あるヨギの自叙伝

 古来日本の文化は、中国からもたらされた。その中国のエリートは、何かを求めてインドへ旅した。ギリシャのアレクサンダー大王の遠征もインドで止まった。古くから宗教・哲学が栄え、近代では、大英帝国から不暴力で独立を果たした。デルフィではないが、ここが世界の中心だと思っても不思議ではない。

 ここのところ「マインドフルネス」という瞑想法がはやっている。テレビでも取り上げられたし、本も何冊も出ている。数冊の本を読んでみると、書いてあることは、すでに古くからある瞑想法と何ら変わるところはないと思える。禅宗やヨガやリパッサナー瞑想と同じである。

 ヨガに関しては、妙な新興宗教が問題をおこしたせいで、ハタ・ヨガなどの体操法はともかく、瞑想や呼吸法については、インチキ臭く感じる人が多いだろう。古来ブッダも瞑想修行に励めと言っているし、この本でも瞑想が本筋で書いている。アメリカで出版された本であるせいか、キリストと聖書のたとえもよく出てくる。

 これまた最近、不食や一日一食などが話題になっているけれど、完全に食べない人が二人出てくる。著者はしっかり食べているみたいだが、ほとんど食べない、というか食事を気にしないたくましい聖者はたくさん出てくる。聖者ババジは何百年も生きている。亡くなった師匠が、ときおり復活して現れたりする。

 このようなインド聖者の不思議な話がやたらと出てくるが、なにしろ定価4,200円で分厚い本だ、とても著者の妄想だとは思えない。




『あるヨギの自叙伝  パラマハンサ・ヨガナンダ』より

「したいと思う事はするな。そうすれば、自由にしたい事ができるようになる」
「恐怖は正面から直視せよ。そうすれば消えてしまうものだ」

 「もし私が、食べずに生きる方法を人々に教えたら、お百姓たちはさぞ私を恨むことでしょうし、おいしい果物も、地面に落ちてムダに腐るばかりです。不幸や、飢えや、病気は、私たちに人生の真の意義を探求させるための、カルマのむちではないでしょうか」
 「では、あなただけが何も食べずに生きていけるように選ばれたのは、何のためでしょうか?」
 「人間が霊であることを証明するためでございます」


あるヨギの自叙伝

DVD>ババジのクリヤー・ハタ・ヨーガ (<DVD>)

聖なる科学―真理の科学的解説


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[2017/10/17 19:19] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
みみずくは黄昏に飛びたつ 2
みみずくは2


 今回の長編は、画家が主人公です。親近感を覚えるところと、反発を感じるところがあります。人物画を描くときは、相手や、その時の場合によって、いろいろあるでしょうが、シリアスすぎるようです。きっと村上さんは、自分が文章で人物を造形するときに、このように入れ込むのかもしれませんが。

 茂木健一郎の公演で、夏目漱石と村上春樹は、外国語に訳したときに、他の作家とは違うんだということを言っていた。これが、文体ですね。以下、本文から。



 僕はこれまで油絵って一度も書いたことがないんです。だいたい全部想像して書きました。それであとで専門家に読んでもらって、ここは変だとかアドバイスを受けて、細かいところを書き直しました。

 でも大筋でいえば、小説家が小説を書くことを、画家が絵を描くことにそのまま置き換えたらあとはだいたい想像力だけで書けちゃうんです。ほとんど同じ事です。何を見て、どこに焦点を絞って、どのようにイメージを立ち上げ、どのようにそれを展開していくか、順序とか、技法とか、創作意識とか、そういったものは、小説家が小説を書く行為と本質的に変わりはないです。

 面色さんが、初めて絵を描いてもらうときに、肖像画を描くことと、モデルとして描かれることは、お互いの一部を交換することだといった話をするあたりから、彼ら二人が、入り混じっていく感覚があるんですよね。(川上未映子)

 そう、文章。僕にとっては文章がすべてなんです。物語の仕掛けとか、登場人物とか構造とか、小説にはもちろんいろいろな要素がありますけど、結局のところ最後は文章が変われば、新しくなれば、あるいは進化していけば、たとえ同じ事を何度繰り返し書こうが、それは新しい物語になります。文章さえ変わり続けていけば、作家は何も恐れることはない。

 あのね、僕にとって文章をどう書けばいいのかという規範は基本的に二個しかないんです。ゴーリキーの『どん底』の中で、「おまえ、俺の話、ちゃんと聞いてんのか」って一人が言うと、もう一人が「俺はつんぼじゃねえや」と答える。

 もう一つは比喩のこと、チャンドラーの比喩で、「私にとって寝れない夜は、太った郵便配達人と同じくらい珍しい」というのがある。それが生きた文章なんです。そこに反応が生まれる。動きが生まれる。

 とにかく読者が、簡単に読み飛ばせるような文章を書いてはいけないと。小説的な面白さとか、構築の面白さとか、発想の面白さというのは、 生きた文章がなければ動いてくれません。

 いや、僕の感覚からすれば、まず文章がなくちゃいけない。中身ももちろん大事だけど、人間誰だって語るに足る中身くらい持ち合わせています。

 日本のいわゆる「純文学」においては、文体というのは三番目、四番目ぐらいに来るみたいです。だいたいはテーマ第一主義で、それから、たとえば心理描写とか人格設定とか、そういう観念的なものが評価され、文体というのはもっとあとの問題になる。

 文体の評価ということで言えば、日本語近代文学史の中で、やっぱり夏目漱石がひとつの大きな軸をなしていると思います。作品をすべて高く評価しているわけではないですが、漱石が確立した文体というのは、その後も長い間そんなに大きくは揺さぶられてはいませんよね。夏目漱石の文体を揺るがすような突出した存在は見あたらない。


みみずくは黄昏に飛びたつ

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[2017/09/22 17:24] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
みみずくは黄昏に飛びたつ
みみずくは3



みみずくは黄昏に飛びたつ 川上 未映子 村上 春樹

 この本は、久しぶりの長編『騎士団長殺し』を書き上げた記念のインタビュー集です。長編小説は、もちろん大変素晴らしいと思うが、それほど好きではない作品もある。しかし、文章に対するエッセイには感動的なものが多い。

『職業としての小説家』『走ることについて語るときに僕の語ること』『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』などは、もちろんストレートでいいのだが、読者からの質問に答える『そうだ、村上さんに聞いてみよう』三部作も楽しい。

 小説家に限らす、他の芸術家には、こんなに創作活動の秘密のあれやこれやを語ってくれる人はいない。たぶんいい人なのだろう。聞き手の若手小説家、川上未映子もとても深いことを質問している。創作活動をしていない、小説を読んでいるだけの一般の読者にとってどうなのか疑問は残るが。

 1981年に再録音がされて、音楽好きにはおなじみの、有名すぎるグールドの「ゴルトベルク変奏曲」です。ここで一般の音楽評論家からは聞いたことのない発言をしています。本当でしょうか。たとえば、小澤征爾との対談でのクラシック談義には、ピンとこないところがたくさんあります。

 (どうでもいいことだが)私と同じで、『草枕』を愛読していたグールドの演奏は特別です。そういわれれば、『草枕』も、左手が好きなことをしているような、小説とは思えない小説ですね。以下、本文から。



で、グレン・グールドの演奏って、他の奏者のものとは圧倒的に違うんですよね。
 やっとわかったのは、ふつうのピアニストって右手と左手のコンビネーションを考えながら弾いているじゃないですか。ピアノを弾く人はみんなそうしていますよね。当然のことです。

  でもグレン・グールドはそうじゃない。右手と左手が全然違うことをしている。それぞれの手が自分のやりたいことをやっている。でもその二つが一緒になると、結果的に見事な音楽世界がきちっと確立されている。
 でもどうみても左手は左のことしか、右手は右手のことしか考えていない。

 とにかくそういう乖離の感覚は、乖離されながら統合されているという感覚は、人の心を強く惹きつけます。なにかしら本能的に。

 僕はもう四十年近くいちおうプロとして小説を書いていますが、それで自分がこれまで何をやってきたかというと、文体を作ること、ほとんどそれだけです。

 とにかく文章を少しでも上手なものにすること、自分の文体をより強固なものにすること、おおむねそれしか考えてないです。

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[2017/09/12 18:13] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
マトリックス
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マトリックス
マトリックス リローテッド
マトリックス レボリューションズ

 映画館ではもちろん、テレビでもあまり映画を見ないのであるが、BSで放映されたので「マトリックス」3本続けて見た。全部見るのは2回目である。

「エイリアン」「ターミネーター」に続く、おもしろいシリーズだと思う。部分的には、たとえば空手で決着をつけるとか、適役のスミスとか、裏切り者に気づかないところとか、濃厚なキスシーンがあるところとか、不可解な部分は多いが、主題は、本当にありそうなことである。

 プラトンが「国家」に書いている。人間が見ているもの、現実だと思っているものは、影絵にすぎない。現代だったら、椅子に縛り付けられて見せられている映画にすぎない、と言うだろう。後ろをふり返って映画館から出ることはできないのだ。

 たとえあんなふうに機械に支配されていなくても、国民は、政府に忠誠を尽くす、洗脳されている奴隷のようなものだから、どっちでもいいか。

 奴隷というのは、必ずしも、過酷な労働にこき使われて虐げられた存在というわけではない。ローマ時代の奴隷には、皇帝の家庭教師などもいる。人によっては、結婚も出来るし、旅行なども自由に出来た。解放奴隷として、市民権を持てるようになる人もいる。見た目にそれほど不自由ではない。

 奴隷とは、自分の所有権が自分にないということだ。誰かが所有権を持っている。だから他の所有者に売られることがある。

 だから、どこぞの国民や社員であるということは、同じようなものでしょう。楽しい映画を見ている方が、幸せに違いな。

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[2017/08/26 21:18] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
恋愛は顔で決める。
 最近やたらと見かける千田琢哉さんの威勢のいい本です。もう20冊ぐらいは読んでいると思いますが、これはまた目次などのパンチが効いています。
おおざっぱに言うと、アドラーや堀江貴文などと同じように
「他人の目を気にして我慢をするな!」ということです。

 わたしもひどく世間の付き合いが悪く、現在住んでいるところから8時間もかかる田舎で、2回ほど身内の葬式に出たことはありますが、他には一切、結婚式も葬式も出たことがありません。同窓会は、最近になってやっと2回出ました。

 スマホはもちろん携帯も持たず、腕時計も持たず、銀行でお金を降ろしたこともなく暮らしています。田舎に帰省するのも(残念ながらそれくらいはする)、人に合わせる気がないので、お盆や年始などは外しています。もちろん年賀状などは出しません。

というわけで、
『やめた人から成功する。 千田琢哉』の目次から。


「逃げる」ことから逃げない。
「我慢している人」は、他人にも我慢を強要する。
「苦労すれば報われる」ほど人生は甘くない。
好きな人と好きなことだけするのが、極上の人生。
我慢しなくてもいい環境作りが、正しい努力。
他人の夢の奴隷にならない。

我慢に慣れると、召使いの背中になっていく。
断る理由をしつこく聞かれても、返事はしなくていい。
ズバリ本音を口にしないと、相手をつけあがらせる。
仕事の相性は能力ではなく、時間の感覚が一致するか否か。

無断で5分以上遅刻してきた相手は、会わなくてもいい。
少しでも不快に感じた空間からは、即飛び出す。
「飲み会に参加しない」というブランドを、早く構築する。
お金持ちになるのは、我慢しなくてもいい人生を獲得するため。
躊躇することなく、タクシーに乗ってみる。
たくさんお金を払って、人口密度が低い空間で快適に過ごす。
あなたに敬意を払わない人からは、いっさい買い物しない。
忙しい人に巻き込まれると、いずれ貧乏になる。

「人脈を増やさなきゃ」という発想が、人を小粒化させる。
一晩寝ても感じ悪さが残る人とは、もう会わなくてもいい。
お願いしない。お願いされない。
親を長生きさせたかったら、適度に心配をかけておくこと。

恋愛は顔で決める。
あなたの周囲にいる異性は、あなたの鏡。
睡眠時間を誰にも妨げられない人生が、極上の人生。

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[2017/07/25 18:21] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
門下生への手紙
  ただ一つ君に教訓したき事がある。

 僕は子どものうちから青年になるまで、
 世の中はけっこうなものと思っていた。

 旨いものが食えると思っていた。
うつくしい細君がもてて、
 うつくしい家庭ができると思っていた。

 換言すれば、これらの反対をできるだけ避けようとしていた。

 然るところ世の中にいるうちは
 そこをどう避けてもそんな所はない。

 不愉快なものでも、嫌なものでも一切避けぬ。

 進んでその内へ飛び込まなければ、
 何にも出来ぬということである。

死ぬか生きるか、命のやりとりをするような、
 維新の志士の如き烈しい精神で文学をやって見たい。

1906年 明治39年 39歳の夏目漱石


  昨日、偶然50年前の夏目漱石全集の解説を読んでいたら、この文章の原文らしいものが載っていた。
これの3倍ぐらいの量があった。今では使わないような言葉もあった。
ここでは、わかりやすくちょっと変えてある。
              

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[2017/07/19 17:34] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
騎士団長殺し届く
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 最近、夏目漱石の、虞美人草、彼岸過迄、行人、明暗を読んだところで、半年に一冊づつくらいのペースで出ている吉川 一義訳の「失われた時を求めて」を借りてきた。10巻と11巻、囚われの女である。この2冊だけで、漱石4冊文に匹敵するだろう。

 そこで読み始めたら、図書館からリクエストしていた「騎士団長殺し」が届いた。この本は、毎度ながらさいたま市の図書館では1000人待ち状況だったのだが、春日部市では半年ほど待って届いた。

 両方はムリなので「失われた時を求めて」は、早速返却した。(この本は、いつでも借りられる)「戦争と平和」と「カラマーゾフの兄弟」を2週間で読めと言われても、はなからムリだろう。あるいは「ニーベルングの指輪」を1日で聴け、と言われたら、ああ、何とかできるか。

 そんなわけで読み始めたのだが、2日で半分、つまり一冊読めてしまった。結局、4日で2巻読めた。続けて「失われた時を求めて」も読んでもよかったのだ。7年ぶりの長編、「カフカ」並の長さでありながら、読み終わって『スプートニクの恋人』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』のような短めの小説を読んだ感じしかしなかった。後半にクライマックスもなかったし、いつものように穴倉探検がある以外は、それほど事件は起きない。ちともの足りない。

 しかしなんと、愛好している「草枕」のように主人公がオペラ好きの画家の話ではないか。冒頭で、画家が妻に逃げられる。その女性関係も親近感が持てる、というか似たような経験があるような気がする。ただ、やたら別れた奥さんとか、死んだ妹のことを繰り返し考えるところは執着しすぎで気分が悪くなる。

 「ドン・ジョヴァンニ」が主題音楽なのもいい。次に、《薔薇の騎士》。村上春樹はいつも具体的に演奏者を挙げるが、なんでまたよりによってゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニーの演奏なんだ。クライバーとかカラヤンとか、ベームとかバーンスタインとか(クナッパーツブッシュとか)いろいろあるではないか。

 主人公の友人も、画家の息子で美大出なので、絵画論が雄弁に語られる。他の人もやたらと絵を見る目がある。ここで語られる絵画論は、文学論の焼き直しではないかと思われる。ともあれ「草枕」の画工の説と同様、すなおに納得はできない。しかし村上さん、古典音楽といい、絵画といい、造詣が深そうに見える。これも翻訳で読むと、素晴らしいのかもしれない。


騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

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[2017/07/16 18:15] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
『虞美人草』
 有名な夏目漱石の作品なのだが、ちゃんと読んだことがあるのは『三四郎』だけである。かねてから書いてあるように、『草枕』は、CD5枚組の音声を、2年ぐらい毎晩のように聞いていた。『こころ』は、同じく朗読CDを、10枚組を、やっとのことで一回聞き通しただけで、ひどく苦しかった。

 司馬遼太郎の公演で言っていたが、サイデンステッカーに会ったときに、夏目作品でどれが好きか聞かれたそうだ。(試験ですな)『三四郎』と答えると、相手も「僕もそうだ」と言ったので、お互いにホッとした。そんな話も聞いていたので、『三四郎』以外は、変な小説ばかりだなと思っていた。

 「吾輩は猫である」は、自分のことを猫が見た自虐ネタのようなものだし、「ぼっちゃん」は痛快小説のように言われているみたいだが、これほど世渡りのヘタな人間の話は読んでいて苦しい。『三四郎』にもちょっとそういうところがある。

 先日偶然、茂木健一郎が漱石について講演しているのを聴いた。漱石は紫式部以来の偉大な文学者と言っている。漱石は文章がうますぎるので、逆に分かりづらいが、英語に訳しても素晴らしい。日本の、たとえば芥川賞なんかは、日本語としての文章のうまさをみるので、たとえ小説として優れていても、日本語的に問題があると受け付けない。

 ドストエフスキーも、トルストイも、翻訳で読んでいるわれわれは、どちらも同じように優れた文学だと思っている。ところがロシア語で読むと、トルストイの文章は格調が高いが、ドストエフスキーの文章は未熟であるらしい。だから『三四郎』も、村上なんとかなんかも、英語で読んだ方がおもしろい。『三四郎』のなかでも、与次郎が抜群におもしろいそうだ。

 というわけで、

 漱石の『虞美人草』を読んだ。内容は大変おもしろかった。しかし、文章は「草枕」のように、漢文調の作者の意見がはさまっていて、お話が途切れ途切れになる。古い英文学には、いちいち作者が意見を述べる小説があるが、まだ口語文が確立していない100年前の文章が、今でも読めるのはすごいことだ。

 登場人物は、エキセントリックな美人である藤尾とその母親以外の人は、とてもいい人なので救われる。世渡りでしくじったりしない。物語としては、それまでの漱石の作品同様、実のところ、よくわからない。

 虞美人というと、思い出すのは当然、項羽の虞美人。漢文で習った。しかし、この小説との関連は、まったく分からない。『垓下の歌』(がいかのうた)は、楚漢戦争最後の戦いである垓下の戦いにおいて、項羽が虞美人に贈った詩。

力山を抜き気世を蓋う
時利あらず騅逝かず
騅の逝かざる奈何すべき
虞や虞や若を奈何せん

わたしは、『草枕』『虞美人草』『三四郎』が好きなようだ。
特に、『草枕』『三四郎』は、
絵になりますよ!、絵が完成、で終わるところが、なんだかとてもいい。


虞美人草 (角川文庫)

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[2017/06/25 12:45] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
完訳太平記
足利尊氏珠子

片岡球子作 足利尊氏


『太平記』(たいへいき)は、日本の古典文学作品の1つである。歴史文学に分類され、日本の歴史文学の中では最長の作品とされる。

 全40巻で、南北朝時代を舞台に、後醍醐天皇の即位から、鎌倉幕府の滅亡、建武の新政とその崩壊後の南北朝分裂、観応の擾乱、2代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任まで(1318年 (文保2年) - 1368年(貞治6年)頃までの約50年間)を書く軍記物語。(うぃきぺでぃあ)


 4月から、あまり本を読んでいませんが、『太平記』を読み始めました。
日本史の中では、バタバタしすぎていてわかりにくい時代です。読んでみると戦時中の皇国史観に利用されたほど、後醍醐天皇や楠正成が、過度に立派に描かれているわけでもない。仏教的因果応報論にもとづき、後醍醐天皇は徳を欠いた天皇として描かれる。天子に徳がないと、国が乱れる。

 北条高時に徳がないために鎌倉幕府が滅亡に至ったとしているが、そんなに悪い人ではなく描かれている。新田義貞もなかなか立派な武将のようだ。やたらと、義のために自決する武士が多くて、ちょっと辟易する部分はある。

 新田と足利は10代くらい前に兄弟で別れた、元は頼朝と同じ源氏の家系。新田の方が兄で、足利は弟だったが、どういうわけか足利が源氏の本流と思われていたようだ。

 当然であるが、足利とかいう名前は、荘園などの場所の地名であって、正式の名前は源尊氏。北条は平氏。グレコも、ダ・ビンチも地名だし。徳川は新田の家系を引いていると、いうことになっている。

 騎馬武者の人数が10倍ぐらい大げさに書いてあるように感じる。弟の足利直義が50万騎で駆けつけるとか。楠正成の千早城が100万の鎌倉軍でも攻め落とせないのに、鉄壁の鎌倉が、なんで新田義貞軍に破られるのか。ほとんど天下統一間近の豊臣秀吉軍でさえ、20万で小田原城を囲んで、北条の降伏待ちなのに。

 途中で、関連のある中国の歴史が語られる。項羽と劉邦や、始皇帝や、呉と越の話などが、方便やちょっとした引用ではなくて、数ページにわたって詳しく語られる。四面楚歌の場面や、「虞や虞や、なんじをいかんせん」なんていう虞美人も出ていた。20巻まで、半分まで読んだところで、まだ足利尊氏は、それほど目立っていない。

 足利尊氏が、九州勢を引き連れて淡路あたりから関西に上陸するところでは、敵味方入り乱れて半鐘を鳴らした。数百万の軍勢の、その音は何十里にも響き渡り、地軸が傾くほどであった。そうな。
 その頃から、地球の地軸なんて、知っていたのだろうか。

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[2017/06/06 17:04] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
うましうるわし奈良
 先日「そうだ京都、行こう。」を取り上げました。そういえば、最近になって奈良もやっていたなと思い出して検索してみたらありました。

JR東海の「うましうるわし奈良」のキャンペーンが始まってから、
2016年で10年だそうです。
「うましうるわし奈良」の10年 という本です。

 16年ほど前から、毎年奈良に行ってます。(ここ3年行ってない)飛鳥がいちばん多いですが、とにかく行きだしたときにはまだ、奈良は特集されていませんでした。毎年奈良に行くついでに、行きと帰りに通過する京都も観光するようになりました。最近はだんだん琵琶湖周辺にも手を広げています。

 法隆寺、東大寺、長谷寺、室生寺、薬師寺、飛鳥寺や巨石のある飛鳥。桜の吉野。など京都にはない古くて重量感たっぷりのお寺や仏像がたくさんあります。


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奈良2s

奈良6s

奈良3s

奈良4s

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「うましうるわし奈良」の10年


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[2017/05/21 15:33] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
誰が音楽をタダにした?
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 今週はたまたま、音楽を愛好する人にとって大変な問題を取り上げた本を読みました。
この本の訳者が後書きにも書いてありますが、今の携帯音楽プレイヤーで聴いている若者は、かつて音楽はお金を出して買っていたということを知らないのではないでしょうか。

 60年ぐらい前のレコードは、確か、給料一ヶ月分くらいの値段がしていました。物価に変動して値段はほとんど変わらず、だいたい1枚、2千円~3千円ぐらいだったはずです。(今でもそうですね)

 それが今では、ネット上で探せば、どこかで手に入ります。
『誰が音楽をタダにした?  スティーヴン・ウィット』です。

まずはアナログLPがCD(デジタル・オーディオ・コンパクトディスク)になり。そのCDが、パソコンの記録装置としても標準装備されたことから悲劇は始ります。

 CDの録音容量を圧縮できるMP3の開発。誰が発信したかわからないインターネットの普及。そしてユニヴァーサルミュージックの巨大CD工場に勤務している1人の男が発売前のCDを盗み出す。それを変換してネット上に流すチーム。

 このたった一組のチームによって、ネット上に出ているほとんどの音楽が流失しました。おかげでCDレコードの売り上げが激減。レコード会社の力が衰えました。

 かつてウォルター・レッグは、レコードを売りたいのなら、わたしとジョン・カルショウをレコーディング・プロデューサーに呼び戻すことだと言いました。ろくでもないレコードばかり作っているから売れないのだと言いたかったのでしょう。

 今となっては、辣腕プロデューサーをもってしても、かつてのようなオペラの録音はできません。カラヤンやベルリンフィルを、一週間も拘束しておけるような予算などあるはずもありません。    

 このままでは、レコード音楽はもちろんタダ同然ですが、本もタダになって、そのうち油絵なんかも、本物そっくりのコピーが出回るのではないかと心配しています。まあ、コピーできるようなものと、本物はまったく違うのですが、そんなこと気にしない人が多くなれば、価値が下がることは間違えありません。

 そうは言っても、ネット上で探せば、どこかで手に入りますと書きましたが、それは有名なものだけで、クラッシックのほしいものは、実はそう簡単に手に入りません。本なんかも、アマゾンにもほとんど売ってません。「ネット上で何でも売ってるじゃないか!」と言っている人は、あまり音楽を聴かない人、本を読まない人ではないかと思っています。


誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち

なぜアマゾンは1円で本が売れるのか

一枚のディスクに―レコード・プロデューサーの仕事


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[2017/03/10 16:54] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
内田樹の最終講義
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 最近は、先生に対して「これこれを覚えて、何か役に立つんですか?」という質問をする生徒が増えたそうだ。高校生・大学生ばかりではなくて、小学一年生からも出るそうだ。大人に対しても難しいだろうが、小学生を納得させるような説明は不可能だろう。それは「何のために生きているのですか?」「長生きすると何か良いことがあるのですか?」

 私も学生の頃に、源氏物語の感想を聞く先生に対して、こんな話全然おもしろくないと発言して困らせた覚えがある。こんな古い宮廷物語なんて勉強する意味があるのかと思っていたのだ。ある漢文の先生は、今は勉強する意味が分からないだろうが、大人になったら役に立つと言った。あなたは漢文の先生をやっているから、役に立っているんだろうと思った。

 しかし、今になって思うと、古典や漢文をちょっとだけかじっておいて良かったと思う。国語の時間に習った文章、とりわけ和歌なんかは、ある時ふと心に浮かんで。ああ、この感情とピッタリ寄り添う歌だと気づく。それから、毎年訪れる桜を見る感慨が、年と共に深まってゆく。若い頃って、人も景色も、何も見てなかったんだと気づく。

 吉田松陰が幼少の頃から、体罰を含む厳しい教育を受けて育ったことは有名ですが、
『最終講義 内田樹』
ここにも驚くことが書いてありました。以下、自由に抜粋。


 吉田松陰が叔父の玉木文之進から素読を習うときの逸話。玉木が田を耕していて、一畝耕して戻ってくるまでに、指示された箇所を暗記する、覚えていなかったらはり倒されるという非常に過酷な授業をしたわけです。

 子供に四書五経の素読なんてさせたって、学問的有用性はまったくないんです。では、いったい何を教えているのかというと、「子供には理解できないような価値が世界には存在する」ということそれ自体を教えているわけです。子どもに、「手持ちの小さな知的枠組みに収まるな」ということを殴りつけて教え込んでいる。それさえわかれば、後は子ども自身が自学自習するから。

 ふつうは感動が先で、それを「言葉にする」という順序でものごとは起こると思われているけれど、そうでもないんです。最初に言葉がある。この言葉が何を意味するかよく分からないままに記憶させられる。そして、ある日その言葉に対応する意味を身体で実感することが起きる。

 まず言葉がある。「しずこころなく花の散るらむ」とか「心頭滅却すれば火もまた涼し」とかいうのは言葉だけいくら覚えても、十歳やそこらの子どもに身体実感の裏づけがあるはずがない。でも、言葉だけは覚えさせられる。それによって、自分自身の貧しい経験や身体実感では説明できないような「他者の身体」「他者の感覚」「他者の思念」のためのスペースが自分の中にむりやりこじ開けられる。そして、成長してゆくうちに、その「スペース」に、ひとつづつ自分自身の生々しい身体実感、自分の血と汗がしみこんだ思いが堆積してゆく。そんなふうにして子どもは成長してゆくんです。

最終講義 生き延びるための七講
街場の共同体論
困難な結婚


 だからね。たとえばピカソの絵なんかも、本物を見ておいた方がいいと思うぞ。

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[2017/02/25 17:28] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
続・写実絵画とは何か?
続・写実絵画2


 前回は、『写実絵画とは何か? ホキ美術館名作55選で読み解く』から生島浩さんの作品を載せました。『写実画のすごい世界』『写実画のすごい世界2 - キャンバスで輝きを放つ女性たち』も見ました。

 最初は、もちろん、本物ではなくて、小さい画集ですから、写真みたいに描いていることに感動するのです。徐々に、やっぱり、女性の裸を写真みたいに描いているだけでは何とも思わなくなってくる。実際にホキ美術館で見てきた人に聞いても、それほどおもしろいものではないという。

 そりゃあ、写真とは全然違うけれど、写真だと思えば取り立てておもしろくない。実際に、これは油絵ですよ!と言わないで画集を見せると、写真だと思って驚いてくれない人が、数人いた。目が悪いんだな。

 やっぱり見慣れてくると、写実的かどうかということの比重は弱くなってくる。ふつうの古典的人物画と一緒で、たとえばレンブラントの自画像、絵としての要素が良くなければ感動しないという、当たり前の感想になってくる。

 構図や色遣いが的確か、モデルの豊かな精神性が表現されているか、画家の気合いが入っているかなんてことが大事になってくる。日本の絵ではほとんど感じることはないが、モデルの伝統に裏打ちされた精神の高貴さが表現できればいい。

 それで生島浩さんの作品がいいと思ったのですが、他の本でもう一人お気に入りを発見しました。今井喬裕さんです。


写実絵画とは何か? ホキ美術館名作55選で読み解く
写実画のすごい世界
写実画のすごい世界2 - キャンバスで輝きを放つ女性たち




続・写実絵画3

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[2017/02/19 10:17] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
塩野七生の言葉
 桜の開花予想、おおむね平年並みといっているが、要するに思っているより遅めということだ。一週間ぐらい早いという予想は聞くことがあるが、平年よりも遅いといった予想は、ほとんど聞いたことがない。今期は比較的暖冬だったので、遅めという説明だ。3月後半に寒くなったりすると、とりあえず開花はしたものの、満開が一週間ぐらい遅れたりする。だからおそらく3月中に満開になることはあるまい。

 そんなことばかり気にしているが、先日読んだ『ギリシャ人の物語』の2冊目も出た。それで塩野七生の文章を読み直してみた。



 教育の成果とは、教える側の資質よりも教わる側の資質に左右されるものである。

予定通りに進むことなどは起こらないのが人間社会の常である。実戦を知っていれば、すべてが予定通りに行かなければ効果が上がらないような戦略は、もともとからして立てはしないのである。

 敬意を払われることなく育った人には、敬意を払われることによって得られる実用面での波及効果の重要性が理解できないのである。ゆえに、誠心誠意でやっていればわかってもらえる、と思い込んでしまう。私などはときに、人間とは心底では、心地よくだまされたいと望んでいる存在ではないかとさえ思う。

洞察力と表現力は相互関係にある。鋭く深い洞察を的確に表現する才能は、次に来ることのより鋭く深い洞察につながる。頭の中にあるよりも文章になった場合のインパクトは、他の誰よりもそれを書いた当人に対して強く影響するからである。

孤独は、創造を業とする者には、神が創造の才能を与えた代償と考えたのかと思うほどに、一生ついてまわる宿命である。それを嘆いていたのでは、創造という作業は行使できない。ほんとうを言うと、嘆いてなどいる時間的精神的余裕もないのである。

 女は本当のことは自分で分かっているんだから、あなたが言ってはいけない。うそをつく必要はないけれど、だからといって本当のことは言うな。

 女の言いなりになる男というのは二級なんです。自分の言いなりになる二級の男で我慢するか、それとも言いなりにならない一級の男を選ぶか、どちらに決めるしかないんです、女は。

 人間、これまでははずっと有効であったことを変革するくらい、困難なことはない。 高齢者だから頑固なのではない。それは、優れた業績をあげることによって、彼らが成功者になったからである。年齢が、頑固にするのではない。成功が、頑固にする。


ギリシア人の物語II 民主政の成熟と崩壊

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[2017/02/16 19:45] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
写実絵画とは何か?
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 ホキ美術館は、千葉市緑区にある美術館である。主に現代の日本人画家による写実絵画の細密画を専門に収集・展示している。しかし、遠いので、まだ訪れたことはない。

 いちおう日本全国全都道府県行ったことはある(通過も含む)ので、遠いと感じるのは変だと思うかもしれない。そもそも首都圏近郊はあまり移動する気がしないので、山梨、群馬、栃木、茨城、千葉、神奈川などは、ほとんど意識に上らないというか、把握していない。10回以上訪れている、京都国立近代美術館の方が、ずっと近いし、馴染みがある。

 『写実絵画とは何か? ホキ美術館名作55選で読み解く』という、比較的安価な本だ。この手の写実画の本は、画集の中では格段に安く売っている。静物画や風景画も載っているのだが、なんといっても人物画である。裸体を求めているわけではない。なんといっても美しい女性の絵である。

 中でも、本の表紙にもなっている生島浩の「5:55」が目をひきます。ポストカードの人気でも一番だそうです。それにしてもなんていうタイトルでしょう。(江頭2:50 じゃないんだから)モデルが6時に帰ってしまうから、その直前という逸話が広まっていると、作者が書いている。

 同じく誌上に載っている作者への質疑応答で、描く上でのコツのようなものはありますか?という質問に、こう答えていた。「モデルさんに惚れないこと。逃げられてしまって、取り返しのつかないことになります。」

 モデルさんの選び方は?「女の子と一緒に街中などにスカウトに出かけます。見かけたら連れて行った女の子に声をかけてもらいます。僕が最初に声をかけると、まずOKをもらえないので」「相手が描きたいタイプなのか、実はおつきあいしたいタイプなのか、一瞬迷うこともあります。」


 惚れてもいないのに描くのは困難だと思うし、取り返しがつかなくなりたいものです。
(いちおう、おすすめの本のコーナーです)
 

写実絵画とは何か? ホキ美術館名作55選で読み解く
写実画のすごい世界
写実画のすごい世界2 - キャンバスで輝きを放つ女性たち



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[2017/02/13 17:27] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
好きになられる能力

 自戒の念を込めていう。最近の多くの人は、挨拶されても、ろくに挨拶も返さない。相手に気を遣った返事もできない。買い物やレストランでの、店員の対応に、気分を害することが多い。なぜもっと、誠意の感じられる受け答えができないのだろう。

 私たちは、資格や技術を持って、一流の仕事をしていれば、自分に仕事がきて当然だと思っている。自分はちゃんと仕事をしているつもりなのに、注文は少ない、上司から褒められない、給料は上がらない、部下や周りの人に避けられている。おまけに、プライベートでは家族と気持ちよく日常会話ができない、友だちがいない。

 「人は感情で動く」とは、カーネギーの成功哲学のもっとも最初に出てくることだ。 あなたを成功させてくれる人。あなたにお金を持ってきてくれる人は、あなたの周りの人です。あなたの周りの人に好かれなくてどうしますか。

 そういうことは、わかったつもりでいたのですが、この本を読んで心を入れ替えようと思います。後半は、正座して読みました。

以下、『好きになられる能力  成功するための真の要因 松崎 久純』より抜粋。



 人といきなり目があって、その人がいることに気づくのはめずらしい。むしろ、その人がそこにいるのに気づいてから、目を合わせることがほとんどだろう。つまり、私たちはまず、私たちのことを意識していない人の様子を見るものなのだ。

 人はまだ、私たちと向かい合って話していないときから、私たちのことを見ている。客が店員を見定めるのは、まだ対面していないときだ。そのとき、ある店員がにこやかでなければ、客は他の店員を選んでしまうだろう。

 私がやっていたのは、極端にいえば、難しい顔でオフィスに入ってきて、悩みの多そうな顔で歩き、用件のある人と目があったときだけニコッとするというものだ。これは適切な笑顔の作り方ではない。大切なのは、いつでもできるだけにこやかにして、ポジティヴな雰囲気をつくることだったのだ。



 私たちは、自分が正しいと主張してもうまくいかないことが多い。同時に認識しなくてはいけないのが、「自分にとって大切なことは、自分以外の人により決められている」ということなのである。

 自分の専門分野で実力をつければ成功する、あるいは、もともと持っている自分の魅力だけで人を惹きつけられると信じている人には理解しにくいだろうが、多くの人が成功できない理由は、その人が周囲の人に十分な好感を与えられておらず、味方になってあげたいと思わせられていないことにあるのである。

 私たちは、いくら実力があっても、専門分野の能力が高くても、人から選ばれることがなければ、運のない人生を歩むことになるのだ。誰もが専門分野の強化には一生懸命だが、人に選ばれることについては、案外無関心なのである。そのため、自分を選ぼうとする人たちを無意識に追い払うことさえある。

 私は「非常勤講師をしています」と話すが、私が教壇に立てるかどうかを決めているのは、常に、私以外の人なのである。
 異性と交際しているときに、「つき合っている」と表現するのは普通のことだが、実際のところ、自分がそれを決めたというよりは、相手の人が、自分とデートをしてもいいと決めているのだ。

 自分以外の人が、何に基づいて、私たちにとって大事なことを決めているかというと、私たちが「正しいかどうか」ではない。彼らは、それを「感情」で決めるのだ。ほとんどの場合、彼らが「感情で決めますよ」と話すことはない。だが、彼らはすべてを感情で決めて、後からもっともらしい理由をつける。感情で決めたことを正当化するのである。

 こうして感情で何が決められているかというと、ほとんどすべてのことだ。人事も賞与の金額も、ビジネスの取引さえも、感情で決まる。

 私たちはどんな人と一緒に働きたいと思っているかといえば、特別に才能のある人でもなければ、高い業績を上げている人でもなく、社会的地位の高い人でもない。その代わりに、私たちは、自分のことを認めてくれる人、大事にしてくれる人、気にかけてくれる人と一緒に働きたいと思っている。




究極の速読法 松崎 久純
好きになられる能力 ~成功するための真の要因~ 松崎 久純

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[2017/01/25 17:52] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
吉永小百合
 元来、映画も10年に一度ぐらいしか行ったことはないし、カラオケで歌うなどということも数年に一度ぐらいしかなかった。人との付き合いがないだけだと言ってしまえばそれまでのことであるのだが、外へ出るのは、オペラを見に行くぐらいだったのだ。

 ところが一昨年、一人でカラオケに行って、ほぼ一日中いる(ずっと歌っているわけではないらしいが)という、ある人に誘われて六回ほどカラオケに行った。一回あたり3時間。平日だと何時間いてもそれほど料金が違わないらしい。たいていドリンク飲み放題でもある。

 そんなに長時間いると、若い頃なじんでいた、ニューフォークとかニューミュージックといわれていたものだけではなくて、よく知らない古い歌や、新しい歌も試しに歌ってみることになる。だから朝ドラの「麦の歌」や「365日の紙ヒコーキ」なんてのも歌ってみたのだ。「赤いスィートピー」や「乙女のワルツ」「卒業写真」も歌ったのだ。女子の歌ばっかり挙げてみたが、女子では中島みゆきが圧倒的に歌いやすい。

 もちろん、つれていってくれたオジサンは、ほとんど演歌しか歌わないので、半分くらいは付き合いで古い歌を歌う。「上を向いて歩こう」「氷雨」「知床旅情」「メランコリー」「港町ブルース」「雪国」「いつでも夢を」なんてのです。

 あるとき藤山一郎の「青い山脈」を入れてみた。何でこんな古い曲に馴染んでいるのか分からないが、よく知っているのだ。歌はもちろんちゃんと歌った(つもりである)が、映像がすごかった。吉永小百合主演の映画版「青い山脈」が映っていた。若い、かわいい。かわいすぎる。

 感動して、二人とも歌はそっちのけで画面に見入っていた。どういうわけか本人の歌である「いつでも夢を」の時は、本人の映像はなかった。もう一度カラオケに行くことがあったら、「青い山脈」を忘れないようにしようっと。
(違う映像バージョンも多いと思うので、マネしないように)
何度でも言いたい。
吉永小百合、かわいい。


吉永小百合若s

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[2017/01/15 18:13] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
女のいない男たち 村上春樹
 村上春樹の小説では、長いものしか好きではない。短編集はもちろん、「多崎つくる」や「アフターダーク」のような短めの小説も好きではない。最近の短編集「女のいない男たち」も、たまたま図書館で見つけた、もう人気がないということか、ので期待しないで読み始めた。

 冒頭の「ドライブ・マイ・カー」と「イエスタデイ」は、ポールの名曲ですね。前者は名盤『ラバーソウル』の開始曲なので、全体の色を支配する勢いがあります。そのせいがあるのかないのか、一般的には好意をもって受けいれられているとは言えない本だと思いますが、前半は、テーマとはそれほど関係なく、人生を深く掘り下げているような感銘を受けました。


 3編目の「独立器官」より、気になったところを。

『逢い見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり』 権中納言敦忠

 恋しく思う女性と会って身体を重ね、さよならを言って、その後に感じる深い喪失感。息苦しさ。そして、そんな感情を自分のものとして知ることのなかったこれまでの私は、人間としてまだ一人前じゃなかったんだなと痛感しました。


 すべての女性には、嘘をつくための特別な独立器官のようなものが生まれつき備わっている。
 どんな嘘をどこでどのようにつくのか、それは人によって少しずつ違う。しかしすべての女性はどこかの時点で必ず嘘をつくし、それも大事なことで嘘をつく。大事でないことでももちろん嘘はつくけれど、それはそれとして、いちばん大事なところで嘘をつくことをためらわない。
 そしてそのときほとんどの女性は顔色ひとつ、声音ひとつ変えない。なぜならそれは彼女ではなく、彼女に具わった独立器官が勝手におこなっていることだからだ。だからこそ嘘をつくことによって、彼女たちの美しい良心が痛んだり、彼女たちの安らかな眠りが損なわれたりするようなことは、特殊な例外を別にすれば、まず起こらない。

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[2016/12/21 14:25] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
おとなになる
 いつだったか大江健三郎の文章を読んでいたら、三世代にわたる海外でも有名な日本の文学者について書いてあった。先輩世代では谷崎潤一郎、川端康成。同世代では三島由紀夫、安部公房。後輩で現在圧倒的に売れているのが村上春樹と、吉本ばなな。大江らの真ん中世代がいちばん売れないんだとぼやいていた。

 村上春樹の長編はだいたい読んでいるが、吉本ばななは、それほど有名ではなさそうな作品を二作読んだことがあるだけだった。長い作品でないと興味がないのだ。有名な「キッチン」も読んでいなかった。それで、先日、小説読み始めたいのだが、何から読んだらいいかという質問に答えて「キッチン」と言ってしまった。人に勧めておいて自分が読んでいないのもいけないと思い、読んでみた。

そしたら有名な「キッチン」は、とても良かった。感動した。それで、調子に乗って図書館から吉本ばななの本を六冊借りてきた。そのなかで、最も短い、子供向けエッセイとでもいった「おとなになるってどんなこと?」をすぐに読んだ。これもすごく良かった。なにが良かったのか、はっきり言えないが、すこし書き出してみます。


 いちばん大事なことは、自分の中にいる泣き叫んでいる子どもを認めてあげることです。ないことにしないことです。そうすると心の中に空間ができて、自分を大丈夫にしてくれるのです。大人になるということは、つまりは、子供の自分をちゃんと抱えながら、大人を生きるということです。

 たくさんの時間を共有して、お互いの匂いやいやなところを知っている体の言葉と、精神的に同じ価値観を共有している精神の言葉と、両方を備えていないと友だちとは呼べないと私は思っています。
 
 本当に友だちと呼べる関係になるには、長い時間がかかると思っています。だから人生の中でそんなにたくさんの友だちができるはずがありません。恋愛と置き換えるととても簡単なことですが、毎日のように会っていても、たとえその人とセックスしていても、お互いが「あなたがとても好きです、恋人と呼んでもいいですか?」と約束を交わさないと恋人とは呼べません。

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[2016/12/11 16:25] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
まだ見ぬ書き手へ 2
 1994年に図書館から借りてきた、丸山健二『まだ見ぬ書き手へ』。先日、図書館祭りで古い本を(無料で)放出し、その数日後もまだ残っていた本の中に、この本を発見して持って帰りました。偶然、22年ぶりに、手にしたのです。



 小説を書き始める前のあなたは、結局何も見てはいなかったのです。自分自身も、他人も、世間も、ほとんど見ていなかったのです。他人を見る、世間を見る、それも必要以上に見るということは、自己の内面を覗き込む以上に、小説書きにとっては大切なことなのです。人間とは何か、人間としてどう生きるべきか、あるいはどう死ぬべきかという普遍のテーマに逃げることなく挑みつつけなければ、魂を揺さぶる、真の感動を呼び起こすまでには至らないのです。

 ありとあらゆる芸術が取り扱うのは、要するに魂の問題なのです。それと正面切って対峙している人はとても少ないのです。なぜならそれは暗く辛いことですから。幸福や安定に近づけば近づくほど人はそれから離れていってしまうのです。
 
 文学ほど個人に立ち返ることができる、つまり己の魂と向かい合うことができる芸術はほかに例がありません。書き手は読み手の数倍もの孤独を味わっていなくてはならないのです。孤独というものに慣れた、孤独のエキスパートでなければ書き手はつとまりません。

 創作に携わる者は、自分以外の力をあてにしてはいけません。あなたの小説はあなたのペースで、あなたが全責任を負って、誰にも口を出させず、最後の最後まで自力で完成させなければなりません。

 五年経っても、十年経っても、そこに待ちかまえているのは、今日と同じような、書く気があるのかないのか自分でもよく分からないような日々なのです。ともかく毎日書き続けた方がいいのです。大張り切りで書くことはありません。ともかく事務的に毎日少しづつ書くのです。持てる力の半分くらい出して、リラックスして、書き続けるのです。

 書き手になったからには、あなたの上にも、あなたの下にも、また、あなたの横にも誰かを置いてはならないのです。一人になることから始めて一人のまま終わっていくのが、芸術を追い求める者のあるべき姿なのです。
 
絵画や彫刻といった美術館の世界においても、自作を前にして恐ろしく次元の高い言葉で説明し、飾りたがる人がいます。そんなことをする必要はありません。そんなことは作品を読めばたちまち分かるのですから。その作品について作者がまだあれこれいいたいというのは、完成していない証拠でもあるのです。限界まで挑んだ作品なら、作品の意図するところを訊いてくる読み手に答えてやることはありません。

 心を開いて話ができる人間はあなたが考えているほど多くはありません。一生のうちに一人か二人いればいい方で、普通は一人もいない場合の方が多いのです。真の芸術家ならば絶対に仲間を作るようなことはしないはずです。あなたの作品に注目しても、あなた自身に接近をはかるようなまねしないはずです。

 もしあなたが独身で、どうしても結婚したいと考えたのなら、あなたに積極的に寄ってくる女性は外すべきでしょう。あなたが追いかけても逃げてしまう女性の中から選んだ方が、あなたにとってもその女性にとっても、より本物に近い恋愛になるはずです。

 一人で平然と生きてゆかれるようなあなたになるということです。一日中誰にも会わず、数ヶ月間口をきかなくても苦痛を感じない、というような人間を目指すのです。そこをくぐり抜けなければ何も見えてこないでしょう。
 



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倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし

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[2016/12/05 16:53] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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