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リスボンの長い1日 9  グルベンキアン美術館2
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 ☆
グルベンキアン美術館について書かれたものはほとんどないので、もうちょっと写真を載せておきます。
 意外に美術館本館以外の敷地が広く、2度目に行ったときにも、美術館の塀の回りをぐるぐる歩いて入り口がなかなか見つからなかった。いつも、たいていの地図には入り口が書いてないんだな。中にはキャンプができそうな芝生地帯や木立もある

 美術館の中は暗いし、ほとんど人もいないのでリラックスして見ることができた。靴の紐を結び治すときに、ふと床にあったカーペットの上にカメラを置きそうになる。休憩用の椅子と同じようなものかと思っていたら、展示しているペルシャ絨毯だった。その後、アキコがやってきて、私に似た絵がある、といって連れていかれた。この中のどれかの絵ですが。

 ここに来る前にはいくつかのガイドブックを読んだ。地球の歩き方に載っていた投稿文にちょっとした見当違いなことが書いてあった。ロヒール・ファン・デル・ウエイデン作品についてと、途中の出入りのことだ。たぶん今は削除されているだろう。「美術館の中では、途中トイレに入れないので、先に行っておくように」と書いてあった。だいたい見終わって、ルネ・ラリックの展示部屋の前にトイレに行こうと思った。そしたら近くに出口(だと思う)みたいなのがあったので、係員にトイレ行って戻ってきます、とジェスチャーでしめし、何も見せず行って帰ってきたけど、問題なく入れた。トイレぐらい大丈夫なのだ。しかし、まあ、団体で入って、そもそもチケット買ってないんだけど。

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テーマ:絵画 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2013/09/14 15:47] | リスボンの長い1日 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
■リスボンの長い1日 8  グルベンキアン美術館
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☆ルーベンスの「エレーヌ・フールマンの肖像」の生々しい写真


 しかし、25人。何だって、つまりツアーメンバーのほとんどの人がいるわけだ。普通こういう場合、添乗員は数の多い美術館側に付いてくるべきで、ホテルに帰る人の方には付いて行かなくてもいいと思う。もちろん添乗員の義務ではないから、私が彼女の立場だったとしても、余計な仕事はあえてしないだろう。アケミのいない穴を埋めたのは、さすがのマサコ。なんだかわけの分からない言葉を係員としゃべって25人の団体チケットを手に入れた。そして、どういうわけか、無料で25人と、ものすごく小さく印字されたチケットを手に入れた。

 それから手荷物を、またまたどういうわけか私は、アキコとサカイと3人分まとめて預けて、誰がキーを持っているのか知らぬままにいた。まだみんな手荷物預かりのまわりに集まっていた時に、写真はどうなんだとマサコに聞いた。「フラッシュはダメだけど写真は撮っていい」とマサコが言ったのだけれど、声が小さかった。私が、後ろを振り返って全員に聞こえるような大きな声で「フラッシュを使わなければ写真を撮ってもかまいません。フラッシュを使うと、美術館からつまみ出されます」と言った。

 そしてアホなことに、あとは勝手に入れるんだと思い、美術館の出口から中に入ろうとした。出口も入り口の近くにあったのだ。そのとき誰かが、チケットを見せろと言われたという声が聞こえた。そうか、チケットを見せて、みんないっしょに入らないといけないと思い直して、マサコを呼んでみんなで入り口から入った。

 そういえばチケットはただで配るくせに、入り口でチケットを点検している美術館が過去にもあった。どうせ要らないだろうといい加減にポケットにつっこんで見つからなくて困っていると、なんと、見せろと言ったその人が新しいチケットをくれて、中に入れといったことがあった。

 私たちが大挙して押しよせた、グルベンキアン美術館 (Museu Calouste Gulbenkian)とは、石油で莫大な富を得たカルースト・サルキア・グルベンキアンの意思でつくられた美術館である。つまり国立の美術館ではなく個人コレクションを元とした美術館なのである。

 そのような美術館としては、近年東京でも見ることのできたバーンズコレクションや、プラド美術館を補完するように、その対面に常設されたティッセン=ボルネミサ伯爵のコレクションなどが有名である。私が見る限り、個人美術館の共通する傾向としては、比較的近代の小さな作品が多い。つまり貴族ではなく、市民の邸宅に飾るのがふさわしい作品が主流を占めるということだ。

 伝統ある国立の大美術館のような、美術史の王道をいく大家の名作は少ない。もちろん逆に、今まで知らなかった珠玉の小品に出会えることもある。だから、ルーベンスの「エレーヌ・フールマンの肖像」は例外中の例外である。この作品は、スターリン時代のソビエト政府が、外貨獲得のため、エルミタージュ美術館の作品を売り出した時に手に入れたもの。

 あと、レンブラントが2作あるが、片方はレンブラント自身が描いたものではないのかもしれない。もしかすると両方あやしい。今まで見たことのあるレンブラントの名作と比べるとだいぶ弱い。近年、有名美術館所蔵のレンブラント作品のかなりの数が、彼の工房作品であることがわかった。レンブラント自身が、彼の弟子たちに、自分の描いた絵を真似させていたのだ。

 これは、自分の作品の一部を弟子に手伝わせるのとはわけが違う。そんなことは普通におこなわれていることで、ルーベンスなどは、自分の手を入れた割合に応じ、絵の値段を変えて売っていたのだ。レンブラントの場合、弟子が師匠そっくりに描いただけではなく、他の画家もレンブラント風に描くのが流行った時代があったのだ。

 それ以外に、めったに見られないものは、ロヒール・ファン・デル・ウエイデン「聖カタリナ」とディーリック・ブーツ「受胎告知」。なかなか出来がいいと思う。その他、ロイスダール、フランス・ハルス、アンソニー・ヴァン・ダイクなどが有名なところだ。近年の作品では、何といっても、マネ。どこの美術館で見ても、一見たいした作品ではないように見えるが、作品の前に来ると、心臓をぎゅっとつかまれたような気になる。上品な凄みがある。

 油絵以外では、エジプト彫刻、ギリシャ・ローマ・メソポタミアの小品、イスラム美術、日本や中国の東洋美術、家具・絨毯・陶器などもある。最後の部屋がルネ・ラリークの作品で埋められている。


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[2013/02/11 21:34] | リスボンの長い1日 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
■リスボンの長い1日 7  25人で美術館
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☆ 帰りの地下鉄。こんなところで写真を撮ってはいけない。


 昼食がすんでバスに戻る途中、アケミ(添乗員)にグルベンキアンの入場料についてあらためて聞く。何か新しい情報でも入ったかと思ったのだが、バス中のコメントと同じで、みなさんが見たいような主要部分の料金は2、5ユーロで、他の部分がどうなのかはわからないとのこと。主要部分がその値段なら、全部見たとしても日本円で千円もしないだろうと問いただしてみても、はっきりしたことはわからないらしい。

 私が、グルベンキアンの後は古美術館に行くつもりだというと、アケミはあきれていた。1日に2カ所も美術館を巡るなんてとんでもない。私だったら耐えられないと言う。だれだって35人も連れて回るんだったら耐えられない。

 だが、ひとりの場合は違う。その意見に反論したくて、ブリュッセルから往復8時間ほど電車に乗ってアムステルダムで国立美術館と現代美術館とゴッホ美術館を2時間ですまし、返す刀でデン・ハーグのマウリッツハウス美術館によってブリュッセルに戻ってきたという話や、1日だけのマドリッドでプラド美術館を含む7つの美術館をほとんど徒歩で回ったことなど話した。この時、ワインを飲んで顔を真っ赤にしていた私の発言をアケミは本気にしていないようにも見えた。

 だからして、こんなに小さなリスボンの美術館を二つ見るぐらいは朝飯前ではむりだが、半日もかかるわけがないと踏んでいた。ところがどういうわけか一人の行動ではなくなった。というより、自分で望んでそうしたのだ。めったにないことだが、二人で歩くのもいいものだ。(その後ろには、いや別に後ろとは限ってないが、同ツアーの人がぞろぞろ付いてきていた、ような気がする)。この時には、空は曇ってはいるものの雨がやんでいた。まったく異常気象のこのツアーを象徴するような、雨のち晴れ。

 昼食後、美術館近くで降ろしてくれたことのメリットは、私の予定消化の助けになるという個人的メリットだけではなくて、もう一つの副産物も生み出した。美術館など見る気のなかった、要するに他のメンバーもいっしょに付いてきたことだ。

 とりわけマサコ(ポルトガル語がちょっとできる)がいたことで助かったというか、私が楽ができたように思う。チケットを手に入れるのも、手荷物を預けるのも、自分でしなくてすんだ。だいたいマサコもアキコもカズエもサカイも美術館の入口まで連れてこられなければ絵を鑑賞するようなヤツらじゃない。(ウソです。失礼)

 美術館入り口に向かう途中、まわりを見渡す。これは団体料金で入れるんじゃないかとマサコに話しかけたが、カズエと話しながら歩いていた彼女は相手にしてくれなかった。人の話を聞かん女だ。

 美術館の中に入り、チケット売り場の前まで来て後ろを振り返ると、やはりどう見ても20人以上いる。もう一度マサコを呼んで、みんなが団体料金で入れるように、交渉するよう要請した。係員と話を始めると、マサコは何人の団体なのか聞かれて困っているらしい。後ろの方から「2列に並ぶから数えて」という協力的な声のあと「25人」という声が。なぜ、添乗員がいない。


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[2012/12/26 19:33] | リスボンの長い1日 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
■ リスボンの長い1日 6 グルベンキアン美術館へ
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☆ カステロ(城)から見るリスボン市街。

 バスの中で、アケミがレストランの場所、そしてホテルへバスで送迎する前に、町の中心部で希望者だけ降ろすと言っていた場所を発表した。希望者が多いから、食後はグルベンキアン美術館に近い地下鉄駅前で希望者だけ降ろして、その後ホテルへ向かう、というものだった。誰がそんな希望を出したのだろう。私でさえ直接アケミに言った覚えはないが。

 ただ、フランクフルトの自由時間にもシュテーデル美術館の閉館時間をアケミに聞いたから、美術館好きだと思われてはいただろう。それからこの美術館、いかにも不確かな情報だが、美術館の入場料が、みなさんの見たいような主要部分は2、5ユーロだという。つまりこの美術館はいくつにも別れていて、別々に入場料を払うということか。


 アケミがホテルとレストラン、その他ショッピングセンターへ地下鉄で行く説明をしている。「地下鉄の黄色の線から緑の線に乗り換えて・・・・」と言っているのだが、私の見ている路線図の色と違うようだ。いったい何を見ていっているのか。前方の方の席の人たちを見ると、なにやら薄いリスボン地図の入った冊子を開いている人がいる。もちろん、開いていない人もいる。

 なんだ、あれは。あんなものいつ配ったんだ。持っていないぞ。このあとの食事の時にも確認したが、私と話をした人たちは大抵、もらっていない、と言っている。持っている人に聞いてみたら、旅行会社から資料としてもらったと言っている。アケミに聞いても、きっと、みなさんに配られているはずです、なんて言われるんだろうな。私は、もらった資料の中に入っていた覚えはないし、その時まで見た記憶もない。私が勝手に紛失したのかもしれないし、確信がないので、アケミには言わない。

 食事の後、何とグルベンキアン美術館の近くにバスをとめてくれるとは。見事な添乗員の判断だ。(ギリシャ旅行記を読んだ人にしか分からない話だが)もう、アケミのバカタレ、なんて二度と言いません。まあ、今回のアケミは、いくら私が批判したところでびくともしないオーラが感じられる。みんな、もうちょっと羽目を外して、アケミを困らせてもいいぞ。おかげで、わずかな自由時間の第一の行程がはぶけた。

 しかし、後で歩いてみてわかったことだが、ホテルも美術館もレストランも大した距離ではなかった。それに、25人も美術館へ行ったのだから、美術館の近くではなく、ズバリ美術館前で止めてくれたらもっと良かったのに。しかし、ともかく、予想以上のメリットがあったのだ。ふけとりシャンプーのことではない。


 さて、グルベンキアン美術館とは、リスボンで一番の美術館です。コートールド美術館やティッセン=ボルネミッサ美術館、バーンズコレクションなどと同じように、個人コレクションが元になっています。ここも、3年後に一人で見に来たのですが、まあ、わかりにくいったら。入り口がです。リヒテンシュタイン美術館みたいに、ぐるっと塀を回って、遠回りをしました。

 地図を見て困ることがよくあります。巨大なバス・ステーションとか、広大な敷地の美術館はもちろんちゃんと乗っているのですが、どこから入ればいいのか分からず、遠回りして入り口にたどり着くことがよくあります。確かに、この建物が美術館なんだけれど、入り口が?

 ヨーロッパでは美術館の入り口なんて、小さいプレートしか掛けられていないこともあり、目の前を通りすぎても気づかないこともありました。日本でもたまにあります。ちゃんとした目印を、地図にも入れてほしいものです。焼きたてパンの匂いでも出してくれたら、すぐ行けるのに。


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[2012/01/26 19:20] | リスボンの長い1日 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
リスボンの長い1日 1 狂う時計とつぶあん
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☆まあ、ジェロニモスのキリスト


 『あなたが求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすればそのとおりになります。』

 早朝4時すぎに目覚めて、いつものように外は土砂降り。もうちょっと寝ていようと、「マタイの福音書」を聞きながら1時間ほど布団に入っていたのだ。今日の午後は半日自由行動ができる。私が一人で行動するときに雨が降るはずはない。今日の1日は、午後から望んだ通りになった。

 いつものように床の絨毯の上にベッドカバーを裏返しに広げ、ゆっくりと体操をし、今日の準備をする。今日は床の踊り場が広いのでのびのびできる。床に敷いてあることにより、スリッパを使用しなくても机まで行き来できる。

 昨日用意した絵葉書を書いて4人分完成させる。だいたい手紙なんか書いていると時間がどれくらいたったのかわからなくなる。そのあいだモーニングコールも鳴ったが、こっちは十分早起きしているから気にしていなかった。もう一度お風呂にでも入って、今日は余裕だ、なんて思っていた。

 あるときふと腕時計を見ると8時をわずかに過ぎている。なに! 置き時計はまだ7時だぞ。ドキッとするで! 思わず、机の上のチキンラーメンのひよこちゃんと瞳が合った。ツアーの時間に遅れたらたいへんだ。ひんしゅくモノだ。非国民だ。まずい。

 いま、いったい何時なんだ。どの時計が正しいんだ。置き時計2個は同じ時間で腕時計の時間がそれらとは違っているのだ。2対1で置き時計が正しいわけでない。ボロい方は、数回違っていたので、信頼できる方に昨日合わせたのだ。だから置き時計は2個とも同じ時間だ。

 やっぱり高い安いにかかわらず、置き時計は移動中に時間合わせのねじる部分に力が加わり、遅れるということか。腕時計は1個だからといって、時間が変わるという可能性は少ない。でも、いままではボロ時計がこわれて長身と短針が正確にまわらなくて混乱したことはあるが、こんなことはなかった。なんだか文章も混乱している。

 いちおう時間の進んでいる腕時計を信用して、あわてて食事に向かった。こんな時なのに、フロントでハガキを出そうとポケットに入れて持ってきていたが、チェックアウトで込み合っていたのであっさり諦めた。レストランにはみんなすでに来ている。マサコもいる。やっぱりぎりぎりの時間にちがいない。マサコに時間を確認。やっぱり腕時計が正しい。その後、サカイが前に座る。「昨日はごめんね」と、駅まで一緒に行って引き返したことを謝る。


 いつものようにパンにはマーガリンとジャムを塗って食べる。実はこんなことは数年前までやったことはなかった。古典的ながら、パンにはマーガリンである。そうに決まっているのだ。ジャムなんて、子供じゃあるまいしと敬遠していた。子供の時にもジャムは食べなかったと思うが。ガム、アメの類もほとんど食べない。

 甘いものは大好きだが、他のお菓子を食べる。実は、特に、アンドーナツなどの、粒あんものが好きである。主食であるパンは、ご飯がそうであるように、甘くない方がいい。ところがいつの頃からか、コンビニで「こっぺぱん」なるものが発売されるようになった。ほとんど食べるのは、あんとマーガリンのはさんであるものである。

 例によって、ジャムパンなんてたべなかったのだが、よく見るとジャム・アンド・マーガリンなのだ。それで食べてみると、おいしく感じることもあった。つまりブレンドすればましになるということだ。外国では特にあんも置いてないことだし、朝食時にチョコを食べるわけにもいかず、ジャム以外には甘い食べ物がない。したがって、ジャムなどというバッタもんを食べるようになったのである。

 ちなにみ、アンの場合は、特になにもなく、アンだけで食べる。

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[2011/11/05 16:33] | リスボンの長い1日 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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