ヴェルディ: 歌劇「椿姫」 ルネ・フレミング (ソプラノ: ヴィオレッタ) ローランド・ビリャソン (テノール: アルフレード) レナート・ブルゾン (バリトン: ジェルモン) ジェイムズ・コンロン指揮 ロサンゼルス・オペラ管弦楽団・合唱団 2006 マルタ・ドミンゴ演出 この収録の前年2005年のザルツブルグ音楽祭での、ネトレプコとの競演で話題になったビリャソンである。あの演出とはまったく違う。解説によると、アメリカでは伝統的なオペラ上演を好まれていると書いてある。そういえばメトの舞台なんてその最たるもの。ここロサンゼルスも、そうなのだろう。個人的印象で言うと、エディタ・グルベローヴァが歌う、1992年フェニーチェ大劇場ライブのような映像だ。 レナート・ブルゾンは、サントリーホールの5列目ぐらいでジェルモンを歌うのを聞いたことがある。(ヴィオレッタは、ルチア・アリベルティ)その時よりも、ずっと感情的に歌っていて好感が持てる。 ルネ・フレミングは、メトのライブなどのインタヴュアとしては、ちょくちょく見た記憶があるが、歌っているのをしっかり見たのは初めてだ。インタヴューしているときと違って、熱唱しているとついつい「キリ・テ・カナワだな」と思ってしまう。ビリャソンと顔をくっつけながら歌うところも多く、ときおり画面から目をそらしながら視聴した。 絵を描きながら、よそ見していたとも言える。歌声だけ聞いている分にはキリ・テ・カナワの歌唱と同じで、悪くない。そんなことをするのは、(きっと)演出のせいでもある。マルタ・ドミンゴ演出となっているが、なんとプラシド・ドミンゴがこのオペラの総監督なのだ。ついつい安部総理と昭恵夫人を連想してしまう。 という不平を言っても、第3幕のルネ・フレミングの歌唱は感動的だった。マルシャリンを歌ってるのも見てみようかな。 『椿姫』全曲 M.ドミンゴ演出、コンロン&ロサンジェルス・オペラ、フレミング、ヴィラゾン、他(2006 ステレオ) |
ついてこーい!…のつづき。
そもそも私が「椿姫」を聴き始めた(30年くらい前?)、そのときに名盤と誉れの高かったのは、「クライバー コトルバス ドミンゴ」 盤でありました。それを聴いてもあまりいい曲だと思わなかったのですが、続いて「ムーティ スコット48歳 クラウス」盤を聴いたら、これが、すっごく良いのです。 ぜんぜん違う。なんでこんなにスコットとクラウスが歌うと、味わい深い曲になるのか。ムーティの指揮に感心したことはないが、指揮者の違いなんて、この際どうでもいいことだ。「ドミンゴのワーグナー」という言葉があるが、ないって?、いや、だれでもそう感じていると思う。しかし、定評のあるヴェルディでも、なんだかなー!ということが、絶頂期のドミンゴには多い。若い頃か、晩年の痛んだドミンゴには見るべきものがあるが。 「リゴレット」であるが、これも名盤と言われるもの「ジュリーニ」盤を聴いた。またもや「コトルバス ドミンゴ」である。これも、ずっと後で、「クーベリック盤 スコット」で聴いて、目を見開いた。またまた、ぜんぜん違うのである。 ついでに思い出したが、私の好きな『フィガロの結婚』カラヤン新盤、『魔笛』レヴァイン盤。ここでも主役をコトルバスが歌っている。なぜここで、ルチア・ポップを使わないかなーもうっ!(コトルバスに恨みがあるわけではない、念のため) ご存じ「名作オペラブックス」でアッティラ・チャンバイは、スコット1962年28歳の「椿姫」録音を、カラス以降もっとも素晴らしいものと言っている。(若くして)「いきなりほとんど完璧なヴィオレッタを達成している。」だなんて。 そして今週、「スコット ヴェルディ・アリア集」を聴いた。 もう間違いない。 (感情的に)これこそ私がヴェルディのオペラに求める声なのだ。 |
☆
昨年、「椿姫」のレコードをたくさん聴いた。 その多くは、なんと、さいたま図書カードと引き替えに手に入れたものなのだった。 (当然です) その中で最も良かったヴィオレッタは! 「矢口真里」! \(^O^)/ … ではなくて、 「レナータ・スコット」と「アンナ・ネトレプコ」だった。 ついて来れないヤツはおいていくよ! 僕はブレないよ! (^o^; それで、先にネトレプコのことを言うと、5年ほど前の大晦日深夜に、NHKで放映されたので初めて見た。その中で、「イドメネオ」のエレットラのアリアを歌っていた。こんな珍しい歌。映像で見たのは、二十数年前にベーレンスが歌っているのを見たきりだ。しかも、ベーレンスよりも楽々と歌っている。なかなか良い。 と思ったのだけれど、どう聴いても、好きじゃないタイプの声だし、アリア集など聴いても、特にいいとも思わない。自分から聴こうという気にはならない声だ。実演で「椿姫」が聴けたのは偶然だし、今年も「ボエーム」を歌いに来るみたいだが、聴きに行く気はない。 実際、目の前で聴いてみると、それはそれは大歌手の風格。今まで聴いた、ギネス・ジョーンズ、フィオレンツァ・コッソット、エディタ・グルベローヴァ、ワルトラウト・マイアーのような、圧倒的な声の力にひれ伏すしかない。…が、レコードで聴く分には、おおむねつまらないと言ってもいい。(あくまで当社比です) だからして、ネトレプコのは、あの企画全体、2005年のザルツブルグ音楽祭が素晴らしかったのかもしれない。たまたま演出家と指揮者が良かったのかもしれない。なにしろこの指揮者は、「椿姫」以外では聞いたことがないが、グルベローヴァの「椿姫」、レコードとビデオ双方で見事な指揮をしている。 このように、ネトレプコが素晴らしかったのは、たまたま一度きり、の可能性もあるが、レナータ・スコットの場合は、そうではない。 ネトレプコのように、レコードではたいしたことないが、実際に聴くとすばらしい、というような事態になるはずはない。スコットの声は、実演ではもう聴けないからである。グルベローヴァなんかも、最初に聴いた時と、最近ではずいぶん違うから、実際に聴いたからといって、絶対にこうとは言えない。 これは、「写真」などといっしょで、レコード製品には、現実のほんの一部しか入っていないのだ。そこへいくと「絵」なんてのは、写真に入りきらない現実を入れられる再生装置とも言えるな。決して「写真みたいにそっくりー」なんて、絵をほめないように。 編集技術などにより、レコードでは素晴らしく聞こえるが、実際はそうでもないという歌手もいるが、どちらかというと、実際はもっと素晴らしいのに、残念!。良い録音が残っていないという歌手の方が多いと思う。…思いたい。 ついてこーい! |
| ホーム |
|