古めのスタジオ録音、手持ちの輸入盤CD。語りは歌手でなく役者が担当している。カラヤン新盤もそうだったと思う。そのため英語とドイツ語表記の配役表に役者名まで入っていて、非常に読み取りにくかった。

 フェレンツ・フリッチャイは、ヨーゼフ・クリップスと同じくらいの感覚で、以前から知ってはいても、これといった強い印象のない指揮者だ。他にはモーツァルト「大ミサ曲」を持っているだけだと思う。

 序曲が始まると、1954年のモノラル録音であるが、これがほとんど古さを感じさせない。前回新しいアバドの録音を聴いたばかりだから、さぞかし古めかしい感じを受けるだろうと覚悟をしていたのだが、全くそんなことは気にならなかった。次の年1955年に録音したデッカのベーム盤よりも優れているような気がする。

 ただし歌手には古さというか拙さを感じる部分はある。パミーナがシュターダー、
タミーノがヘフリガー。リヒターの受難曲などでお馴染みだが、オペラは大丈夫なのだろうかと思っていたら、やっぱりあまり楽しくもないし、声の伸びが悪い。素朴すぎるような気がする。やっぱり古い録音はダメだな!!

 ところが第1幕のフィナーレ以降はガラッと変わって、声に魅力が出てきた。宗教的な厳しく折り目正しい歌唱は、他にはない魅力がある。二人ともそうだから、録音時になにかの障害があったのかもしれない。

 ザラストロのグラインドルはとてもいい。ワーグナー以外で聴くことの少ない歌手だが、こんなものも良かったのだ。あきらかに時代がかって不自然なのが、夜の女王のリタ・シュトライヒ。こんな高い方が出ない夜の女王は、他に聞いたことがない。そういえば、カラヤン1956年盤『ナクソス島のアリアドネ』でツェルビネッタも歌っていた。まるでスザンナかパミーナが無理して歌っているようだ。

 パパゲーノは、ベームの新盤でも歌っているフィッシャー=ディースカウ。やっぱり50年代の彼はいい。いつものディースカウ臭さがほとんどない。

 他の気になるところは「第1の侍女」がマリアンネ・シェヒ。この役は、古くはシュワルツコップなど、スタジオ録音盤では、超一流のソプラノが歌っていることが多い。ここでも、ベーム盤『ばらの騎士』でマルシャリンを歌っているシェヒです。だからどうということはないんだけど。

 今回輸入盤の文字を見ていて、初めて気づいたのだが、この「第1の侍女」という役名。ドイツ語では「Erste Dame」、英語で「First Lady in Waiting」だった。英語でも「待つ女」と表現するんだ、と妙に感心した。英語の方が先なんだろうけど。

 最後の「パ・パ・パ・パ・パ…」2重唱は、シュターダーが特に、速く歌ってあじわいが薄い。これは現代の感情たっぷりの演奏に慣れすぎているから、そう感じるのかもしれない。ところが、それ以降、地獄落ち~終結部はゆっくりで、堂々たるフィナーレで締めくくられる。よかった!

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[2009/07/05 19:57] | 魔法の笛 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『魔法の笛・魔笛』 アバド指揮 2005ライブ
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 レヴァイン指揮メト盤を取り上げたときに、どうして「魔笛」にかぎってレヴァインが目立つのか、アバドやムーティはなぜ「魔笛」を出さないのか、ということを書いた。その後調べてみたら、2006年にアバドのライブ盤が出ていたのでさっそく手に入れた。まさかモーツァルト没後250年に乗っかって出したわけではないだろうが、その出来栄えは。

クラウディオ・アバド指揮 マーラー・チェンバー・オーケストラ 2005★★★
アルノルト・シェーンベルク合唱団、合唱指揮: エルヴィン・オルトナー
2005年9月 モデナ・テアトロ・コムナーレでのライブ収録 ドイツ・グラモフォン
Ⅰ.64m20s  Ⅱ.83m46s

ザラストロ………ルネ・パーペ★(バス)
夜の女王………エリカ・ミクローシャ(ソプラノ)
パミーナ………ドロテア・レシュマン★(ソプラノ)
タミーノ…………クリストフ・シュトレール(テノール)
パパゲーノ………ハンノ・ミュラー=ブラハマン(バリトン)
パパゲーナ………ユリア・クライター(ソプラノ)
弁者………………ゲオルク・ツェッペンフェルト(バス)
モノスタトス………クルト・アツェスベルガー(テノール)
第1の侍女………カロリーネ・シュタイン(ソプラノ)
第2の侍女………ハイディ・ツェーンダー(メッゾ・ソプラノ)
第3の侍女………アンネ=カロリーネ・シュリューター(アルト)
3人の童子………アレクサンダー・リシュケ、フレデリック・ジョスト、ニクラス・マルマン(テルツ少年合唱団員)


 アバドは今回の演奏に当たって、モーツァルトの自筆譜を研究したと書かれているが、明らかに普通と違っているのは、第1幕パミーナとパパゲーナの二重唱の出だしの伴奏。ただでさえ短いこの曲の前奏の、後半部分がない状態にしている。クラリネットとホルンの部分をカット。つまり、第二幕パミーナのアリアに似て、すぐに歌が始まるのだ。

 ここでもガーディナーの『フィガロの結婚』や、ライプツィヒ歌劇場「魔笛」のように、有名な歌手で歌を聴かせるのではなくて、全体のアンサンブルやライブ特有の生命力のある統一のとれた演奏で聴かせる。超有名な歌手というと、ルネ・パーペとドロテア・レシュマンの二人だけ。その二人もそれほど目立つわけではない。かといって指揮者のアバドが目立つわけでもなく、モーツァルトの音楽があたりまえに流れていくだけだ。

 さすがにパパゲーノのハンノ・ミュラー=ブラハマンの歌い方には、ちょっと違和感を感じるし、夜の女王をグルベローヴァと比べてみれば見劣りするに違いないのだが、音楽に身を任せていると、そんなことはどうでもよくなる。素晴らしすぎて、なんにも言うことがないので、今回はブログに出さないでおこうと思ったぐらいだ。

 今年聴いた中で、いちばんの演奏。



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[2009/06/21 19:47] | 魔法の笛 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『魔法の笛・魔笛』 ライプツィヒ歌劇場1976 DVD
ライプチヒ



 このビデオは、うっ……? 聞いたことがありません。どこかのお店で売っているのを見たとしても、買う気にはならないでしょう。そんなパッケージです。

 解説によると、1975年4月5日ライプツィヒ歌劇場でプレミエが行われ、1976年に上演されたものをテレビ放映用に再録画したもの。序曲とカーテンコールのみライヴ収録で、それ以外は、旧東独の国営テレビ局制作によりTV演出家ミールケらが一週間かけて録画し、編集したものになっている。

 昨年当ブログで取り上げた、フェルゼンシュタイン演出『フィガロの結婚』と同じ年、同じプロダクションとして制作されたようだ。古いカラー映像、音声はモノラル、セリフ部分は映像収録時に同時収録、歌の部分は先に録音しておいたものに口と演技を合わせて映像収録。したがって、クチパクが合わないこと、男声歌手、特にパパゲーノがひどい。


ゲルト・バーナー指揮 ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
アンドレーアス・ピースケ合唱指揮 ライプツィヒ歌劇場オペラ合唱団
演出ヨアヒム・ヘルツ  映像演出ゲオルク・ミールケ
収録1976年ライプツィヒ歌劇場
Ⅰ.70m29s Ⅱ.81m04s

タミーノ:::::ホルスト・ゲプハルト
パミーナ:::::マクダレーナ・ファレヴィチ
パパゲーナ::::ハイドルーン・ハルクス
パパゲーノ::::ディーター・ショルツ


パッケージに驚くようなことが書いてある。「歌える日本語字幕付き」って!
しかし、もちろん、とても歌えるような代物ではない。
なにしろ恐ろしく古い?と思われる日本語だ。
タミーノとパミーナを「まろうどたち」と呼んだり、「篤行」「おなご」とか、タミーノは「帰依者」、ザラストロ教団を「入信者」とか表現している。なんだか意味の分からない言葉もある。こんな字幕、誰がどういうつもりで、企画したのだろう。
その他、教団のことを「太陽圏」と表現する部分もあって、これは興味深い。「タミーノは死んでしまうのではないか?」の部分もまったく違う。ここは、あとで、別に取り上げる。

 舞台装置の基本は、「ナクソス島のアリアドネ」の舞台にありそうな、不定形の岩を平らにした島のようなものが中央にある。舞台の前方には、プロンプターボックスだろうけど、同じく横長の平べったい石が置いてある。通常よりも3倍横に広い。

 塀とか森とか垣根とか、メトと同じで、基本的には書き割りの布を動かすのだが、一部の垣根は、明らかに後ろで人が押して動かしている。この当時は普通なのかもしれないが、ひどく低予算でやっているように見える。オケの人数も少ない。ただし、ときおり出てくる垂れ幕が、手作りのパッチワーク、または絨毯のように見えるので、メトよりもあじわいが感じられる。

 このビデオは、演出家がちょっと有名なぐらいで、名前を聞いたことのある歌手は一人も出てきません。無名の歌手ばかりですが、どこかの有名なオペラ劇場のライブのように、見苦しい有名歌手は出てきません。歌とは別に、俳優が演じているのじゃあないかと勘ぐるぐらい、見た目のふさわしい出演者です。ザラストロは痩せていて、タミーノの20年後が暗示されているようです。

 そして、歌も、もちろん、「うまい!お見事!」と感動するようなところは、まったくありません。しかし、悪いところは、これまた、一つもなく。オケの演奏もレヴァインのように、これこそ「魔笛の正統な演奏」といったものです。クチパク以外に不満はなく、最後まで見終わって、結果的には、サヴァリッシュ盤や、レヴァイン指揮の2つの演奏よりも感動的に終わったような気がします。満足です。


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[2009/06/15 16:52] | 魔法の笛 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
タミーノは死んでしまうのではないか? 「魔法の笛」のセリフその1
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 『魔法の笛・魔笛』では、筋に不可解な部分が感じられる。フリーメイソン関連の言葉で分からない部分があるのは当然としても、理解しにくいところがたくさんある。ところが、その原因の一部は、セリフ部分に大幅なカットがほどこされているためである。

 ライブではもちろんのこと、スタジオレコーディングされたものでも、カットされており、付属の対訳もそれに合わせてあるので、意味が分かりにくい。オットー・クレンペラーの全曲盤は、そもそもセリフなしで録音されている。そのため、逆に、セリフ部分の対訳は全部付いている。

 というわけでクレンペラー盤の対訳と、音楽之友社「名作オペラブックス」のリブレット対訳を見て検証しましょう。


 というのも、レヴァイン指揮メトロポリタン公演のセリフの字幕で、あらためて気になった部分があります。

 第10番ザラストロのアリアと合唱の手前、第2幕が開いてすぐの第1場ザラストロと弁者の会話。
弁者「彼は王子なのです」 ザラストロ「それ以上-彼は人間だ」
以降の部分が他とちょっと違うので気になった。

①タミーノに試練を与えると死んでしまうのではないか、と心配する弁者に答えてこう言う。
②もし死んでも「神々の喜びを、我々より早く感じるだけだ」…ここで音楽。
この訳は、うちのLPについてる対訳、あるいはザルツブルグ公演と違うのだが…?


 ちなみに、その部分、レヴァイン指揮ザルツブルグ公演では、
①「しかし若い頃には無気力に生きていたかも?」
②「神聖な務めをおこない、神の力と人の義務を教えるのだ」
レコード付属の対訳を見ると、こっちのセリフの方が普通だと思うが。①は前の文とつながるが、②は疑問に答えていないし、唐突だ。

 クレンペラー、ベーム、カラヤン盤の対訳を見ると、それぞれ違っている。実は今回、家に「魔笛」のLPが3組もあってビックリした。そして、セリフをカットしている部分が違うようで、どれを見ても意味が良くわからない。


 クレンペラー盤の対訳にはカットはないはずだが、確実な音楽之友社「名作オペラブックス」のリブレット対訳を見てみる。

①弁者「しかし、もっと若いときには無気力に生きていたかもしれませんが?」
②ザラストロ「その場合にも、彼にはオシリスとイシスの神がおられるのだ。我らよりももっと早く神々の喜びを感じるようになるだろう。タミーノと旅の連れを、寺院の前庭に導き入れよ」
(ひざまずいている弁者に向かって)
「して、なんじ、神々が我らを通して真の守り手に定めた友よ--なんじの神聖なる務めを果たし、なんじの知恵を持って、神々の力を敬うことを教えよ」

 これなら一応、お話はわかる。
しかし、「若いときの無気力」がどのように影響するのか不明だし、①タミーノが死んでしまうのではないか?というのは、メト公演以外では出てこない。この点は疑問だ。


 タミーノの「死」にも肯定的なザラストロ。きっと、夜の女王たちが、どこかへ落ちるのも、悪いことじゃあないのかもしれない。なにしろ、ザラストロの国では、復讐はないのだから。しかし、密かにパミーナに気があるザラストロのこと、タミーノが死んでもかまわないと考えたのかもしれない。


 次回、気が向いたら、どうもみんな分かっていないらしい、夜の女王とザラストロの関係について。


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[2009/05/29 22:57] | 魔法の笛 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『魔法の笛』に酷似した、前年制作の『賢者の石』
賢者の石




 うちの近所にある、市立図書館の出張所みたいな、小さな図書館には、オペラの全曲番など置いてなくて、10組ほどのハイライト盤があるだけだ。ところが、たった一つのオペラだけ全曲盤がある。

 それが、どういうことか、有名な曲でも何でもない、聞いたことがないタイトルのオペラだ。

 歌劇『賢者の石』である。    なんのこっちゃ?

 モーツァルト好きの方なら、名前ぐらいは聞いたことがあるかもしれないが、正確には

『賢者の石もしくは魔法の島』Der Stein der Weisen oder Die Zauberinsel
マーティン・パールマン指揮ボストン・バロック(古楽器による演奏)
1998年11月(TELARC CD-80508)      であります。


 この曲は、モーツァルト『魔笛』の1年前、『魔笛』と同じ台本作家、歌手、裏方などによって制作され、シカネーダー劇団がアウフ・デア・ヴィーデン劇場で上演したものです。

原案はクリストフ・マルティン・ヴィーラントが編纂した童話集「ジニスタン、あるいは妖精精霊物語選」
脚本はエマヌエル・シカネーダー。(魔笛では興行主、脚本、パパゲーノ役)
ほぼ半分くらいの作曲はヨハン・バプティスト・ハンネベルク(魔笛の指揮者)
その他の作曲者 ベネディクト・シャック(タミーノ)
フランツ・クサーヴァー・ゲルル(ザラストロ)
それにエマヌエル・シカネーダーとモーツァルトの5人による作曲。

 5人で作曲というのも変な話だが、この作曲者とされているのは、発見された楽譜に、それぞれの名前が書いてあるのだ。そのうち、モーツァルトの名前は3カ所に書かれていた。

 モーツァルトの名前があるから名曲というわけではなく、実は、モーツァルトと書かれていない部分こそ「魔笛」にそっくりなのです。おはなしの設定・配役も似ているし、音楽も似ている。これは、単に、「一部をモーツァルトが作曲した」という以上の意味を持っていると思われます。

 ものすごく大ざっぱに言うと「高貴な生まれの男女二人が、当地の守護霊のもとで火と水の試練を受ける。二人は自然児といっていいお供を連れている。彼は最後に奪われていた女性を得る。」というお話です。

 一度聴いただけの感想でいうと、初めて聴いたような気がしないぐらい、馴染んで楽しめます。「魔笛」よりも音符が少なく単純、素朴。繰り返し聴くのに耐えるかどうかはさだかではありませんが、初体験は、モーツァルトのどのオペラよりもいい感じです。

 ともかく、この『賢者の石』の評判がよかったために、次なる作品『魔法の笛』が生まれることとなったわけです。


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[2009/05/24 15:50] | 魔法の笛 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
魔法の笛・魔笛 第2幕 レヴァイン指揮メトロポリタン歌劇場 1991
メト魔笛



 第2幕に入っても基本的に、同じ調子は続く。夜の女王はセッラは、難しい部分でぎこちないところが見られる。ザラストロのクルト・モルは、もともとそういう歌だが、歌い方が苦しそうで、あまり魅力が伝わってこない。ザラストロの歌は、よくわからない。

 配役表に載っていないが(なぜ略される)、モノスタトスがハインツ・ツェドニク。おなじみのキャラクター・テノールだが、立派すぎる。容姿も声も。もうちょっと無名の歌手を使っても良いのでは。

 セリフ部分の筋で、あらためて気になった部分。ザラストロの部下が、タミーノに試練を与えると死んでしまうのではないか、と心配するのに答えてこう言う。
もし死んでも「神々の喜びを、我々より早く感じるだけだ」
早い死にも肯定的だ。きっと、夜の女王たちが、どこかへ落ちるのも悪くないのだろう。

 さて、前回年代の間違えがありました。レヴァイン指揮の魔笛は、ラジオ放送されたのが1978年と88年、ビデオ放送されたのは1982年収録のモノです。

 ことモーツァルトに限らず、レヴァインという指揮者とは、実演で一度だけ聴いたが、ほとんど縁がない。メトロポリタン歌劇場のビデオが出回っているというか、演目によっては、レヴァイン指揮のモノしか手に入らないことがあって、たまに見ることがある程度だ。それも、悪くはないものの、あんまり感動した覚えはない。

 レヴァインは、マゼール、アバド、小澤、メータより後の世代で、ムーティ、シャイー、バレンボイムなどに近い。見かけは葉加瀬太郎かパパイヤ鈴木だが、音楽はスマートだ。

 ところが「魔笛」といえば、「魔笛」に限ってはレヴァインで決まり!みたいな感じがある。他のモーツァルトのオペラのように、アバドやムーティやバレンボイム、小澤などのビデオが出てこないのだろうか。健闘しているのはサヴァリッシュ盤ぐらいだ。

 この「魔笛」でのレヴァインの指揮、まったく常識的なもので、平凡にさえ感じる。(これは他の演目での、彼の指揮にもよく感じるのだけれど)常に堂々たる一定のテンポで進み、急いだり、もたついたりしない。歌手は自然に歌っている。そして、「魔笛」のテンポはこれしかないという安心感もある。

 自然体の、悟りのある演奏?と言えるのかもしれない。これが『フィガロの結婚』や『ドン・ジョヴァンニ』だったら、食い足りない不満も出てくるのかもしれない。どの部分も、気持ちよく進むのだが、実は、こちらも最後まで同じ感情で進む。進みきってしまう。どこもかしこも同じように美しく感動的なのだが、最後にいたって、大きな感動はやってこない。


第2幕 90m14s

パミーナ…キャスリーン・バトル(ソプラノ)
夜の女王…ルチアーナ・セッラ(ソプラノ)
タミーノ…フランシスコ・アライサ(テノール)
パパゲーノ…マンフレート・ヘム(バリトン)
ザラストロ…クルト・モル(バス)
弁者…アンドレアス・シュミット(バス)他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団
指揮:ジェイムズ・レヴァイン

演出:グース・モスタート
ステージ・デザイン:デイヴィッド・ホックニー
映像監督:ブライアン・ラージ

制作:1991年11月 メトロポリタン歌劇場(ライヴ収録)

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[2009/05/19 19:15] | 魔法の笛 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
魔法の笛・魔笛 第1幕 レヴァイン指揮メトロポリタン歌劇場1991
メト魔笛



 レヴァイン指揮の魔笛といえば、1977年頃のザルツブルグ公演ライブ映像が何度か放映されていて有名で、かつては感動して見たものだ。そしてザルツブルグ音楽祭のビデオがやたらあるように、レヴァイン・メトロポリタンのビデオもたくさん制作されている。

 しかし、ショルティの場合と同じように、いままでメトのビデオで良いと思ったことはなかった。なぜこんなものを大量生産しているのか、不思議だった。ところがどっこい、今回の「魔笛」は素晴らしい。メンバー同じだし、映像はブライアン・ラージだし、いつもと何が違うのだろうか。

第1幕 70m26s

パミーナ…キャスリーン・バトル(ソプラノ)
夜の女王…ルチアーナ・セッラ(ソプラノ)
タミーノ…フランシスコ・アライサ(テノール)
パパゲーノ…マンフレート・ヘム(バリトン)
ザラストロ…クルト・モル(バス)
弁者…アンドレアス・シュミット(バス)他
メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団
指揮:ジェイムズ・レヴァイン

演出:グース・モスタート
ステージ・デザイン:デイヴィッド・ホックニー
映像監督:ブライアン・ラージ

制作:1991年11月 メトロポリタン歌劇場(ライヴ収録)


 ネット上で引いてきた上の表には、演出が書いてあるが、DVDのパッケージにはステージデザインの方しか書いていない。演出家が書いていないのは不思議だと思ってみていたら、タイトルロールに、大きめに「オリジナルプロダクション:ジョン・コックス」と出ていた。 ジョン・コックスとグース・モスタートの関係は分からないけど、ハッキリ書いていないところを見ると、古い演出を焼き直ししたのかも。

 舞台はけっこう貧相です。ハリボテ、書き割り、ぬいぐるみといった、学芸会ふうに、ワザとつたなくしているような感じです。演出も、あるのかないのか分からないような自然なもの。

 レヴァインの指揮は序曲から力が入っている。序曲が終わると拍手が入り、オケ全員で立ってそれに応える。その後の演奏も、適度に柔軟性を持ってゆれながら、しかも切れが良い。コクがあるのにキレもある、何とかビールみたいだ。

 アライサはいつものように立派に歌っている。シュライアー亡き後は(まだ、いるか?)彼に任せるしかない。しかし、特に好きではない。第1幕フィナーレに入ってしばらくしてパミーナを探すところ。2回「パミーーーーナ」と歌うところで、「ミーーーーーー」と、通常聴くよりもすいぶん長めに歌っているのが面白い。

パパゲーノのマンフレート・ヘムさん。知らない歌手だが、とてもいい。ドン・ジョヴァンニを歌っても良いぐらいの立派な声できもちいい。

 夜の女王はセッラ。いつぞや、彼女のCDデビュー盤だったと思うけど、それで歌っていたときよりもずっといい。見直しました。

 キャスリーン・バトルは、ツェルリーナでは文句なしだが、スザンナとかパミーナとかでは、ちょっともの足りない。メトのビデオで歌っているツェルビネッタなどは、お話にならない。ポップとかコトルバスの方が断然いいでしょう。しかし、パパゲーノとの二重唱は、なかなか感動ものです。

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[2009/05/11 18:56] | 魔法の笛 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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