パン屋さんのコーヒー 2
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  パン屋さんの音楽について書いたが、当初書きたかったのはそのことではなかった。ビートルズは前振りであったが、長くなったのだ。ここで飲むコーヒーのことを言いたかったのだ。

 といってもコーヒーの味のことではない。実のところ、パンを食べながら、無料でついてくるのだから、紅茶だって、温かい飲み物だったら何だっていいのだ。あんパンにはコーヒーで、ケーキにはレモンティーだなんて、うるさいことを言っているわけではない。

 あくまでもおいしいパン屋さんである。散歩の楽しみとして、かけがえのないものである。パンを買うと、持ち帰っても良いし、テーブル席で食べてもよい。室内にもあるが、店の外にもテーブルがある。暖かい日は、外で食べると気持ちが良い。

 パンを買った人は、セルフサービスの機械からコーヒーをカップに入れて持ち出すこともできる。当然だが、パンを買わないで、コーヒーだけ飲みに来る人はいないと思う。私の場合、もちろん「ここで食べる」と言ってテーブル席に座ることもあるが、「持ち帰ります」と言って、袋に入れてもらうことの方が多い。

 テーブルで食べる場合は、パンはトレーに載せたまま移動するだけだが、お持ち帰りの場合は、当然、袋に入れてもらう。問題はここだ。最初のうちは、ここで食べるか、持ち帰るかはっきりしていたのだ。しかし、袋に入れてもらわない場合は、この場で全部食べきらなければいけない。

 ある時、パンを3個ぐらい買って、袋に入れてもらいながら、セルフでコーヒーを片手に持ち店を出て、外のベランダでパンを一個だけ食べて、コーヒーを飲むのが快適だと思った。3個のうちの一個だけを選んで食べ、他は帰り道、歩きながら食べるというのも楽しい。

 それでたいていは持ち帰りよう袋に入れてもらって、紙コップにコーヒーを入れて外へ出ることになる。紙コップと小さめの陶器のカップもおいてある。ここで食べる人は陶器を使ってもいいということだが、もちろん私は紙コップである。

 紙コップ、当初は、セルフコーヒー器の横に置いてあるだけだった。「ボタンを押すのは一回だけ」とか「2杯目からは20円」とか小さく張り紙がしてある。新しい店舗の方は、なんだかもっとうるさく「パンを買った人は一杯だけ」「外へ持ち出さないように」なんて、ちょっと神経質に書いてあったような気がする。

 そんなふうに書いてあるものの、控えめで、2回ボタンを押しても平気だった。1回ボタンを押しただけでは量が少ない。それで紙コップになみなみとコーヒーを入れて、店を出る。何も問題なかった。外テーブルで飲んだり、帰り道の公園で飲んだりしていた。

 ある時、紙コップがレジの前に置いてあるようになった。陶器のコップはそのまま。お金を払ってから、紙コップを手にとって、コーヒーのコーナーまで移動する。これでもちょっと手間がかかる。これも、最初は進んで「紙コップどうぞ」と言って、手渡してくれたが、そんなこともしてくれなくなって、自分で手に取るようになる。その後、紙コップはレジの後ろに置いてあるようになった。

 これで、お金を払い終わった後、「紙コップください!」と言わないと手に入らないようになった。最初は、気にしてなかったが、何度も続くと、そんなことお願いしなければいけないのが嫌になってきた。変化の様子を見ていると、無料のコーヒーを持ち出されたくないという方向性が伝わってくる。なにより、徐々にサービスが悪く変わってきたことが気分が悪い。

 こんな事するんだったら、コーヒー代として安価なお金を取るとか、コーヒーはここで食べる人だけとか、最初からそうであった方が気分がいい。そのうえで、もし、お客様が、コーヒーを飲みながら帰りたいんだと言ったなら、その時には臨機応変に対応してもらいたい。マニュアルやルールはあるけれど、店員の裁量で、ちょっと上乗せサービスするということで、お客はついてくるんだと思う。

 よく行く近所のレストラン。この店は大型チェーン店であるが、店員と顔見知りになると、混んでいるときに優遇してくれたり、日付の過ぎた割引券を、こっそり新しいのに取り替えてくれたり、職員専用の割引券をくれたりする。ある程度は許されているのだろうが、他の店の対応と全然違う。少し割り引いたって、毎週来てくれば、お店も儲かるだろう。「あなたはお得意様だから、他の人よりも気を遣って親切にしています」と感じさせることは接客業に必要だと思う。

 という、無料コーヒーのせいで、パンを食べることが少なくなったのである。
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[2017/03/01 14:48] | カルトン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
パン屋さんの音楽 1
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 いつもの散歩コースにおいしいパン屋さんがある。評判がよいらしく、市の中心部にも数年前、もう一店舗開店した。パンがおいしいだけでなく、テーブル席で食べるのも自由だ。

 ここではいつもビートルズの曲をかけている。両店舗とも数年来に渡ってずっとビートルズの曲のみ流している。有線放送だと思うが、それなりの選曲をしてあるのだろうか。パン屋にはふさわしくないハードなロックンロールもあるとおもうけれど、キツイ曲がかかっていた覚えはない。

 私はおなじみの曲が流れているので気持ちが良いが、毎日いる店員はどうなのだろうと思う。ビートルズの曲なんて、アルバム一枚30分程度だ。つまりすべての曲を重複しないように流したとして、一日あれば全部聞くことができる。まあ、言ってみれば、ベートーベンの交響曲全曲演奏だってそうだが。

 誰の趣味なんだ。一度聞いてみたら、経営者の指示のようだ。そりゃそうだろうけれど、店員はどうなんだ。もしかしたら勤務パートの時間は1日2時間とか、短時間に決められているのか。そうでなければ、ビートルズ大好き人間か。それとも大嫌いになって、完全に無視しているか。気にならないのか。経営者は何とも思わないのか。

 私だったら、こんなこと止めて欲しい。好きな曲ならむしろ、逆に、流すのを制限したいくらいだ。職場で聴きたくなんかない。年に数度、ちゃんと鑑賞できる環境で聴きたい。

 いつも行きつけの、ビートルズ好きのマスターのいる美容院で、カットされながらそんな話をした。この美容院も有線放送を流しているが、それなりに気持ちよく聞き流しやすい曲だ。それでいて、ラジオから流れているのを聴いたことがあるわけでもなく、好きな曲でもない、知らない曲なのだ。好きなビートルズの曲なんて流れてたら、仕事がやりにくいと、マスターも言う。

 展覧会をやっていても思うのだが、好きな曲を流してはダメなのだ。ノリノリになって楽しんではいけない。メロディーに乗ってはいけないのだ。曲の流れが分からない、静かで知らない曲。ほとんどの人が、音楽が流れているのに気づかないぐらいの曲が良い。

 とりあえず、お客としては、ビートルズの曲は好ましく思っている。

テーマ:The Beatles(ビートルズ) - ジャンル:音楽

[2017/02/22 17:45] | カルトン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ちいさい画家 2
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子供魚2

子供8

子供7

テーマ:絵画 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2016/10/08 15:00] | カルトン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ちいさい画家 1
子供1

子供2

子供4

子供3

テーマ:絵画 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2016/09/22 16:51] | カルトン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
じゃなくてポジターノ
 昨日、いつも通っている会館の文化祭に行ってきた。仲間のグループの絵も少しだけ出ていたが、その隣に水彩画のグループも展示していた。そこになんと小さいながら「アマルフィ」の絵があった。

 アマルフィといえば、サントリーニやリオ・マッジョーレ、ポルトフィーノなどと同じく、絵にも何度か描いていて、行きたいと思っているのに、願いが叶っていない場所だ。

 そこで当番らしい人に聞いてみたら、その人の作品で、アマルフィに行ったことがあるという。ついでにサントリーニにも行ったことがあるという。実際にこの二箇所に行ったことがある人に会うのは初めてだ。

 「アマルフィ」は三年ほど前の映画で、急に有名になったようだ。ところが旅行パンフレットや映像などで「アマルフィ」と表記されているのはたいてい隣村の「ポジターノ」である。

F4号では描いたことがあるが、そのうち大きな絵で描きたいと思っている。

ポジターノ2

上がアマルフィ、下がポジターノ

ポジターノ3

テーマ:旅の写真 - ジャンル:写真

[2016/09/19 18:42] | カルトン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
未来の自分は他人
 『人を動かす、新たな3原則 ダニエル・ピンク』を読んで、思いついた。老後の備えをしないアメリカ人の話があったからだ。

 以前から、時間には過去も未来もない。錯覚だという説をとりあげている。死後の世界があるのかということと一緒で、解明できるとは思えない。だからといって、当然、持っているお金を、今日使い切ってしまうことはしない。明日、お金がなかったら困るに決まっている。そう思いこんでいるが、明日が来るとは限らない。

未来の自分は


 未来のことをどう考えようと、現在、何十年後の老後に備えて、全く準備をしていない人はいないだろう。日本人は特に貯蓄する民族みたいだが、そうでなくても家を持ったり、健康保険や年金を律儀に納めていることだろう。

 テレビでは、退職してから死ぬまでに何千万必要という試算をし、年金だけでは足りないとさかんに訴えている。決して私たちのことを心配しているのではなくて、そういうわけだから、株を買ったり、貯金をしたり、新築住宅を買ったりしておけと言いたいのだろう。

 ここのところの自己啓発本など読むと、常識に洗脳されて、未来の安定のために我慢なんかするな、人の意見なんて気にするな、今やりたいことをすぐにやれ、とハッパをかけるのが、むしろ普通だと思う。

 特に心配性な日本人には考えられないことだが、アメリカ人の中には、先の蓄えをする気のない人がけっこういるらしい。江戸っ子とおなじで、宵越しの金はもたない主義なのだろうか。

 心理学などの実験で、先の利益のために今の快楽をあきらめることができる子供は、大人になってからの年収が多いという傾向が見られたそうだ。他の子供は、たとえば今ほしいものを、すぐに手に入れたがるということだ。(わたしも毎晩ビールを飲みたいのを我慢しているが、実入りが良くなった気配は感じない)

 その宵越しの金を持たないアメリカ人(失礼!)は、先の人生に備えるなどということが想像できないのかもしれない。20年先の自分については、赤の他人とほぼ同じ現実感しか持てないらしい。

  しかし、何十年も先のことを心配して貯蓄に励むことは、計画的に生きているというよりは、妄想が激しい神経症みたいなものではないのか。武田邦彦さんの言う、目的は持たない、明日があるかどうかは分からない、も一理ある。

 どちらの国民も、なんとなく極端すぎると思われる。どちらかというと、現在にごく近い未来のことだけ考える方が普遍的な生き方だと思う。それだと家なんて持てないけどね。どの程度が、ちょうどいい生き方なのだろうか。

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[2016/06/15 17:36] | カルトン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ほんとに忙しい?
忙しい
☆ 最近のイラン。


 わたしは忙しくない。そう思っているが、ここのところ、自分が時間があるせいか、周りの人々がやたらと「わたし忙しい」、「みんな忙しいからね」と言っているのが耳につく。

 なに、なんらかの責任逃れか、遅刻や不参加の言い訳に使っているのだろう。嫌いな相手と一緒にいたくないときにも、そんなことを言うだろう。だがそれだけでもないらしい。もちろん、子育て中の働く女性だったら、言うまでもなく悲惨なぐらい忙しいだろう。それは、わかる。(起業したばかりのマイクロソフトとか、ワタミとか?)

 しかし、通りがかりにちょくちょく見かけるのだが、近所の人と(無駄そうな)世間話をしている人たちでも、「忙しい」と言っている。スポーツクラブで1時間ぐらい自転車をこいでいる人たちもそう言っている。

「忙しい」という漢字は「心」が「亡い」ということです。時間が亡いということではありません。急いで何かをしたからといって、一定の時間内にできることは、そんなに変わるとも思えません。仕事だったらむしろ、落ち着いて確実にこなした方が、結果的に早くできるということも考えられます。

 想像するに、忙しい朝というと、テレビニュースを見ながら、おにぎりとコーヒーを口に入れて、それを噛みながら、ズボンをはいている、ような状態でしょうか。時間がないわけではなくて、心がない、つまり行動に心が入っていない。食べているときに、食べていることを意識していない。

 これで一定時間内に、たくさんのことをこなして、これが人生を生きていることになるでしょうか。こんな生活をして、節約したと思っている時間があるとして、いったい何に使っているのでしょうか。

生きていないと一緒です。

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[2016/05/16 18:24] | カルトン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
展覧会の案内ハガキを作りました
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 20年ぐらい前から、毎年2回展覧会を催しています。以前は自分のプリンターで印刷していましたが、用紙代とインク代で、100枚あたり3千円ぐらいかかっていました。調べてみたらかなり安くなるので、一昨年から、ネット印刷会社に頼んでいます。

 500枚で\3,120でした。(もっと安くできるところもあります)
最初の時は、今まで通り100枚頼んだのですが、100枚頼んでも、500枚頼んでも値段がそれほど変わらないので、だんだん多めに頼むようになりました。100枚頼んだときは、サンプルというか、サービスなのか200枚ほど届きました。その後いつでも100枚ぐらい多めに送られてきます。

 それで、このネットで原稿のおさめかた、入稿が、ルールがいっぱいあって、初心者にはなんのことやらわからないことばかりです。ソフトがペイントショップ・プロとフォトショップとイラストレーターを使い、なんどか行ったり来たりして、何層にか画像を重ねています。(おおげさに言い過ぎました)

 いまだに入稿すると、できるだけルール通りにやったつもりなのに、「大きさが違うので縮小しました」とか「とんぼがついていませんでした」などコメントが入ります。フォトショップとイラストレーターのヴァージョン違いで不具合が出ているのかと想像されます。(途中で何度もエラー表示が出る)拡張子でいうと元が「.ai」「.eps」のところを「.jpg(普通の画像ファイル形式)」にしただけでも、ずいぶん印象が違ってきます。

 ほんとうは、写真をはさみで切るように自由な形に切り抜き、重ねたいのだけれど、やりかたがわかりません。できるのかもわかりません。もうちょっとコラージュできないものでしょうか。

 4トラックのテープに多重録音ダビングを繰り返すという、サージェントペパーのレコーディング風景のようです。パレットマークも自分で作ったものです。しかしひとりでやっているのでやる気が続かず、あまり凝りすぎても、だれにもわかってもらえないので、適当なところでやめておきます。原稿以外にも、注文手順と、ネット送金でも疲れました。

 なんだか不十分で、画面上でも、努力の成果は出ていないと思うが、
絵よりも力を入れているような気がしないでもない。
まあ、次回に期待を。

テーマ:絵画 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2016/04/07 17:25] | カルトン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ORIE INOUE SOLO EXHIBITION "PHENOMENES"
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 めずらしく、ギャラリーに行ってきました。
井上織衣(いのうえ おりえ)の個展です。
I can never resist a chance to meet new artists in person.


井上織衣 個展「現象」ORIE INOUE SOLO EXHIBITION "PHENOMENES"
2016.1.9 sat - 1.24 sun 11:00-19:00 ※最終日17:00まで
135-0042 江東区木場 EARTH+GALLERY(アースプラスギャラリー)


 この木場の現代美術館にも近いギャラリーにも、作家にもあまりに驚いたので、言葉が出ませんでした。織衣さんから直接聞いたところによると、これからパリのギャラリーでキュレーターをやるそうです。
It's not a bad life working behind the scenes in art world.

 オリエというと、山崎ハコの「織江の唄」を連想します。今でもときどき聴いていますが、五木寛之「青春の門」の登場人物です。原田マハの「楽園のカンヴァス」の主役もキュレーターで織絵なんですけど。

 古代ローマ帝国でいうと、私などは、奴隷の身分です。そう感じさせられたのです。貴族の家庭教師をしている奴隷ですね。そこへいくと井上織衣さんはローマ市民権を持っているようです。大変価値のあるもので、パウロなんかはそのおかげで、何度か投獄されても、世界中伝導してまわれたのです。ローマ末期には、市民権を乱発しましたが。
今月、24日までやってます。


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[2016/01/13 16:55] | カルトン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
目で見ていない。

 先日めがね屋さんに行って、気軽に「ちょっと視力を計ってよ」と頼んだ。そうしたら、めがねを買ってくれると期待したのか、予想以上にていねいに計測されてしまった。
あげくに「今のめがねは全然合ってません」
「度が強すぎるのと、乱視が入ってません」
「現状では、メガネをして0.4しか見えていません」と言われた。

 わたしは 0.4 の視力で、絵を描いているのか。
これで、写真などを見て、絵を描いているのだ。
人の絵の間違いを指摘したりしているのか。
傾いている。この線の角度が違う。色がここで変化しているとか、比率が違うとか、クリムソンレーキをちょっと加えるといいとか、目が悪いんじゃないの!とか、さんざん言っているのだ。てことは、みんなも0.4並に、視力が悪いのだろうか。だいたい、私の回りのみんなは目が悪いに違いないと、実は思っていたのだ。しかし、人がどのように見えているなんてことは、他人にわかるわけがない。

 先日の山ごもり中には、つつがなく毎日車の運転もしていた。ということは、視力という物理的なものは、そんなに必要でもないのではないか。どこぞの学者の研究では、人間の目は見たものをそのまま捉えることはせず、脳が大幅に補正して、このように見えていると(思っている)ようなのだ。人間の目に見える周波数帯は、非常に狭い範囲だ。フォースを信じろ。心の目で見ろ。などと言うつもりはないが、脳の経験的処理能力の影響の方が大きいのではないか。
[2015/08/29 17:14] | カルトン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
夏祭り
夏祭り1


 君がいた夏は、遠い夢のなか。 空に消えてった、打ち上げ花火。
ジッタリンジンの「夏祭り」ではない。

 数ヶ月、心配の種があった。ここのところ野外で肉体労働などしたことがない。しかも一ヶ月の猛暑もあって、図書館と食料品買い出しついでの散歩以外は、ほとんど外にも出ない。暑さも峠を越えたとはいえ、当日の最高気温予想は34度である。

 うちのマンションの夏祭り担当が数年に一度来襲する。それはそれで納得して参加するのであるが、ここ20年ほど、メンバーがほとんど同じである。新しい人、つまり若い人は一人か二人見かける程度だ。平均年齢が70を超えていると思われる。(私はかなり若い方だ)当然、ふだん労働をしているとも思われない。それでいきなりの夏祭りである。

 朝の9時から、会場設営。太鼓櫓、役員テント、模擬店テント、提灯つけ。おみこしと山車の組み立てと、1時間のおみこし担いで敷地を一周。350世帯もある団地だ。後半午後3時から6時間、焼きとうもろこし、フランクフルト、フライドポテト、やきそば、やきとり、かき氷、生ビール、輪投げ、水風船、その他おもちゃ売り場などの営業活動。
 
 お昼の1時間を除いて、特に休み時間などもない。焼いたものを販売しているお店は、当然だが、猛暑以上の暑い環境で働いている。どう見ても、一回焼き上げるのに手間がかかる「焼きそば」が大変で、客の行列ができていた。飲み物も飲めない断食中に、ワールドカップに参加していた、ある国の選手のような過酷さだ。(そんなわけないか)途中、交代で、交通整理にあたるが、それはむしろ息抜きになる。

 さて、それで普段は、食事を含めて午前に一杯、午後に一杯ぐらいしか水分を取らない。2~3時間ぐらいの、筋トレを含む散歩時間も、真夏以外は水を飲まない。水を飲むと、下痢をしたり、風邪を引いたりする体質なのである。何も食べないで生きている人の中には、水も飲まない人がいる。そういう人は、肺の構造が違っていて、空気中から水分を抽出できるのではないかといわれている。私がそんなわけはないのだが、とにかく、ほとんど水を飲まないのだ。

 それなのに、みんなにあわせて給水していると、お茶などを7杯、缶ビールを4杯も飲んだ。(近年は、熱中症問題で、過剰に飲めとうるさく言われる)もちろん1日中汗だくなので、汗になって出ているのだろうが、肉体労働に加え、過酷な飲み過ぎによく体が耐えられるものだと思う。こんなに汗をかいたこともないし。いつもなんだか体調が悪いところがあるので、こんなことになっても、それほど変わらない。カラダって、すごい!


夏祭り3

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[2015/08/23 17:06] | カルトン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
牛との遭遇
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 先日、ツールを見ていたら、レース中の道路を牛の群れが横断していて、自転車にあたりそうになる映像が出ていた。ブータンやインドなんかだと良くある風景だろう。道路を塞いでいる牛がいなくなるまで、車は気長に待つのである。ただこの場合、飼い主はそばにいる。ついでに大量の椰子ガニが、町の中を移動する場面も放映で見たことがあるな。

 さて、山籠りして一ヶ月間の断食をしたいものだと望んでいる私が、いつもの山道を千日回峰行よろしく闊歩していると、五頭の牛が、のんびりと道を塞いでいた。ここは日本である。なのに夏場の半年ぐらいは山の中に牛を放している。ほったらかしにしているのだ。したがって道路の上にももちろんのこと、いたるところに牛の糞が落ちている。

 海岸沿いの道路では、カニが横断するために、車につぶされたカニがアスファルトにへばりついている。潰れたゴキブリよりも、色はきれいだ。カニをひかないように、運転は気を使う。ちなみに自転車で乗り上げたぐらいでは潰れないしぶといヤツもいる。同じく、牛の、けっこう巨大な糞を、タイヤで踏み潰さないように気を使う。

 しばらく牛が移動するのを待っていると、少し道をあけてくれた。闘牛用の牛ではないから、私に角を向けたりしないだろうと思うが、緊張しながら、堂々たる態度で牛とすれすれで通り過ぎる。ところでこの道は、通過するまでに一時間ほどかかったのだが、車が一台通過しただけで、それ以外の人間には一人も会わなかった。あたりまえだが、携帯電話などつながらない。山道で赤いカニに逢ったり、サザエかと手に取ったら、大きなヤドカリが飛び出したりと、驚くことは多い。まあ、熊でなくてよかった。


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[2015/08/02 20:06] | カルトン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
猛暑の痛み
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☆ 蒼い尾瀬


 先週から、暑くなった。梅雨時には天気予報で、よく「すっきりしない天候が続きますね」なんて言っているが、すっきりしたら豪雨か猛暑である。どんよりした天気の方が、なんぼかましに決まっている。

 そこで外は暑いのである。これだけ暑いと、よっぽどの用事がないと外へ出たくない。つまり最低限生きていくための、飲み物と食料を買う程度に、外出を制限する。何かの必要で2時間ぐらい外を歩いていると、まるで、インドで修行しているみたいだ。

 先週は、除湿器とエアコンの稼働始めの影響だと思われる、のどの痛みから、ひどい花粉症みたいになった。鼻水と微熱である。ちゃんと熱の出る風邪やインフルエンザなどには、もう20年ぐらいご無沙汰だから、風邪なんかじゃないと確信している。だが、まあそのために、ちょっとした不自由を感じることが多くなり、思い出した。

 4月連休の頃、急に背中が痛くなり、動くと時々、ズキッと痛みが走る。ぎっくり腰のようなものだと思う。ずっと立っているとか、ずっと背もたれに寄りかかっていれば、痛くない。動き始めると、思わぬ体重移動で力がかかるのか、予想外のところで痛みが出る。寝る体勢になるまでもしんどいが、寝返りを打とうと体を動かすと痛いので、30分おきぐらいに目を覚ます。3日間はひどく、徐々に回復した。

 しかし、所要で外出もしたし、人と話もした。食料も買ってこなくてはいけない。ゆっくり動いていれば、痛みの出る回数は少なくなる。我慢していれば、とりあえず何でもできそうだ。そうは言っても、動かないで安静にしていた方がいいのだろう。だいたいの時間は、本を読むことにして、ときおりテレビを見る。体が動かないように壁にもたれて、本を読む。

 本を読んでいる限り、なんだ、いつもと同じことじゃないかと思う。普段から家事などほとんどやらず、あまり動かない。しかし、当然だが、いつでも動けるのに動かないのと、動けないので動かないのとは、ずいぶん違う。ただ本を読んでいるだけなのに。何かしようと思いついても、とっさには動かず、体をどのように動かすか考える。極端なことを言うと、冷蔵庫は猫背になって右手で開けるとか、段差があるところでは左足を先に出すとかいうことだ。リパッサナー瞑想みたいだ。全ての動作を「サティ」を入れて、極めて意識的に動く。余計なことを考えて、普段より読書に集中できない。

 かといって、天候が気持ちよくて、体に全く不快な気になるところがない、なんて日は記憶にないぐらいだ。プラトンの言うように、両手を縛られて身動きとれずに、スクリーンに映し出されたものを見ているだけ。自由に動いているつもりで、動ける範囲と方向は決められているのだろう。

[2015/07/19 21:24] | カルトン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
Windowsタブレットを買うの巻。
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 わたくし、普段から携帯や時計は持たず、携帯音楽プレイヤーだけに頼った生活をしている。ソニーウォークマンだけ。寝る前も四六時中そばで鳴らしている。こんな生活は、なんとカセットのウォークマンが発売される前から、カバンの中にラジカセを忍ばせて、電車に乗ったりしていたのだ。使ってないけど、当初の携帯用電話も大きかったな。

 電車の切符もお金を出して買い、精算し、年金などの支払いも、自動引き落としがいやなので、毎回窓口に払いに行く。車や自転車も止めて、どこでも歩いていく。というアナログ生活であるから、流行のアップル商品なんて買うはずもない。スマートホンのことです。マックブック・エアーはちょっとほしいが、持ち歩かないだろう。

 今まで、ノートパソコンは3台所有したが、わりとすぐに故障した。そこへいくとデスクトップパソコンは、ほとんど壊れない。12年前に買ったソニーバイオと3年前に買ったエプソンの小型(\27,000ぐらい。信じられないほど安い。)さらに、20年前の取り外したハードディスクとWindows3,1の時のソフトも未だに使えている。イラストレーター4,1も使っている。

 ところが最近のタブレットパソコンが安くて軽くなってきたので、旅行用にあると便利だから買おうと思った。バッテリーの持ちもいい。なんといっても画像をパラパラ見たり拡大したりできるのが良さそうだった。資料を持たなくてもすむ。

 それで11インチで、iPadみたいな大きさだ、格安物件を探して買った。アンドロイドだともっと安いのだが、Windows8.1のはちと高いし、使いづらそう。買ってみたら、マウスにキーボードに、それ以前に変換プラグとUSBとLAN増設アダプターなどがいる。

 その増設アダプターを買いに行ったら、付属CDでドライバーを入れないと使えない。しかしCDなんてつなげない。店員に「CDをいったんデスクトップパソコンに入れて、USBメモリーにコピーして、それをタブレットに入れればできますか?」と聞いてみた。店員は、「ネットからダウンロードすればいいんです」という。私は言い返す「だからさ、このドライバーを入れないとネットにつなげられないんだってのに」店員はあわてて、奥に調べに行った。結局、私の考えたようにUSBメモリー経由でよかったのだ。

 それでとりあえずタブレットを試して、デスクトップパソコンから必要なファイルを引っ越そうと動かすと、急に「Windowsのアップデート、電源を切らないでください」が始まって、デスクトップが何も使えなくなった。通常10分ぐらいで終わると思うが、この時は、2時間待っても終わらなかった。あきれて、電話回線を切ってみたが、画面はそのまま動かない。終了もできないので、しょうがない荒療治だ。電源コードを抜いた。そしてまた電源を入れた。ドス画面のようなエラー表示がだーっと10分ぐらい出て、元に戻った。

 なんなんだこれは、タブレットに浮気したから古女房がすねたとしか思えない。ともあれ、Windows8.1で使えなくなったソフトは多いが、その後は順調にカスタマイズを進めている。しかし、軽くなったとはいえ900グラムくらいある。持ち歩かないような気がしてきた。


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[2015/06/25 22:46] | カルトン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
豊かさはどこから来るか
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 ミチオ・カク教授によると、人間の老化は、「ミトコンドリアDNAのコピーミスの蓄積によるもの」だそうだ。だが、もう一つ気になっていたことがある。

 文明社会の豊かさはどこから来るかということだ。

 日本だって、ほんの何十年か前までは、ほとんどの人が農業に従事していて、それほど裕福ではなかった。お米や野菜を作っていただけなので、それほど蓄えもない。凶作の時は芋だけ食べ続ける、などということもある。ベトナムとかブータンなんかと、そんなに違わなかったはずだ。世界じゅうのほとんどの地域でそんなに変らなかったのではないか。

 裕福になったのは、主にアメリカ輸出により外貨をかせいだせいだと思われるが、その分アメリカ合衆国が貧乏になった様子はない。アメリカはヨーロッパに、ヨーロッパは中東やインドなどの貿易で裕福になったと思われるが、その分インドや中国などが貧乏になったのだろうか。

 インドも中国もアジア全体も、爆発的に人口が増えている。それだけ食料を生産できるということだ。つまり個人としては貧乏な人が多いとしても、富の総量は増えているに違いない。ヨーロッパや中東の一部の国は、数百年前よりも冨が少なくなっていそうだが、世界全体で見ると、どんどん増えているようだ。

 土地がいくらでもある農家なら、子供の数が増えれば増えるほど、農作物の収穫量が増えて豊かになりそうだが、人口が増えるように、畑や水田を爆発的に増やせるわけがない。

 そこでこの教授によると、「富は科学テクノロジーから来る。政治家は、富は課税によって得られると思っているが、科学技術によって、富そのものの量を増やせる。第1に蒸気機関、第2が電気と自動車、第3がレーザーとコンピューター・インターネット。そしてこれから起こる第4の波が人工知能と分子レベルのナノテクノロジー。

 もともと高価だった紙や、水道設備や電話や電気が、一般に普及し、ほとんど無料に近づいているように、コンピュータとインターネットは、どんな小さなものにも入っているあたりまえのものになる。まばたきしただけでネットにつながり、コンタクトレンズに情報が映し出される。話しかけたり、念じただけで、扉が開き、好きな音楽が流れる」

 と、この教授が言うように進んでくれたらいいのだけれど、たとえばイギリスなどの停滞は、優秀な人が金融の方へ行ってしまい、科学技術に人材が少なくなったことが要因の一つだと思われる。大航海時代に繁栄したポルトガルも、若者がみんな航海に出て、国内が寂れた。日本の地方も、ただでさえ子供が少ないのに、若者が東京へ行ってしまう。さらには海外に出てしまう。出生率がたとえ増えたところで、子供を産める若い女性の数が激減している。空き家が増える。自治体が消滅してしまう。わずかの人しかお米を作っていない。

 つまり、これで、食っていけるのだろうか。

テーマ:宇宙・科学・技術 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2015/06/06 20:15] | カルトン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
最先端物理学者が語る驚異の未来 1
 『ニューヨーク白熱教室 最先端物理学者が語る驚異の未来』という全4回の番組を見た。以前数学者の講義番組を見たら、とてもおもしろかったので、なんだかよく分らないながら、4回全部見てしまった。以下、あやふやな記憶で書いている。

 現代現代物理学は、これまでSFで描かれていたタイムトラベル、平行宇宙、時間旅行などの世界が、身近に現実に存在することを解き明かしつつある。そこから未来のコンピュータ社会は、意識とは何か、テレパシー、心の未来は、宇宙空間へ人間の神経回路を送信するまで話が進む。

ミチオ・カク(加來 道雄、Michio Kaku、1947年1月24日 - )は日系アメリカ人(3世)の理論物理学者。専門は素粒子論、超弦理論。

 この先生は、拍手に迎えられて教室に入ってきて第一声が「こんなに拍手が起きて、誰が講師なのか知りたいね」だった。物理学の講義でも“つかみ”は必要みたいだ。

 その後でちょっと面白そうだったのは、人間の寿命について。摂取カロリーを30パーセント減らすと、寿命が延びる。すべての動物において実証されていることだ。人間を除いて。人間を除くすべての動物で確認されている。なぜ人間で実証されないか。人間は寿命が長すぎる。死ぬまで待っていられない。(こんなこと言わなかったかもしれない)それに「もっと食べ物をよこせ」と文句を言う。


 それでは本題に入る。「私はよく『量子物理学は、私たちの身近で役立つことをしてくれているのですか?』という質問を受ける。物理学はトランジスタ、レーザーを発明し、インターネット構築の手助けをした。だからその質問に対する答えは『全て』だ。全てが量子力学に依存している。テレビやラジオ、レーダーや電子レンジ、X線、MRI、CTスキャン。宇宙船を設計し、宇宙計画を立案した。だから物理学が私たちに何をしてくれたか。全てだ」と言う。

 この先生にとってはこれが世の中「全て」なんだろうけれど、なーんだ、それなら、無くてもかまわないじゃないか、と思った。さすがに、テレビやラジオは、ないとちょっと困るような気がするが、それも慣れればだいじょうぶだろう。

 貨幣や製鉄技術や、コンクリートや灌漑用水や、石炭を燃やす蒸気機関やガソリンエンジンほどには生活に必要ないだろう。印刷技術や、稲作。メンデルの法則や、チューブ入り油絵の具を発明したわけでもなさそうだ。

 そうそう、今や「ウォークマン」がないと困る。これも物理学の成果なのかな。

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[2015/04/26 18:35] | カルトン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ウォークマン3代目買う
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 カセットテープの時は、ソニーのウォークマンは高価だったので買わなかったが、iPodからのハードディスク音楽プレイヤーになってから、ソニーのものを買うようになった。アップルの製品は高いからだ。そもそもソニーのウォークマンが発売になる前から、重いラジカセをカバンに入れて音楽を聴いていた私だ。今でも、毎日5時間くらいは音楽をかけている。

 1代目は、ハードディスク仕様(これも電源コードをつないで使える)で、そのためか2年ほどでバッテリーが短くなったのでメモリー仕様の現在使っている金色のものに買い換えた。これはなんと5年も使っているが、新製品のデザインも付属品も同じ仕様だ。ほとんど変わっていない。この時は、軽量化とノイズキャンセリングヘッドホンと、ダイレクト録音機能がついて、大変に便利になった。ユーチューブも教育テレビの講座などもそのまま録音できる。それまでは、CDレコーダーを使って録音していた。

 散歩の時や、枕元において寝ながら聴くのはもちろん、本を読んだり、掃除や台所仕事をするときも、ちっちゃいスピーカーをつけて音楽をかけている。テレビを見る時以外はほとんど使っている状態だ。これがやっと、毎日充電しないとバッテリーが持たないようになってきたので新しくした。

 難点は、CDを録音するとき、ネット情報で曲目などが自動的にはいるのだが、その分類などがメチャクチャなのだ。同一アーティストの4枚組を入れたとすると、1枚ごとにカテゴリーが違って付けられる。1枚目はポップス、2枚目はロック、3枚目はクラシックロックなんてね。勝手に別のフォルダに分類される。これはビートルズのCDの時のことだ。曲目が1枚目は日本語で、2枚目は英語でということもある。まったく、どうなっているのだ。クラシックの曲なんて、もっと表記がバカバカしくなっている。曲目入れないで、1曲目、2曲目と書いてあった方がずっといいこともある。

 今回の新製品、4メガの最安のもの(それで十分)だが、 ノイズキャンセリングヘッドホンと、ダイレクト録音機能に加えて、語学学習用に再生スピードが変えられる機能がついた。それでたったの¥9,250(消費税別)だった。
手放せない、生活必需品だ。


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[2014/12/05 17:42] | カルトン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
八月の雨、五月の忘れもの part1
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 今年のお盆はほとんど雨だった。生まれた土地を飛び出して生活を営んでいる者にとって、お盆に帰省するのは、国民の義務のようなものです。義務だと思っていると、楽しくありません。親戚回りと、お墓参りしなくちゃいけない。しかし偏屈な私は、電車や船が、人で混み合うのも、一本しかない道が普段はいない車で渋滞するのも大嫌いなので、お盆より早めに、あたかもリゾート地に出かけるかのように帰省するのが常だった。観光客気分で。

 ところが年月というのは不思議なもので、若い頃はあまり会いたくなかった親戚のおじさん、おばさんなども歳を取ってきた。自分に影響力を行使できなくなった親戚というものは、たまに会いたくなるものである。ついでに小学校や中学校の同級生などのことも思い出す。せめて高校生ぐらいで会っていれば、顔なんかもわかるのだろうが、中学生なんかだとまだ子どもで、今では面影もないに違いない。近所ですれ違っても気づかないだろう。

 親戚もそうであるが、両親も高齢である。このさい自分のことは考えない。毎年、いろいろなメンテナンスにほころびがあり、自分の部屋だったところも雑然としている。そういえば子供の頃の卒業写真、アルバムや年賀状などの手紙類など、どこにあるのだろう。絵もあるはずだ。蔵の中にでもしまってあるのだろうか。

 家の前の海は、テトラポットでがんじがらめに締めつけられている。潜ってみると、キレイな石があった海底は、砂漠のようになっている。比較的寒いのもあって、昔のように泳ぐ気にならない。時間があるので、扉の極めて開きにくい蔵の中にも入ってみた。何十年も使っていない布団や服や、食器や箪笥などがありすぎて目まいがした。ここにあるものは、誰が使うのだろう。各家庭の蔵にこんなに物資があるけど、使う人は少なくなる一方だ。

 押し入れの中のものを、ホコリまみれのものを、出してみた。自分の名前が書いてあるパネルもあったが、倍サイズのパネルにキャンバスを張って油絵を描いたものがあった。裏から見ると、パネルが二枚くっつけられていた。パネルの一枚にはクミコ、もう一枚にはミユキと書いてあった。小・中学時代の同級生の女の子の名前だ。このパネルは、中学校の美術の時間に使ったもので、それを高校生になってからもらったものだ。

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[2014/08/26 17:13] | カルトン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
長く歩くと増える
 毎日、1時間程度は散歩をしている。
2時間も歩くと、足の指に水ぶくれができるので、そこそこに押さえている。
旅行中のことを考えると、ほんとうは1日6時間ぐらい歩くと、体調も精神も元気になるような気がする。

 絵の仲間知り合いのマラソンおじさんが先日「ランナーズ」という雑誌を持ってきた。
自分の名前が載っているという。昨年の市民ランナーのランキングだ。
7十何歳の部、全国11位、記録4時間10分と出ていた。
考えられないくらい、元気だ。

 それでまあ毎日、1時間程度は散歩をしているのだ。
うちの裏に小川が(農業用水路かもしれない)流れている。ゴミが浮かんでいる。
大きなゴミが木の枝などに引っかかって留まっていると、天気の良い日にはカメなどが乗ってひなたぼっこをしている。人間が近くを通ると、蛙跳び込む水の音よろしく、すぐに水の中に逃げる。

往路では、めずらしく蛙とカメを見つけた。逃げないでじっとしている。
他のところでも、のんびりしたカメをいくつか見かけた。
帰りにもう一度通ったら、2倍に増えていた。
こんなに多く見たのは初めてだ。
めでたい。

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よくみたら、右上の水の中にもう一匹いますね。

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裏の川2


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裏の川
[2014/05/25 18:16] | カルトン | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
大雪でひとり歩く。 フェズの染め物 2
フェズ染色屋

モロッコ・フェズの染め物街 F6紙にボールペンと油彩。
の続きというかその後。



昨日は、大雪が降っていたが、夜になっていつものように教室へ行った。
電車と歩きで30分ぐらいかかる。
何しろ電車はかろうじて動いているようなので、大したことはないと思った。
今日は休みにしようという連絡もなかった。
線路の上に雪が積もっているのは気になったが駅に行った。
反対向きの電車は事故のせいでまだこないというアナウンスも入った。
20分ほど待って電車がきた。よかった、一安心。
だいぶ間引き運転しているらしい。乗客はいつもよりも多い。
電車から降りて10分、雪の中を歩く。
車がほとんど通らないので歩きやすい。
いやいや、めったにない雪なのでなんだか楽しい。
台風や土砂降り雨なんかよりも、ずっといい。

会場へ行ってみると、他の教室予定は中止となっている。
うちのグループだけ予定通り名札が張ってある。
でも、誰も来ていない。受付当番のおじさんただ一人。
30分ほど待って、誰も来ない。
受付のおじさんも、この雪の中、うちのグループのためにここにいたのだ。
雪がひどくなってきた。もう来ないだろうし、今さらだれか一人ぐらい来たってしょうがないから、受付のおじさんともども、閉めて帰ることとした。

帰り道も、なんだか楽しい。電車が止まったら、うちまで1時間くらいかけて歩くのもいいだろうと覚悟していた。駅に行くと、一応電車はあるという。待っている人もいる。恐らく30分ぐらいに一本しか来ないのだろう。
雪の中ホームで待っていると、不思議な気分になる。
ヨーロッパに旅行中のようだ。
寒い雪の中、こんなに長時間、ホームで立っているなんてことはない。
駅から出ると、道を歩いている人もいない。
清々しい気分で家に帰った。

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[2014/02/09 17:37] | カルトン | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
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