☆ルーベンスの「エレーヌ・フールマンの肖像」の生々しい写真
しかし、25人。何だって、つまりツアーメンバーのほとんどの人がいるわけだ。普通こういう場合、添乗員は数の多い美術館側に付いてくるべきで、ホテルに帰る人の方には付いて行かなくてもいいと思う。もちろん添乗員の義務ではないから、私が彼女の立場だったとしても、余計な仕事はあえてしないだろう。アケミのいない穴を埋めたのは、さすがのマサコ。なんだかわけの分からない言葉を係員としゃべって25人の団体チケットを手に入れた。そして、どういうわけか、無料で25人と、ものすごく小さく印字されたチケットを手に入れた。
それから手荷物を、またまたどういうわけか私は、アキコとサカイと3人分まとめて預けて、誰がキーを持っているのか知らぬままにいた。まだみんな手荷物預かりのまわりに集まっていた時に、写真はどうなんだとマサコに聞いた。「フラッシュはダメだけど写真は撮っていい」とマサコが言ったのだけれど、声が小さかった。私が、後ろを振り返って全員に聞こえるような大きな声で「フラッシュを使わなければ写真を撮ってもかまいません。フラッシュを使うと、美術館からつまみ出されます」と言った。
そしてアホなことに、あとは勝手に入れるんだと思い、美術館の出口から中に入ろうとした。出口も入り口の近くにあったのだ。そのとき誰かが、チケットを見せろと言われたという声が聞こえた。そうか、チケットを見せて、みんないっしょに入らないといけないと思い直して、マサコを呼んでみんなで入り口から入った。
そういえばチケットはただで配るくせに、入り口でチケットを点検している美術館が過去にもあった。どうせ要らないだろうといい加減にポケットにつっこんで見つからなくて困っていると、なんと、見せろと言ったその人が新しいチケットをくれて、中に入れといったことがあった。
私たちが大挙して押しよせた、グルベンキアン美術館 (Museu Calouste Gulbenkian)とは、石油で莫大な富を得たカルースト・サルキア・グルベンキアンの意思でつくられた美術館である。つまり国立の美術館ではなく個人コレクションを元とした美術館なのである。
そのような美術館としては、近年東京でも見ることのできたバーンズコレクションや、プラド美術館を補完するように、その対面に常設されたティッセン=ボルネミサ伯爵のコレクションなどが有名である。私が見る限り、個人美術館の共通する傾向としては、比較的近代の小さな作品が多い。つまり貴族ではなく、市民の邸宅に飾るのがふさわしい作品が主流を占めるということだ。
伝統ある国立の大美術館のような、美術史の王道をいく大家の名作は少ない。もちろん逆に、今まで知らなかった珠玉の小品に出会えることもある。だから、ルーベンスの「エレーヌ・フールマンの肖像」は例外中の例外である。この作品は、スターリン時代のソビエト政府が、外貨獲得のため、エルミタージュ美術館の作品を売り出した時に手に入れたもの。
あと、レンブラントが2作あるが、片方はレンブラント自身が描いたものではないのかもしれない。もしかすると両方あやしい。今まで見たことのあるレンブラントの名作と比べるとだいぶ弱い。近年、有名美術館所蔵のレンブラント作品のかなりの数が、彼の工房作品であることがわかった。レンブラント自身が、彼の弟子たちに、自分の描いた絵を真似させていたのだ。
これは、自分の作品の一部を弟子に手伝わせるのとはわけが違う。そんなことは普通におこなわれていることで、ルーベンスなどは、自分の手を入れた割合に応じ、絵の値段を変えて売っていたのだ。レンブラントの場合、弟子が師匠そっくりに描いただけではなく、他の画家もレンブラント風に描くのが流行った時代があったのだ。
それ以外に、めったに見られないものは、ロヒール・ファン・デル・ウエイデン「聖カタリナ」とディーリック・ブーツ「受胎告知」。なかなか出来がいいと思う。その他、ロイスダール、フランス・ハルス、アンソニー・ヴァン・ダイクなどが有名なところだ。近年の作品では、何といっても、マネ。どこの美術館で見ても、一見たいした作品ではないように見えるが、作品の前に来ると、心臓をぎゅっとつかまれたような気になる。上品な凄みがある。
油絵以外では、エジプト彫刻、ギリシャ・ローマ・メソポタミアの小品、イスラム美術、日本や中国の東洋美術、家具・絨毯・陶器などもある。最後の部屋がルネ・ラリークの作品で埋められている。