『虞美人草』

 有名な夏目漱石の作品なのだが、ちゃんと読んだことがあるのは『三四郎』だけである。かねてから書いてあるように、『草枕』は、CD5枚組の音声を、2年ぐらい毎晩のように聞いていた。『こころ』は、同じく朗読CDを、10枚組を、やっとのことで一回聞き通しただけで、ひどく苦しかった。

 司馬遼太郎の公演で言っていたが、サイデンステッカーに会ったときに、夏目作品でどれが好きか聞かれたそうだ。(試験ですな)『三四郎』と答えると、相手も「僕もそうだ」と言ったので、お互いにホッとした。そんな話も聞いていたので、『三四郎』以外は、変な小説ばかりだなと思っていた。

 「吾輩は猫である」は、自分のことを猫が見た自虐ネタのようなものだし、「ぼっちゃん」は痛快小説のように言われているみたいだが、これほど世渡りのヘタな人間の話は読んでいて苦しい。『三四郎』にもちょっとそういうところがある。

 先日偶然、茂木健一郎が漱石について講演しているのを聴いた。漱石は紫式部以来の偉大な文学者と言っている。漱石は文章がうますぎるので、逆に分かりづらいが、英語に訳しても素晴らしい。日本の、たとえば芥川賞なんかは、日本語としての文章のうまさをみるので、たとえ小説として優れていても、日本語的に問題があると受け付けない。

 ドストエフスキーも、トルストイも、翻訳で読んでいるわれわれは、どちらも同じように優れた文学だと思っている。ところがロシア語で読むと、トルストイの文章は格調が高いが、ドストエフスキーの文章は未熟であるらしい。だから『三四郎』も、村上なんとかなんかも、英語で読んだ方がおもしろい。『三四郎』のなかでも、与次郎が抜群におもしろいそうだ。

 というわけで、

 漱石の『虞美人草』を読んだ。内容は大変おもしろかった。しかし、文章は「草枕」のように、漢文調の作者の意見がはさまっていて、お話が途切れ途切れになる。古い英文学には、いちいち作者が意見を述べる小説があるが、まだ口語文が確立していない100年前の文章が、今でも読めるのはすごいことだ。

 登場人物は、エキセントリックな美人である藤尾とその母親以外の人は、とてもいい人なので救われる。世渡りでしくじったりしない。物語としては、それまでの漱石の作品同様、実のところ、よくわからない。

 虞美人というと、思い出すのは当然、項羽の虞美人。漢文で習った。しかし、この小説との関連は、まったく分からない。『垓下の歌』(がいかのうた)は、楚漢戦争最後の戦いである垓下の戦いにおいて、項羽が虞美人に贈った詩。

力山を抜き気世を蓋う
時利あらず騅逝かず
騅の逝かざる奈何すべき
虞や虞や若を奈何せん

わたしは、『草枕』『虞美人草』『三四郎』が好きなようだ。
特に、『草枕』『三四郎』は、
絵になりますよ!、絵が完成、で終わるところが、なんだかとてもいい。


虞美人草 (角川文庫)
スポンサーサイト
[2017/06/25 12:45] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
完訳太平記
足利尊氏珠子

片岡球子作 足利尊氏


『太平記』(たいへいき)は、日本の古典文学作品の1つである。歴史文学に分類され、日本の歴史文学の中では最長の作品とされる。

 全40巻で、南北朝時代を舞台に、後醍醐天皇の即位から、鎌倉幕府の滅亡、建武の新政とその崩壊後の南北朝分裂、観応の擾乱、2代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任まで(1318年 (文保2年) - 1368年(貞治6年)頃までの約50年間)を書く軍記物語。(うぃきぺでぃあ)


 4月から、あまり本を読んでいませんが、『太平記』を読み始めました。
日本史の中では、バタバタしすぎていてわかりにくい時代です。読んでみると戦時中の皇国史観に利用されたほど、後醍醐天皇や楠正成が、過度に立派に描かれているわけでもない。仏教的因果応報論にもとづき、後醍醐天皇は徳を欠いた天皇として描かれる。天子に徳がないと、国が乱れる。

 北条高時に徳がないために鎌倉幕府が滅亡に至ったとしているが、そんなに悪い人ではなく描かれている。新田義貞もなかなか立派な武将のようだ。やたらと、義のために自決する武士が多くて、ちょっと辟易する部分はある。

 新田と足利は10代くらい前に兄弟で別れた、元は頼朝と同じ源氏の家系。新田の方が兄で、足利は弟だったが、どういうわけか足利が源氏の本流と思われていたようだ。

 当然であるが、足利とかいう名前は、荘園などの場所の地名であって、正式の名前は源尊氏。北条は平氏。グレコも、ダ・ビンチも地名だし。徳川は新田の家系を引いていると、いうことになっている。

 騎馬武者の人数が10倍ぐらい大げさに書いてあるように感じる。弟の足利直義が50万騎で駆けつけるとか。楠正成の千早城が100万の鎌倉軍でも攻め落とせないのに、鉄壁の鎌倉が、なんで新田義貞軍に破られるのか。ほとんど天下統一間近の豊臣秀吉軍でさえ、20万で小田原城を囲んで、北条の降伏待ちなのに。

 途中で、関連のある中国の歴史が語られる。項羽と劉邦や、始皇帝や、呉と越の話などが、方便やちょっとした引用ではなくて、数ページにわたって詳しく語られる。四面楚歌の場面や、「虞や虞や、なんじをいかんせん」なんていう虞美人も出ていた。20巻まで、半分まで読んだところで、まだ足利尊氏は、それほど目立っていない。

 足利尊氏が、九州勢を引き連れて淡路あたりから関西に上陸するところでは、敵味方入り乱れて半鐘を鳴らした。数百万の軍勢の、その音は何十里にも響き渡り、地軸が傾くほどであった。そうな。
 その頃から、地球の地軸なんて、知っていたのだろうか。

テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2017/06/06 17:04] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
うましうるわし奈良
 先日「そうだ京都、行こう。」を取り上げました。そういえば、最近になって奈良もやっていたなと思い出して検索してみたらありました。

JR東海の「うましうるわし奈良」のキャンペーンが始まってから、
2016年で10年だそうです。
「うましうるわし奈良」の10年 という本です。

 16年ほど前から、毎年奈良に行ってます。(ここ3年行ってない)飛鳥がいちばん多いですが、とにかく行きだしたときにはまだ、奈良は特集されていませんでした。毎年奈良に行くついでに、行きと帰りに通過する京都も観光するようになりました。最近はだんだん琵琶湖周辺にも手を広げています。

 法隆寺、東大寺、長谷寺、室生寺、薬師寺、飛鳥寺や巨石のある飛鳥。桜の吉野。など京都にはない古くて重量感たっぷりのお寺や仏像がたくさんあります。


奈良1s

奈良2s

奈良6s

奈良3s

奈良4s

奈良7s

「うましうるわし奈良」の10年


テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2017/05/21 15:33] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
誰が音楽をタダにした?
Image1_20170310165236dc1.jpg


 今週はたまたま、音楽を愛好する人にとって大変な問題を取り上げた本を読みました。
この本の訳者が後書きにも書いてありますが、今の携帯音楽プレイヤーで聴いている若者は、かつて音楽はお金を出して買っていたということを知らないのではないでしょうか。

 60年ぐらい前のレコードは、確か、給料一ヶ月分くらいの値段がしていました。物価に変動して値段はほとんど変わらず、だいたい1枚、2千円~3千円ぐらいだったはずです。(今でもそうですね)

 それが今では、ネット上で探せば、どこかで手に入ります。
『誰が音楽をタダにした?  スティーヴン・ウィット』です。

まずはアナログLPがCD(デジタル・オーディオ・コンパクトディスク)になり。そのCDが、パソコンの記録装置としても標準装備されたことから悲劇は始ります。

 CDの録音容量を圧縮できるMP3の開発。誰が発信したかわからないインターネットの普及。そしてユニヴァーサルミュージックの巨大CD工場に勤務している1人の男が発売前のCDを盗み出す。それを変換してネット上に流すチーム。

 このたった一組のチームによって、ネット上に出ているほとんどの音楽が流失しました。おかげでCDレコードの売り上げが激減。レコード会社の力が衰えました。

 かつてウォルター・レッグは、レコードを売りたいのなら、わたしとジョン・カルショウをレコーディング・プロデューサーに呼び戻すことだと言いました。ろくでもないレコードばかり作っているから売れないのだと言いたかったのでしょう。

 今となっては、辣腕プロデューサーをもってしても、かつてのようなオペラの録音はできません。カラヤンやベルリンフィルを、一週間も拘束しておけるような予算などあるはずもありません。    

 このままでは、レコード音楽はもちろんタダ同然ですが、本もタダになって、そのうち油絵なんかも、本物そっくりのコピーが出回るのではないかと心配しています。まあ、コピーできるようなものと、本物はまったく違うのですが、そんなこと気にしない人が多くなれば、価値が下がることは間違えありません。

 そうは言っても、ネット上で探せば、どこかで手に入りますと書きましたが、それは有名なものだけで、クラッシックのほしいものは、実はそう簡単に手に入りません。本なんかも、アマゾンにもほとんど売ってません。「ネット上で何でも売ってるじゃないか!」と言っている人は、あまり音楽を聴かない人、本を読まない人ではないかと思っています。


誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち

なぜアマゾンは1円で本が売れるのか

一枚のディスクに―レコード・プロデューサーの仕事


テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2017/03/10 16:54] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
内田樹の最終講義
560c236.jpg


 最近は、先生に対して「これこれを覚えて、何か役に立つんですか?」という質問をする生徒が増えたそうだ。高校生・大学生ばかりではなくて、小学一年生からも出るそうだ。大人に対しても難しいだろうが、小学生を納得させるような説明は不可能だろう。それは「何のために生きているのですか?」「長生きすると何か良いことがあるのですか?」

 私も学生の頃に、源氏物語の感想を聞く先生に対して、こんな話全然おもしろくないと発言して困らせた覚えがある。こんな古い宮廷物語なんて勉強する意味があるのかと思っていたのだ。ある漢文の先生は、今は勉強する意味が分からないだろうが、大人になったら役に立つと言った。あなたは漢文の先生をやっているから、役に立っているんだろうと思った。

 しかし、今になって思うと、古典や漢文をちょっとだけかじっておいて良かったと思う。国語の時間に習った文章、とりわけ和歌なんかは、ある時ふと心に浮かんで。ああ、この感情とピッタリ寄り添う歌だと気づく。それから、毎年訪れる桜を見る感慨が、年と共に深まってゆく。若い頃って、人も景色も、何も見てなかったんだと気づく。

 吉田松陰が幼少の頃から、体罰を含む厳しい教育を受けて育ったことは有名ですが、
『最終講義 内田樹』
ここにも驚くことが書いてありました。以下、自由に抜粋。


 吉田松陰が叔父の玉木文之進から素読を習うときの逸話。玉木が田を耕していて、一畝耕して戻ってくるまでに、指示された箇所を暗記する、覚えていなかったらはり倒されるという非常に過酷な授業をしたわけです。

 子供に四書五経の素読なんてさせたって、学問的有用性はまったくないんです。では、いったい何を教えているのかというと、「子供には理解できないような価値が世界には存在する」ということそれ自体を教えているわけです。子どもに、「手持ちの小さな知的枠組みに収まるな」ということを殴りつけて教え込んでいる。それさえわかれば、後は子ども自身が自学自習するから。

 ふつうは感動が先で、それを「言葉にする」という順序でものごとは起こると思われているけれど、そうでもないんです。最初に言葉がある。この言葉が何を意味するかよく分からないままに記憶させられる。そして、ある日その言葉に対応する意味を身体で実感することが起きる。

 まず言葉がある。「しずこころなく花の散るらむ」とか「心頭滅却すれば火もまた涼し」とかいうのは言葉だけいくら覚えても、十歳やそこらの子どもに身体実感の裏づけがあるはずがない。でも、言葉だけは覚えさせられる。それによって、自分自身の貧しい経験や身体実感では説明できないような「他者の身体」「他者の感覚」「他者の思念」のためのスペースが自分の中にむりやりこじ開けられる。そして、成長してゆくうちに、その「スペース」に、ひとつづつ自分自身の生々しい身体実感、自分の血と汗がしみこんだ思いが堆積してゆく。そんなふうにして子どもは成長してゆくんです。

最終講義 生き延びるための七講
街場の共同体論
困難な結婚


 だからね。たとえばピカソの絵なんかも、本物を見ておいた方がいいと思うぞ。

テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2017/02/25 17:28] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
続・写実絵画とは何か?
続・写実絵画2


 前回は、『写実絵画とは何か? ホキ美術館名作55選で読み解く』から生島浩さんの作品を載せました。『写実画のすごい世界』『写実画のすごい世界2 - キャンバスで輝きを放つ女性たち』も見ました。

 最初は、もちろん、本物ではなくて、小さい画集ですから、写真みたいに描いていることに感動するのです。徐々に、やっぱり、女性の裸を写真みたいに描いているだけでは何とも思わなくなってくる。実際にホキ美術館で見てきた人に聞いても、それほどおもしろいものではないという。

 そりゃあ、写真とは全然違うけれど、写真だと思えば取り立てておもしろくない。実際に、これは油絵ですよ!と言わないで画集を見せると、写真だと思って驚いてくれない人が、数人いた。目が悪いんだな。

 やっぱり見慣れてくると、写実的かどうかということの比重は弱くなってくる。ふつうの古典的人物画と一緒で、たとえばレンブラントの自画像、絵としての要素が良くなければ感動しないという、当たり前の感想になってくる。

 構図や色遣いが的確か、モデルの豊かな精神性が表現されているか、画家の気合いが入っているかなんてことが大事になってくる。日本の絵ではほとんど感じることはないが、モデルの伝統に裏打ちされた精神の高貴さが表現できればいい。

 それで生島浩さんの作品がいいと思ったのですが、他の本でもう一人お気に入りを発見しました。今井喬裕さんです。


写実絵画とは何か? ホキ美術館名作55選で読み解く
写実画のすごい世界
写実画のすごい世界2 - キャンバスで輝きを放つ女性たち




続・写実絵画3

テーマ:絵画 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2017/02/19 10:17] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
塩野七生の言葉
 桜の開花予想、おおむね平年並みといっているが、要するに思っているより遅めということだ。一週間ぐらい早いという予想は聞くことがあるが、平年よりも遅いといった予想は、ほとんど聞いたことがない。今期は比較的暖冬だったので、遅めという説明だ。3月後半に寒くなったりすると、とりあえず開花はしたものの、満開が一週間ぐらい遅れたりする。だからおそらく3月中に満開になることはあるまい。

 そんなことばかり気にしているが、先日読んだ『ギリシャ人の物語』の2冊目も出た。それで塩野七生の文章を読み直してみた。



 教育の成果とは、教える側の資質よりも教わる側の資質に左右されるものである。

予定通りに進むことなどは起こらないのが人間社会の常である。実戦を知っていれば、すべてが予定通りに行かなければ効果が上がらないような戦略は、もともとからして立てはしないのである。

 敬意を払われることなく育った人には、敬意を払われることによって得られる実用面での波及効果の重要性が理解できないのである。ゆえに、誠心誠意でやっていればわかってもらえる、と思い込んでしまう。私などはときに、人間とは心底では、心地よくだまされたいと望んでいる存在ではないかとさえ思う。

洞察力と表現力は相互関係にある。鋭く深い洞察を的確に表現する才能は、次に来ることのより鋭く深い洞察につながる。頭の中にあるよりも文章になった場合のインパクトは、他の誰よりもそれを書いた当人に対して強く影響するからである。

孤独は、創造を業とする者には、神が創造の才能を与えた代償と考えたのかと思うほどに、一生ついてまわる宿命である。それを嘆いていたのでは、創造という作業は行使できない。ほんとうを言うと、嘆いてなどいる時間的精神的余裕もないのである。

 女は本当のことは自分で分かっているんだから、あなたが言ってはいけない。うそをつく必要はないけれど、だからといって本当のことは言うな。

 女の言いなりになる男というのは二級なんです。自分の言いなりになる二級の男で我慢するか、それとも言いなりにならない一級の男を選ぶか、どちらに決めるしかないんです、女は。

 人間、これまでははずっと有効であったことを変革するくらい、困難なことはない。 高齢者だから頑固なのではない。それは、優れた業績をあげることによって、彼らが成功者になったからである。年齢が、頑固にするのではない。成功が、頑固にする。


ギリシア人の物語II 民主政の成熟と崩壊

テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2017/02/16 19:45] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
写実絵画とは何か?
ikusima2.jpg


 ホキ美術館は、千葉市緑区にある美術館である。主に現代の日本人画家による写実絵画の細密画を専門に収集・展示している。しかし、遠いので、まだ訪れたことはない。

 いちおう日本全国全都道府県行ったことはある(通過も含む)ので、遠いと感じるのは変だと思うかもしれない。そもそも首都圏近郊はあまり移動する気がしないので、山梨、群馬、栃木、茨城、千葉、神奈川などは、ほとんど意識に上らないというか、把握していない。10回以上訪れている、京都国立近代美術館の方が、ずっと近いし、馴染みがある。

 『写実絵画とは何か? ホキ美術館名作55選で読み解く』という、比較的安価な本だ。この手の写実画の本は、画集の中では格段に安く売っている。静物画や風景画も載っているのだが、なんといっても人物画である。裸体を求めているわけではない。なんといっても美しい女性の絵である。

 中でも、本の表紙にもなっている生島浩の「5:55」が目をひきます。ポストカードの人気でも一番だそうです。それにしてもなんていうタイトルでしょう。(江頭2:50 じゃないんだから)モデルが6時に帰ってしまうから、その直前という逸話が広まっていると、作者が書いている。

 同じく誌上に載っている作者への質疑応答で、描く上でのコツのようなものはありますか?という質問に、こう答えていた。「モデルさんに惚れないこと。逃げられてしまって、取り返しのつかないことになります。」

 モデルさんの選び方は?「女の子と一緒に街中などにスカウトに出かけます。見かけたら連れて行った女の子に声をかけてもらいます。僕が最初に声をかけると、まずOKをもらえないので」「相手が描きたいタイプなのか、実はおつきあいしたいタイプなのか、一瞬迷うこともあります。」


 惚れてもいないのに描くのは困難だと思うし、取り返しがつかなくなりたいものです。
(いちおう、おすすめの本のコーナーです)
 

写実絵画とは何か? ホキ美術館名作55選で読み解く
写実画のすごい世界
写実画のすごい世界2 - キャンバスで輝きを放つ女性たち



hokim06ss.jpg

テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2017/02/13 17:27] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
好きになられる能力

 自戒の念を込めていう。最近の多くの人は、挨拶されても、ろくに挨拶も返さない。相手に気を遣った返事もできない。買い物やレストランでの、店員の対応に、気分を害することが多い。なぜもっと、誠意の感じられる受け答えができないのだろう。

 私たちは、資格や技術を持って、一流の仕事をしていれば、自分に仕事がきて当然だと思っている。自分はちゃんと仕事をしているつもりなのに、注文は少ない、上司から褒められない、給料は上がらない、部下や周りの人に避けられている。おまけに、プライベートでは家族と気持ちよく日常会話ができない、友だちがいない。

 「人は感情で動く」とは、カーネギーの成功哲学のもっとも最初に出てくることだ。 あなたを成功させてくれる人。あなたにお金を持ってきてくれる人は、あなたの周りの人です。あなたの周りの人に好かれなくてどうしますか。

 そういうことは、わかったつもりでいたのですが、この本を読んで心を入れ替えようと思います。後半は、正座して読みました。

以下、『好きになられる能力  成功するための真の要因 松崎 久純』より抜粋。



 人といきなり目があって、その人がいることに気づくのはめずらしい。むしろ、その人がそこにいるのに気づいてから、目を合わせることがほとんどだろう。つまり、私たちはまず、私たちのことを意識していない人の様子を見るものなのだ。

 人はまだ、私たちと向かい合って話していないときから、私たちのことを見ている。客が店員を見定めるのは、まだ対面していないときだ。そのとき、ある店員がにこやかでなければ、客は他の店員を選んでしまうだろう。

 私がやっていたのは、極端にいえば、難しい顔でオフィスに入ってきて、悩みの多そうな顔で歩き、用件のある人と目があったときだけニコッとするというものだ。これは適切な笑顔の作り方ではない。大切なのは、いつでもできるだけにこやかにして、ポジティヴな雰囲気をつくることだったのだ。



 私たちは、自分が正しいと主張してもうまくいかないことが多い。同時に認識しなくてはいけないのが、「自分にとって大切なことは、自分以外の人により決められている」ということなのである。

 自分の専門分野で実力をつければ成功する、あるいは、もともと持っている自分の魅力だけで人を惹きつけられると信じている人には理解しにくいだろうが、多くの人が成功できない理由は、その人が周囲の人に十分な好感を与えられておらず、味方になってあげたいと思わせられていないことにあるのである。

 私たちは、いくら実力があっても、専門分野の能力が高くても、人から選ばれることがなければ、運のない人生を歩むことになるのだ。誰もが専門分野の強化には一生懸命だが、人に選ばれることについては、案外無関心なのである。そのため、自分を選ぼうとする人たちを無意識に追い払うことさえある。

 私は「非常勤講師をしています」と話すが、私が教壇に立てるかどうかを決めているのは、常に、私以外の人なのである。
 異性と交際しているときに、「つき合っている」と表現するのは普通のことだが、実際のところ、自分がそれを決めたというよりは、相手の人が、自分とデートをしてもいいと決めているのだ。

 自分以外の人が、何に基づいて、私たちにとって大事なことを決めているかというと、私たちが「正しいかどうか」ではない。彼らは、それを「感情」で決めるのだ。ほとんどの場合、彼らが「感情で決めますよ」と話すことはない。だが、彼らはすべてを感情で決めて、後からもっともらしい理由をつける。感情で決めたことを正当化するのである。

 こうして感情で何が決められているかというと、ほとんどすべてのことだ。人事も賞与の金額も、ビジネスの取引さえも、感情で決まる。

 私たちはどんな人と一緒に働きたいと思っているかといえば、特別に才能のある人でもなければ、高い業績を上げている人でもなく、社会的地位の高い人でもない。その代わりに、私たちは、自分のことを認めてくれる人、大事にしてくれる人、気にかけてくれる人と一緒に働きたいと思っている。




究極の速読法 松崎 久純
好きになられる能力 ~成功するための真の要因~ 松崎 久純

テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2017/01/25 17:52] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
吉永小百合
 元来、映画も10年に一度ぐらいしか行ったことはないし、カラオケで歌うなどということも数年に一度ぐらいしかなかった。人との付き合いがないだけだと言ってしまえばそれまでのことであるのだが、外へ出るのは、オペラを見に行くぐらいだったのだ。

 ところが一昨年、一人でカラオケに行って、ほぼ一日中いる(ずっと歌っているわけではないらしいが)という、ある人に誘われて六回ほどカラオケに行った。一回あたり3時間。平日だと何時間いてもそれほど料金が違わないらしい。たいていドリンク飲み放題でもある。

 そんなに長時間いると、若い頃なじんでいた、ニューフォークとかニューミュージックといわれていたものだけではなくて、よく知らない古い歌や、新しい歌も試しに歌ってみることになる。だから朝ドラの「麦の歌」や「365日の紙ヒコーキ」なんてのも歌ってみたのだ。「赤いスィートピー」や「乙女のワルツ」「卒業写真」も歌ったのだ。女子の歌ばっかり挙げてみたが、女子では中島みゆきが圧倒的に歌いやすい。

 もちろん、つれていってくれたオジサンは、ほとんど演歌しか歌わないので、半分くらいは付き合いで古い歌を歌う。「上を向いて歩こう」「氷雨」「知床旅情」「メランコリー」「港町ブルース」「雪国」「いつでも夢を」なんてのです。

 あるとき藤山一郎の「青い山脈」を入れてみた。何でこんな古い曲に馴染んでいるのか分からないが、よく知っているのだ。歌はもちろんちゃんと歌った(つもりである)が、映像がすごかった。吉永小百合主演の映画版「青い山脈」が映っていた。若い、かわいい。かわいすぎる。

 感動して、二人とも歌はそっちのけで画面に見入っていた。どういうわけか本人の歌である「いつでも夢を」の時は、本人の映像はなかった。もう一度カラオケに行くことがあったら、「青い山脈」を忘れないようにしようっと。
(違う映像バージョンも多いと思うので、マネしないように)
何度でも言いたい。
吉永小百合、かわいい。


吉永小百合若s

テーマ:日本映画 - ジャンル:映画

[2017/01/15 18:13] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
女のいない男たち 村上春樹
 村上春樹の小説では、長いものしか好きではない。短編集はもちろん、「多崎つくる」や「アフターダーク」のような短めの小説も好きではない。最近の短編集「女のいない男たち」も、たまたま図書館で見つけた、もう人気がないということか、ので期待しないで読み始めた。

 冒頭の「ドライブ・マイ・カー」と「イエスタデイ」は、ポールの名曲ですね。前者は名盤『ラバーソウル』の開始曲なので、全体の色を支配する勢いがあります。そのせいがあるのかないのか、一般的には好意をもって受けいれられているとは言えない本だと思いますが、前半は、テーマとはそれほど関係なく、人生を深く掘り下げているような感銘を受けました。


 3編目の「独立器官」より、気になったところを。

『逢い見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり』 権中納言敦忠

 恋しく思う女性と会って身体を重ね、さよならを言って、その後に感じる深い喪失感。息苦しさ。そして、そんな感情を自分のものとして知ることのなかったこれまでの私は、人間としてまだ一人前じゃなかったんだなと痛感しました。


 すべての女性には、嘘をつくための特別な独立器官のようなものが生まれつき備わっている。
 どんな嘘をどこでどのようにつくのか、それは人によって少しずつ違う。しかしすべての女性はどこかの時点で必ず嘘をつくし、それも大事なことで嘘をつく。大事でないことでももちろん嘘はつくけれど、それはそれとして、いちばん大事なところで嘘をつくことをためらわない。
 そしてそのときほとんどの女性は顔色ひとつ、声音ひとつ変えない。なぜならそれは彼女ではなく、彼女に具わった独立器官が勝手におこなっていることだからだ。だからこそ嘘をつくことによって、彼女たちの美しい良心が痛んだり、彼女たちの安らかな眠りが損なわれたりするようなことは、特殊な例外を別にすれば、まず起こらない。

テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2016/12/21 14:25] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
おとなになる
 いつだったか大江健三郎の文章を読んでいたら、三世代にわたる海外でも有名な日本の文学者について書いてあった。先輩世代では谷崎潤一郎、川端康成。同世代では三島由紀夫、安部公房。後輩で現在圧倒的に売れているのが村上春樹と、吉本ばなな。大江らの真ん中世代がいちばん売れないんだとぼやいていた。

 村上春樹の長編はだいたい読んでいるが、吉本ばななは、それほど有名ではなさそうな作品を二作読んだことがあるだけだった。長い作品でないと興味がないのだ。有名な「キッチン」も読んでいなかった。それで、先日、小説読み始めたいのだが、何から読んだらいいかという質問に答えて「キッチン」と言ってしまった。人に勧めておいて自分が読んでいないのもいけないと思い、読んでみた。

そしたら有名な「キッチン」は、とても良かった。感動した。それで、調子に乗って図書館から吉本ばななの本を六冊借りてきた。そのなかで、最も短い、子供向けエッセイとでもいった「おとなになるってどんなこと?」をすぐに読んだ。これもすごく良かった。なにが良かったのか、はっきり言えないが、すこし書き出してみます。


 いちばん大事なことは、自分の中にいる泣き叫んでいる子どもを認めてあげることです。ないことにしないことです。そうすると心の中に空間ができて、自分を大丈夫にしてくれるのです。大人になるということは、つまりは、子供の自分をちゃんと抱えながら、大人を生きるということです。

 たくさんの時間を共有して、お互いの匂いやいやなところを知っている体の言葉と、精神的に同じ価値観を共有している精神の言葉と、両方を備えていないと友だちとは呼べないと私は思っています。
 
 本当に友だちと呼べる関係になるには、長い時間がかかると思っています。だから人生の中でそんなにたくさんの友だちができるはずがありません。恋愛と置き換えるととても簡単なことですが、毎日のように会っていても、たとえその人とセックスしていても、お互いが「あなたがとても好きです、恋人と呼んでもいいですか?」と約束を交わさないと恋人とは呼べません。

テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2016/12/11 16:25] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
まだ見ぬ書き手へ 2
 1994年に図書館から借りてきた、丸山健二『まだ見ぬ書き手へ』。先日、図書館祭りで古い本を(無料で)放出し、その数日後もまだ残っていた本の中に、この本を発見して持って帰りました。偶然、22年ぶりに、手にしたのです。



 小説を書き始める前のあなたは、結局何も見てはいなかったのです。自分自身も、他人も、世間も、ほとんど見ていなかったのです。他人を見る、世間を見る、それも必要以上に見るということは、自己の内面を覗き込む以上に、小説書きにとっては大切なことなのです。人間とは何か、人間としてどう生きるべきか、あるいはどう死ぬべきかという普遍のテーマに逃げることなく挑みつつけなければ、魂を揺さぶる、真の感動を呼び起こすまでには至らないのです。

 ありとあらゆる芸術が取り扱うのは、要するに魂の問題なのです。それと正面切って対峙している人はとても少ないのです。なぜならそれは暗く辛いことですから。幸福や安定に近づけば近づくほど人はそれから離れていってしまうのです。
 
 文学ほど個人に立ち返ることができる、つまり己の魂と向かい合うことができる芸術はほかに例がありません。書き手は読み手の数倍もの孤独を味わっていなくてはならないのです。孤独というものに慣れた、孤独のエキスパートでなければ書き手はつとまりません。

 創作に携わる者は、自分以外の力をあてにしてはいけません。あなたの小説はあなたのペースで、あなたが全責任を負って、誰にも口を出させず、最後の最後まで自力で完成させなければなりません。

 五年経っても、十年経っても、そこに待ちかまえているのは、今日と同じような、書く気があるのかないのか自分でもよく分からないような日々なのです。ともかく毎日書き続けた方がいいのです。大張り切りで書くことはありません。ともかく事務的に毎日少しづつ書くのです。持てる力の半分くらい出して、リラックスして、書き続けるのです。

 書き手になったからには、あなたの上にも、あなたの下にも、また、あなたの横にも誰かを置いてはならないのです。一人になることから始めて一人のまま終わっていくのが、芸術を追い求める者のあるべき姿なのです。
 
絵画や彫刻といった美術館の世界においても、自作を前にして恐ろしく次元の高い言葉で説明し、飾りたがる人がいます。そんなことをする必要はありません。そんなことは作品を読めばたちまち分かるのですから。その作品について作者がまだあれこれいいたいというのは、完成していない証拠でもあるのです。限界まで挑んだ作品なら、作品の意図するところを訊いてくる読み手に答えてやることはありません。

 心を開いて話ができる人間はあなたが考えているほど多くはありません。一生のうちに一人か二人いればいい方で、普通は一人もいない場合の方が多いのです。真の芸術家ならば絶対に仲間を作るようなことはしないはずです。あなたの作品に注目しても、あなた自身に接近をはかるようなまねしないはずです。

 もしあなたが独身で、どうしても結婚したいと考えたのなら、あなたに積極的に寄ってくる女性は外すべきでしょう。あなたが追いかけても逃げてしまう女性の中から選んだ方が、あなたにとってもその女性にとっても、より本物に近い恋愛になるはずです。

 一人で平然と生きてゆかれるようなあなたになるということです。一日中誰にも会わず、数ヶ月間口をきかなくても苦痛を感じない、というような人間を目指すのです。そこをくぐり抜けなければ何も見えてこないでしょう。
 



X2Z56016.jpg

倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし

テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2016/12/05 16:53] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
まだ見ぬ書き手へ 1
 丸山健二という小説家の作品では、小説は芥川賞受賞しか読んでいないが、エッセイはずいぶん親しんで読んだ。たしか「GORO」という雑誌に連載されていた『メッセージ 告白的青春論』角川書店 1980を、だから30年ぐらい前に、感心してよく読んだものだ。

 1966年、「夏の流れ」が第23回文学界新人賞受賞。
翌年、同作が第56回芥川賞受賞(23歳での受賞は当時最年少)

 その後、図書館で『まだ見ぬ書き手へ』朝日新聞社 1994を借りて読む。だから20年ぐらい前のこと。小説家を目指す若者にあてて書いた、これぞ小説家の生きる道、といった内容の本です。

 この中で、小説は7回、一から書き直せ。それで満足のいくものが3作できてから新人賞に応募せよと言っています。村上春樹も言っているように、なんども書き直すのです。書き直すことから学ぶものが多いようです。

 しかし文学では、書き直しというのはこれぐらいなのでしょうか。毎回、全然違った主題を見つけてこなければいけないものでしょうか。「四季」で有名なヴィヴァルディなんかは、ヴァイオリン協奏曲を何百曲も作曲しましたが、同じ曲を何百回も作曲し直しただけだなんて言われることもあります。

 モネの連作を例に出すまでもなく、画家にとっては同じモチーフを何度も描くのは当然のことです。絵を見るのも、何度も見るのが当然です。読書というのも、同じ本を何度も読むのを読書というのであって、一回や二回読んだぐらいでは、読んだことになりません。


 丸山健二『まだ見ぬ書き手へ』から、1994年に書き写した文章より。


 問題になるのは、才能の有無です。いかなる世界で生きるにせよ、そこで成功するには何をおいても才能が絶対不可欠であり、さらにその才能の質が問題となってきます。

 才能とは、普通の人よりも何か特別な力を持ち合わせているということではありません。むしろその反対で、普通の人が持っている能力を一つか二つ持っていないことなのです。

 本当に執筆に当てる時間は、あなたや愚かなプロの書き手が思っているほど長くありません。一日にせいぜい2,3時間が限度です。それ以上書いて書けないことはないのですが、書いてもただ書いただけという程度でしかないような代物になるだけなのです。

 嫌気がさしても、気分が乗らなくても、ほかに面白そうなことがあっても、体調が少々悪くても、一日に二時間きちんと書き、そして完成させるのです。何が何でも完成させてみせるという気持ちを持つことが第一で、その作品の質をどうやって高めてゆくかはそれからの問題です。

 創作の喜びとは、きょうあす中にどうにかなるような、一年や二年の奮闘で手にはいるようなものではないのです。プロの世界では楽しんだり、面白がっているうちは仕事になっていないのです。それを仕事という形にさせるには、ストーリーづくりの楽しさが消えた後どこまで深く彫り込めるかにかかっているのです。

テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2016/11/30 14:28] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
知的生活の方法2
 だいぶ前に、一度取り上げたことがあると思う『知的生活の方法』であるが、その時と違うと思われるところを書いてみる。創作活動というものは、孤独と規則正しい生活を求められる。語り合うべき友と、十分つきあうのは難しい。


『知的生活の方法 渡辺昇一』正編・続編より

 何歳になっても、知的生産の中心は、孤独で考えたり瞑想したりする時間、孤独で本を読む時間、孤独で作業する時間である。一日何時間か、全く孤独でいても心楽しいという気質ができていないと、知的生活は成り立ちにくい。

 詩人が詩を作り、画家が絵を描き、作家が文章を書くときは、全く孤独な時間の連続である。中断があって些事に注意を向けなければならないことは、しばしば他人の目には何でもないことのようでありながら、当人には致命的なことが多い。知的生活は、本質的に孤独であるが故に、語り合うべき友を求める生活でもあるのだ。

 「作品」と名の付くものは、その大部分は機械的な作業であることを悟らない人は、知的生産には無縁にとどまるであろう。インスピレーションが出てきたときだけ書くというのでは、俳句ならいざ知らず、長編小説は書けない。

 寡作の人がよい作品を書くわけではなく、たくさん書くとうまくなるのだ。機械的なやり方であったために、多作の彼がシーズン中には週三回狩りに出かける暇があり、毎日トランプし、社交も大いに楽しむことができたのだ。優れた長編小説家は必ず多作であり、多作の人は必ず機械的に書いているのだ。

 せいいっぱいの勤労をしていると、心はかえってのどかで余裕があるというのだ。外見的には機械的に動いているとき、かえって心は自由になり次から次へとアイデアやら構想が浮かび、洞察が深まってゆくというのが常である。

 つまり構想が構想である内は論文でも何でもないこと。一応の構想やら書いてみたいことが浮かんだら、書き始めてみなければ何もわからないということ。書き出す前の構想などは、実際は一枚目を書いたとたんに飛び散ってしまうことだってあること。

 まずなによりも肝心なのは、思い切ってやり始めることである。仕事の机に座って、心を仕事に向けるという決心が、結局一番むづかしいことなのだ。事をのばさないこと。体の調子や、気の向かないことなどをすぐ口実にしたりせず、毎日一定の適当な時間を仕事に捧げること。

 一度、この、仕事に没頭するというほんとうの勤勉を知れば、人の精神は、働き続けてやまないものである。

テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2016/11/10 20:16] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
嫌われる勇気 岸見一郎

 アルフレッド・アドラーの心理学については、堀江貴文の本と一緒に二ヶ月前に取り上げました。しかし今頃になって岸見一郎著の本を二冊読みました。

 まず続編になる『幸福になる勇気』の方から。プラトンの著作を意識した対話形式なので、酷く読みにくいです。分からず屋で我の強い学生が、いちいち反論して、話がなかなか先に進みません。しかし最後の「結婚について」は、今まで聴いたことのない目の覚めるような見解です。

 みんな自分にふさわしい相手がいないと思い、婚期が遅れているが、自分にあった仕事を探すのと同じで、そんな理想の相手などいないのだ。はっきり言えば、結婚の相手など誰でもいいのである。自分の継続した愛の力で、責任を持って結婚生活を続ける事こそが肝要である。そんなふうに受け取ったが、全部読んでいるとわかりにくい。

 ところが最初に出た方の、つまり大ヒットした方の『嫌われる勇気』を読んでみると、もっとダイジェスト的でわかりやすいものでした。


 それで、どうしてあなたが他者を「敵」だとみなし、「仲間」だと思えないのか。それは、勇気をくじかれたあなたが「人生のタスク」から逃げているせいです。

 まず、行動面の目標は「自立すること」と「社会と調和して暮らせること」の2つ。そしてこの行動を支える心理面の目標が「私には能力がある」という意識、それから「人々は私の仲間である」という意識です。

 自らの人生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」それだけです。その選択について他者がどのような評価を下すのか、これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。

 あなたが誰かに嫌われているということ。それはあなたが自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従って生きていることのしるしなのです。

 しかし「わたし」は、世界の中心に君臨しているのではない。「わたし」は人生の主人公でありながら、あくまでも共同体の一員であり、全体の一部なのです。「この人は私に何を与えてくれるか?」ではなく、「私はこの人に何を与えられるか?」を考えなければならない。


以下、再度見直した、アドラーの言葉の要点です。

すべての悩みは、対人関係の悩みである。
人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。
人は今この瞬間から変われるし、幸福になることができる。
問題は能力ではなく、勇気なのだ。
相手を支配するために、怒りという感情を創り出し利用したのだ。
健全な人は、相手を変えようとせず自分が変わる。
大切なことは共感すること。
どうしたらみんなを喜ばすことが出来るかを、 毎日考えるようにしなさい。
自分だけでなく、仲間の利益を大切にすること。
受け取るよりも多く、相手に与えること。
幸福になる唯一の道である。

テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2016/10/27 12:40] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ギリシア人の物語 まだ1巻

 全15巻に及ぶ『ローマ人の物語』の、冒頭部分にちょっとだけ触れられていたギリシア部分を、3巻にまとめようという本の、まだ一冊目です。厚くて文字も小さい本ですが、おもしろくて二日とかからずに読んでしまいました。

 『ローマ人』後に『ローマ帝国後の地中海世界』2巻、『十字軍物語』4巻がありました。それ以前に中世イタリア、特にヴェネチアについての著作もたくさんあります。それなのにギリシアについては書かないのか、という疑問はありました。

 ギリシアといっても、当然ですが、アテネとテミストクレスが中心です。その次がスパルタ。2万のペルシャ軍に対した、レオニダス率いる300人のスパルタ重装歩兵の玉砕などの、なんとなく知っている歴史的エピソード満載。テミストクレスがサラミスの海戦でギリシアのポリスをまとめ導き、勝利する。強大なペルシャに対抗するためとはいえ、それまで領土争いの戦争を繰り広げていた、極めて仲の悪いギリシアのポリスが、理性的に一致団結するところは感動的だ。

 なにしろギリシアの最盛期ペリクレス以前を一冊で取り上げているので、『ローマ人』の詳細な記述に比べれば、総集編みたいに話の展開が早い。もっと長くして欲しいぐらいです。

 半分は、テミストクレスのお話です。ペリクレス以前の大政治家。ローマでいうと、ユリウス・カエサル以前の、ルキウス・コルネリウス・スッラにあたるような偉人です。しかし、恐ろしいことに、このペルシャ戦役の英雄が、二人とも不幸な仕打ちを受けることになる。アテネのテミストクレスは国を追われペルシャに逃れる。スパルタのパウサニアスは、スパルタの国是に反するとして殺された。目立った才能を酷く嫌う民主制なのだ。

 20万人以上の、ギリシアに10倍する世界最大動員兵力を持ってきて、2世代にわたって大ペルシャ帝国が敗れる。なんだペルシャでも負けるんだと分かったとたん、各地で反乱が頻発し、ペルシャは弱体化する。アメリカ合衆国帝国をもってしても、キューバもベトナムも、北朝鮮も思うように出来ないのだ。


 このような歴史書では、司馬遼太郎であろうと、トルストイであろうと、物語の合間に作者が顔を出して、教訓的意見を述べます。『ローマ人の物語』では、そういうところがたくさんありましたが、こんどはほとんどありません。読者に気づかれないよう、物語にとけ込ませているのかもしれません。以下はその珍しい、教訓っぽいところ。

 正論を言うのなら、初めからそうしていれば良いものを、と思ってしまうが、人間世界はそう単純には出来ていない。人間とは、なにもスパルタ人に限らなくても、既成事実のない段階で正論を聴かされても、必ずどこか文句をつける箇所を見つけるものである。それが、既成事実を前にして正論を説かれると、本心からは納得しなくても、まあそれでよしとしようという、対応が穏やかに変わる場合が多い。

 人間とは、偉大なことでもやれる一方で、どうしようもない愚かなこともやってしまう生き物なのである。このやっかいな生き物である人間を、理性に目覚めさせようとして生まれたのが「哲学」だ。反対に、人間の賢さも愚かさもひっくるめて、そのすべてを書いていくのが「歴史」である。

 『ローマ人』の時も、途中の段階で、作者の命が、物語の最後まで持つのかという心配がされましたが、今回は3巻。問題ないでしょう。いや、もっと長く続けてほしいものだ。





[2016/09/29 19:34] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
青が散る 宮本輝


 久しぶりに上下2巻にもわたる長編小説を読んだ。「青が散る」 出来たばかりの新設大学のテニス部の話だ。ひょんなことから(今時めったに使わない表現)学園のアイドル的な美少女と知り合いになったが、つきあいが深まることもなく大人になっていく。

 ありきたりな青春小説ともとれるし、熱血根性部活の部分は共感できないし、わりと簡単に少女と仲良しになるところなど素直にのめりこめない。それでも読み終わると、美人と付き合えるのは別にしても、若い頃ってこうだったよなと思い出すことは多い。

 この手の青春小説は、有名なものもそうでもない作品も、特に取り柄のない男の子が、特別な美少女と仲良くなる話が多い。のび太くんとしずかちゃんだ。女性の作家が書くと話は逆になるのかもしれないが、読んだことがあるのは作者が男性の話ばかりだ。

 名画の場合だと、美人や英雄を描いた絵ばかりではなくて、真実の人間の姿を描いた、要するに美しくないと思われる絵もたくさんある。だからといってこの青春小説のような話を、バカバカしいと思うかというと、そうでもない。やはり美人と付き合うのは気持ちがいい。作家の想像力だけの産物とも思えない。そこそこ現実にあり得るのだと思っている。

 私の場合、高校時代に手の届かないような、好きな女の子がいたのであるが、ひょんなことからその女の子のお姉さんと仲良くなった。東京で下宿していたおねえさんの所へ、夏休みに遊びに行くようになり、その後、3人で映画を見たりするようになった。その元好きな女の子と、大学受験も一緒に行き、おべんとうも一緒に食べた。しかし結局、つきあいが深まることなく会わなくなった。

 そういうことを思い出す。その時に何らかの決断をした。しかしその時から、何十年か経っているのに、なにも解決していない。ずっと大人にならないのだろうか。

テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2016/09/12 20:06] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
自分の課題
あたえる


すべての悩みは対人関係の課題である。
人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。
人生はきわめてシンプルである。
苦しみから抜け出す方法はたった1つ。
他の人を喜ばせることだ。
「自分に何ができるか」を考え、それを実行すればよい。
自分だけでなく、仲間の利益を大切にすること。
あなたが始めるべきだ。
他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。
受け取るよりも多く、相手に与えること。
幸福になる唯一の道である。


 数ヶ月前、NHKの「100分で名著」でとりあげられた
アルフレッド・アドラーの心理学です。

 本屋で見る限り『嫌われる勇気  岸見 一郎, 古賀 史健(著)』から急に有名になったような気がします。この本は、何となく買う気がしないので、目次だけ見ていました。
気になったところは、『「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない』です。

 暑い日に、何か一冊本が欲しくて、選ぶ時間もなく買ってしまいました。
『本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方 堀江 貴文』 です。
【オリコン2016年上半期“本"ランキング、「新書部門」1位! 】なんて書いてあるので、普段だったら絶対に買いません。(いいわけが多い)

 中身を見ると、アドラーと同じような言葉が目についた。
自分の課題と、人の課題は違う。
人があなたのことをどう思うかは
相手の問題なのだから、放っておく。
 (ちゃんと、上記アドラーの本に書いてあることを明記してある)
その後の方に、ホリエモンらしからぬことが書いてあった。


やる気があれば、お金は関係ない。
「やり方」なんて、そもそもない。
まず貯めるべきはお金ではなく信用だ。
お金は、信用という複雑な存在を、単純な数値に落とし込んだツールである。
人から何か頼まれたら、信用に応えるように尽くす。
与えられた以上の価値を、必ず相手に与える。


テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2016/08/15 18:14] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
ありのままの私
ありのまま



 他の創作活動でもそうなのだろうが、絵を描く人には、自分の描き方や同じモチーフに固執する人が多い。なぜこんなものばかり描いている?気分が悪くなる。組み合わせが不自然だ。殺風景で暗い。展覧会でそのように感じる絵に出会うことも、少なからずある。

個性がなければ注目されないし、褒められもしないが、奇をてらっているだけの変わり者だと思われるのもつらい。印象派周辺の画家を思い出すまでもなく、ヘタクソと天才は計りがたい。誰にも理解できないからといって、無能と決めつけるわけにもいかない。

 特に、幼児や小学生などに絵を教え教えていた頃は気を遣った。その作品展では、幼児からおじいさんまで家族総出で見に来てくれる。子供は正直だ。教え子から「ヘタだ」「変な顔」「エロい!」「ヘンタイ」という言葉を聞いたことがある。

 最近は、子供と接することが少なくなったら、そんな怖れを感じなくなった。それでも人目を全く気にしないわけにはいかない。大人だって面と向かって「なんでこんな汚いものを描くのか?」という素朴な疑問を口に出す人もいる。純真な人にちがいない。描いたものの、世に出していない絵はたくさんある。ブログくらい、好きにさせてくれ。



『異性 角田光代 穂村弘』より

  じつは三十代に突入した私が「だれもありのままの私の真価なんか気づいてくれるはずがない」と気づいたのは、恋愛によってではなく、己の小説によって、だった。

  書くという仕事をはじめて十年近くたったそのころ、好きなように好きなまま小説を書き、それで読み手がどんどん増えて、評価も自然に高まるなんてことは、ないと気づいたのだ。大勢の人に読んでもらうためには、大勢の人に読んでもらうように書かなければならない。評価を得たいのならば、評価されるように書かなくてはならない。なんの考えもなくただ書き散らして、それでたくさん本が売れたり、褒められたり、なんてことはあり得ないと、あるとき急に悟ったのである。

 これは同時に、「化粧もせず、産毛の処理もせず眉毛もつながったまま、寝起きで目やにがつき、寝癖もあり、起きたままのジャージ姿で、でも、このまんまの私を愛してくれる人があらわれるはず」なーんてことがあり得ない、と悟った瞬間でもあったのだった。小説はともかく、そう知ることで、恋愛というものがちょっと楽になった。

テーマ:絵画 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2016/07/25 17:58] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
| ホーム | 次のページ>>