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オペラ サモトラケのニケ
なぜだか、ただいま『フィガロの結婚』特集と……『ドン・ジョヴァンニ』が割り込んできました。
9.一流の、いい作品だけを見ることで、感性が磨かれる
1流見る

obidos2005

 本物を見る目を養う、違いがわかる感性を鍛える方法の第一は、
「いいものだけを見る」ということに徹底して、それを一定期間持続することです。

 「いいもの」とは、本物の絵を見たり、音楽を聴いたりということです。
家庭で画集を見たり、音楽を聴いたりするのは、これにあたりません。
それと同時に、「一流ではない、つまらないものを目に入れない、聴かない」ということを持続しないといけません。

 小林秀雄の文章の中に、若い文学を目指す人に勧めることが書いてあります。
半年かけて「トルストイ全集」を読め、その間、他の人の文章は読んではいけない。

 そして、出来るだけ、その作品が生まれた場所へ行くこと。
上野で法隆寺展を見るよりも、実際に奈良・斑鳩の法隆寺へ行ってみる。パリのルーブル美術館やオペラ座に行ってみる。ギリシャ・アクロポリスの丘に行ってみる。そういう場数を踏む事も大切です。

 ある期間、そういうことを続ければ、二流以下の作品を見たときに、理屈ではなく、違いがわかるようになります。

テーマ:絵画 - ジャンル:学問・文化・芸術

芸術は世の中の役に立つか    (千年の文化 百年の文明 吉田秀和)
芸術必要吉田

ヴェネチア 2005.2

 よく神童とか天才ヴァイオリニストなどということがいわれますが、音楽家では、これが当たり前なのであって、音楽家というものは、人に教えられ、だんだん何かがうまくなったから音楽家になったというぐあいにいくのではなくて、最初から音楽が好きで、音楽が好きでたまらないというので、それではピアノを弾いてみろ、ヴァイオリンをやったら、という具合に訓練を受けているあいだに大人になってゆくというにすぎない。

 逆に、だから、ピアノを習ったからとか、音楽学校を卒業したからとかで、音楽家になるというのではないのです。だから、芸術家であるかないか、それは、まず、いくつの時とはっきりいえないような幼いときに、もう決まっているようなものです。ただ、それから、立派な芸術家になるかどうかはまったく別の問題です。


人の生きてあるところに芸術あり
 芸術は、基本において、人間が生活しているところ、あるいは生活を愛し、少しでもそれを居心地の良いものにしようと努力する人間のいるところ、どこにも生まれてくる可能性を持っているといって、過言ではないでしょう。
 逆にいえば、芸術は、人生があって、その他に、どこか別のところから、そこに加えられてくるといったものではない。私たちが生きているという、そのこと自体の中にふくまれている。

 特定の条件のもとで生まれたものでありながら、その条件とはちがう土地、時代の人間に、直に語りかけ、歌いかける力をもっている。

 たとえば、モーツァルト。彼の音楽は最も理想的な高さに到達していた、と万人が万人、考えている。その形式上の完璧さと表現の正しさにおいて、彼の芸術は間然とするところのない「美の規範」を実現したものといってもよろしい。そのうえ、彼の作品は、後鳥羽上皇のいうところの「実ありて、しかも悲しびをそふる」芸術として、今日にいたるまで、聴くものを感動させずにおかない。

 絵であれ、詩であれ、音楽、演劇であれ、つくった人、演じる人たちだけでできているのではない。その人たちから発信される記号をうけとり、それを自分にとって意味のある情報に翻訳しなおす公衆の想像力があってはじめて、完成し、一つの全体になる。

物には決まった良さはなく、
人にはそれぞれ好き嫌い、
お前の舞う姿が良いとのことだが、
わしは好き、お前のじっとしているとき。 (白楽天の詩、孫引き)

「みんな君の立ち姿が、ことのほかあでやかでよろしいという。みんなは、君が舞台で舞っているすがたを見なれているのだから。しかし私は、私のそばにいて君がじっとしてくれているとき、そのときの姿がいちばん好きなんだ・・・・・」こんなふうに読むのもできなくはない。

 白楽天の詩、モーツァルトの音楽が、遠くでつくられたにもかかわらず、私たちにすぐピンとくるのも道理で、そのピンとくるはたらきは、作品から呼びかけの信号を受け取った私たちの心の働きにほかならないのです。


 芸術は人生にどう役立つのか? 
 役立つも役立たないもない。芸術は人間の生きている、その生き方そのものの中に根を張っているもの、生きるということ自体の内容の一部に他ならないのです。だから芸術が人生にどう役立つか? ときくのは、人間の身体をみて、その手や足、あるいは心臓や肺臓について、何の役に立つのか? ときくようなものだと、私は思います。

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

沈黙のすすめ 
沈黙のすす




 沈黙というのは、知の根元である。知がよく働くようにするためには受動的でなくてはならない。その受動性を破るものは何かといえば、外から来る騒音である。本当に静かにしていて、しかもじゃまが来ないという保証がほしい。じゃまが来るかもしれないというような、そのような恐れがあること自体が、すでに知の働きを妨げるのである。

 情報を遮断したときに、そして情報から足を引っ張られないときに、われわれは多くの情報に対して正しい判断を与えることが出来る。今ならば、友達から、職場の上司から、時間、空間をこえて、いつ電話が飛んでくるか分からない。しかし、昔の人は退屈なまでに単調な夕べを持ったはずである。

 いい学校なんかに入ったんだけれども、少しも利口にもならなければ、よい人間にもならない。屁理屈がうまくなったかもしれないけれども、基本的なところでどうもおかしい、そういう人たちは、実際たくさんいる。

 読書というものは、きわめて有用なものであると同時に、危険な点も少なくない。絶えず本を読んでいると、考える時間が非常に少なくなるからだ。静かなところで読書するときは、天才の思想に直接触れることであって、非常に知的な価値が大きいのだが、平凡な著者のものを次から次へと読むということは、ただ頭の中をやかましくしているにすぎない。本を読むこと、それが相当立派な本であっても、ある程度以上にたくさんの量を読むのは、知的価値としては散歩に劣るというような感じさえする。

 知の場合はまず、時間的にも空間的にもこもらなければならない。一日のうちに数時間のあいだは、いかなる理由があっても、人に会ってもいけないし、話を聞いてもいけないし、電話に出てもいけない。一年に何度かは相当長い間、何もしゃべらない時間を持ちたいものである。そのような機会をしばしば繰り返すと、人間の知というものは意外に開けるものである。

渡辺昇一の著書より自由に抜粋

テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

学問の学び方 本居宣長『うひ山ふみ』
本居宣長


 『うひ山ふみ』(ういやまぶみ) 晩年の本居宣長が、弟子に請われて書いたもので、学問を勉強する手順、方法について記述しています。弟子は、自分が立派な学者になるにはどういう方法で学べばいいのか、方法だけ知りたがるのです。方法さえ分かれば、学者になれると思いこんでいるのです。思い切りかいつまんで引用します。

 どのような学問でも、このような手順で学んだ方が良いと指し示すのはたやすいが、はたしてそれが良いことであるか悪いことであるか、本当のところは分からない。当人の思うようにさせても良いのではないか。

 結局のところ、学問はただ長い年月をかけて熱心に努力することが大切であって、勉強のしかたというのは、それほど気にする必要はない。どれほど学び方が良くても、努力しなければ成果は上がらない。

 才能が乏しいとか、歳を取っていることや、ヒマがあまりないことなどによって、やる気を無くして学問を止めてはいけない。ともかく努力さえすれば成就するものと思っていなさい。やる気を無くすということが、いちばんいけないことだから。

テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

「スケッチのしかた」とは?
スケッチ



 先日、旅行中に「スケッチのしかた」を教えてくれという生徒がいました。私は、山下清がそうであったように、旅行中に絵など描かないし、そんなこと生徒に勧めたこともない。それなのに「スケッチ!」と騒ぐのは、日曜画家の固定観念でしょう。

 「スケッチのしかた」なんてものがありますか。そんなものありません。「数学のしかた」とか「世界平和実現のしかた」とか「名曲のつくりかた」「大富豪のなりかた」などなど、人に教えられるようなものですか。

 落語家は、何年も師匠の家に住み込んで、師匠と生活を共にします。それで、落語を教わったのは一回だけとか、一話だけとか、落語は何にも教わらなかったという弟子もいます。師匠の生活態度と精神を身につければいいのであって、はなしは自分で勉強するべきものです。

 自分が巧くならないのは、勉強のやり方が悪いのであって、「スケッチ」のコツを教われば絵は巧くなると、思ってでもいるのでしょうか。以前も言ったように、画家は目を鍛えれば良いのであって、スケッチするのも写真をとるのも、旅をするのも掃除をするのも、その補助手段です。

 自分自身が成長してはじめて、絵も良くなっていくのです。絵手紙じゃないんだから「柿の描き方」「バラの描き方」なんて習ったって良い絵は描けません。ですから、絵は巧く仕上がらなかったが、良い勉強になった、でいいと思います。絵の仕上がりはどうあれ、幸せになるのがいちばんです。


テーマ:絵画 - ジャンル:学問・文化・芸術

自分自身が作品 
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 今年も展覧会をやって、500人以上の人が見に来てくれた。べつに私の絵を見に来てくれたわけではない。知り合いや子供が出品しているから見に来て、ついでに他の人の作品も見るのだ。私の作品も、見てくれる人がいる。やけに熱心に時間をかけて見て褒めてくれる人もいるし、とりあえず全部見ましたよと、絵の前を通り過ぎるだけの人もいる。コンサートのようにお金を払って、誰かの演奏を目当てに来ているのとは違うが、見に来てくれる人がいるのは、ありがたいことだ。展覧会もコンサートも、お客さんがあってこそ成り立つのだから。

 展覧会というのは、ふだんの仕事あるいは生活と全く違う。それまでの準備に時間がかかっているため、飾り付けをして開いてしてしまえば、もうほとんど終わったようなものだ。心理的には、もはや、気が抜けた状態になっている。それでやることといえば展覧会場で誰かとおしゃべりするだけである。

 特に誰の知り合いでもないのに毎年見に来てくれているらしい人。おじいちゃんおばあちゃん親戚含め総勢10人ぐらいでやってくる家族。なぜか一人で見に来る、出品している子供のおかあさん。曜日によって来る時間帯の予想をしていると、見事にはずれて、てんでんバラバラにやって来るお客。描いているときはパッとしなかったが、額縁に入れて陳列すると見事な絵。その逆ももちろんある。そんな、いつもは考えないような、変なことばかり考えて過ごす数日となる。

 こんなことは案外、普通の社会生活なのかもしれない。多くの人は、相手の変化に会わせて、自分の行動を変えていかなければいけない。変化に対応するだけでも、仕事をしているといえる。私は普段ほとんど人と会わないし、人の影響を受けない生活をしている。絵は「見る人がいる」ことが前提で描かれるものであるが、今日私が絵を描かなくても、誰も困らない。もちろんブログなんて書かなくても、けっして誰もこまらない。作品展のノルマがあるわけでもないので、多く描こうが、少なかろうが大した違いはない。多く描いたからといって収入が増えるわけでもない。これまでに多くの時間を費やしてきたが、自分がやったかやらないかだけである。

 前回、弓の名人になるためには、弓の練習をする必要はないということを書いた。ものを正確に見るためにデッサンをするのであって、デッサンを完成させるのが目的ではない。絵は不出来だったが、良い勉強になった、ということもある。絵を描くのは、絵を完成させるためではない。修行である。


 絵を描いて何かの役に立つのか?
 座禅を組んで何かの役に立つのか?
 音楽を聴いて何かの役に立つのか?
 かつてエリザベート・シュワルツコップは「リートを聴く前と、聴いた後では、人生観が変わっていなければいけない」と言った。

 何をやるかではなく、何かをやっている途中の課程で、自分が何かを得るしかない。
自分自身が、その人の作品なのだ。

テーマ:絵画 - ジャンル:学問・文化・芸術

すべては目できまる! すべては耳できまる?
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画家のパレットなど、なんの意味もない。全ては目できまる。
ルノアールの言葉である。

「素描論」という本から

 中島敦の小説に「名人伝」というのがある。中国の、弓の名人を志す者が、どんな修行をして、結局はどんな境地に達したかを描いた作品である。師は最初、弟子にまばたきをしないことを学ばせる。物を凝視するために必要なことだからである。弟子は2年かかって決してまばたきしないように訓練する。
 
 次に「見る」ことを学ばせる。小さな物を大きく見ることで、それができると、的が大きく見えて、はずすことがなくなるのである。弟子はシラミを一匹窓際につるし、来る日も来る日もそれを見続ける。するとシラミはだんだん大きく見えるようになり、3年たつと馬のような大きさに見えるようになる。こうして基礎訓練に5年かけたあとで、いざ弓をとってみると、すで百発百中の名人になっているのである。

 ここで注目に値するのは、弟子が5年間に一度も弓を手にしていないことである。これは見えさえすれば、必要な技術はただちについてくることを意味している。人は誰でも絵は描ける。ただし自分の見ている程度に描けるのである。造形芸術家を志す者は、造形的目の訓練をすればよいのであって、極言すれば、絵を描く必要は全然ないのである。

 初心者のデッサンは、見ることの補助手段であり、対象をよく見ずに一生懸命描くのは、本末転倒で、目の訓練としては意味をなさない。

テーマ:絵画 - ジャンル:学問・文化・芸術

美術鑑賞は『○○つもり』で真剣に!
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 「ためしてガッテン」で、めずらしく美術館ネタをやっていた。
■■美術鑑賞は『○○つもり』で。■■
○○に入る言葉を考えてください。

 まず美術館で行われている展覧会を見る3パターンの人を挙げている。
    (番組内容とはちょっと変えて表現しています。)
1.5分ぐらいで全体を早歩きで見て、それから戻り、気に入った絵だけもう一度見る。全体を10分ぐらいで見る。
2.ゆっくり歩きながら、ときどき気になった絵だけ立ち止まってみる。
全体を40分ぐらいで見る。
3.初めから全ての絵を、1点づつ丁寧に見る。
全体を1時間以上かけてみる。
このなかで、あなたの鑑賞方法はどれでしょう?

 おそらく普通の美術愛好家は「3」の、全てしっかり1時間以上かけて見ると思います。忙しい人でも「2」程度の、30分から40分ぐらいかけてみると思います。この番組はクイズ番組のため「1」の”もう一度戻って見る”場面は出さないで、早歩きで10分ぐらいで見る、という風になっていました。この番組によると30分以上かけると集中力が散漫になるから、「短めに好きな絵だけ見る方が印象に残って良い」という結論だったと思います。後でバラしたところで「1」は、美術雑誌の編集などをしている人のようでした。

 人によってまったく違っていいと思いますが、私の場合は「1」「2」の中間といったところです。美術館のハシゴをするということもありますが、つまらない場合は10分ぐらいで出たこともあります。

 だいたい美術館は、入り口付近だけ順番に並んでやけに混んでいます。入り口の最初から良い絵が置いてあることはまずないので、最初から並ぶようなことはする必要がないでしょう。さらに進んで少し込み具合が緩和してくると、絵の前までは並んでいますが、絵の正面をすぎるとすぐ次の絵に向かうので、ちょっとスペースが空きます。

 したがって人の後ろをゆっくり歩きながら、気に入った絵があるかチェックをしながら、とりあえず最後まで進んでみます。そこから順路に対して逆行しながら、人の空きを見て、反対側から絵の前に近づいて見ます。もちろんどうしても見たい絵は、両方から何度かせめます。


 その次に、美術に興味のない人、美術館など見たことがない人を集めて、美術展の一室を鑑賞させます。それぞれ、おもしろくない、つまらない、など興味がない感想を述べています。
 そのあとで、『○○つもりで見てください』といってから、再び鑑賞させます。そうすると先ほどとはうって変わって、目が輝いて脳波が活発に働いています。
その答えは!

答えは『買うつもり』でした。

 親戚のお金持ちに、どれを買ったらいいか依頼されたとします。どれか1つに絞らなければいけないと考えただけで、見る力の入り方が違ってきます。
自分の部屋に飾るとしたら?
自分が審査員になって「○○賞」を与えるとしたら。
いちばん嫌いな作品はこれだ!
と考えるだけで、印象に残ります。
そして、さらに、どうしてこの作品がいちばん好きなのか?
どうしてこの作品が、大嫌いなのか?
ということを考えていくと、美術に対する感性が磨かれます。

テーマ:美術館・博物館 展示めぐり。 - ジャンル:学問・文化・芸術

本当に大切なことは、文章では伝わらない
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 ギリシャの大哲学者のソクラテスは、言葉や文章を残していません。それではなぜ、ソクラテスが哲人として有名かというと、弟子のプラトンが、ソクラテスの対話を文章として残したからです。それも「プラトン全集」が出来るほどたくさん書いています。

 新約聖書の「福音書」も、キリストの4人の弟子が、生前のキリストの行状を書き残したものです。「パウロの手紙」と共に、福音書はキリスト教布教のために作られたものです。「論語」も弟子が孔子の言葉を書き残したものです。

 このプラトンが著書の中で、本質的で大切なことを言っています。

文章では、哲学の第一義は伝わらない。

つまり、言葉や文章や本のような形では、本当に大切なことは人から人に伝わらない、と
言っているのです。

心を開いて語り合う、二人の人間の対話の中でしか、本質は伝わらないのです。

プラトンの著作も、論語も、弟子との対話形式で書かれています。
しかも、古代のギリシャ語がそのまま分かる人などいませんから、何人もの翻訳家の手を経て、われわれのところに届いているはずです。運良く、正確な内容で私たちに伝えられたとしても、本質は伝わらないのです。プラトンがそう言っているのだから、伝わらないのです。私たちは、想像力で、あるいは繊細な感受性を持って、対話編の文章の中から、作者の本当に言いたいことを、感じなくてはいけないのかもしれません。

文章に比べれば、絵や音楽は、直に本質が伝わると思います。
もちろん複製ではダメで、直に本物を見る必要があります。
ただし作者も作品も、鑑賞者も選びます。
音楽は作曲家と鑑賞者の間に、演奏家という通訳が入るだけに、それが作曲家の意志なのか疑わしい場面も出てきます。

絵の場合は、作者が描いたそのままが、絵を見る人にも見えるわけで、
鑑賞する能力のある人には伝わるはずです。

対話をしないと、これを読んでも、伝わらないんです。

テーマ:言霊(格言・名言・自分の考え) - ジャンル:学問・文化・芸術

才能や感受性が足りないのではない
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 「私には絵の才能がないからうまく描けないのだ」と言い訳をする人がいます。あなたには、他の人は才能があって簡単に良い絵を描いているように見えるのですね。才能があるかないかという悩みは、どんな芸術家にもあるものです。

今、あなたが、誰かと比べて上手く絵が描けないのは、住んでいた環境が悪くほとんどよい絵を見たことがなかったか、たまたま今まであまり絵を描く機会がなかったか、とにかく大した理由があるわけではありません。才能の問題、ではありません。あなたにとって今、大切なのは、絵が描きたいという強い気持ちがあるかどうかです。あなたは今までどれくらい絵を描いてきましたか。描くことにそれほど時間をかけてはいなかったでしょう。うまく描けなくてもじっくり時間をかけて何度でも描き直すということをしてきましたか。うまくいかないとすぐ諦めていませんか。あなたには、物事を修得するに足るだけの根気がなかったのです。

多くの天才たちが、自分は他の人より忍耐力があっただけだ、長い間努力しただけだ、と証言しています。何ほどかの事を成し遂げるためには、一生懸命がんばること。それを長い間続けること。あなたはもちろん天才ではありませんから、より絶え間のない努力をしなくては人に抜きん出ることはできません。

テーマ:絵画 - ジャンル:学問・文化・芸術

あなたに見えているもの、それは錯覚です
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1オクターブ=2周波から始まって、20オクターブほどまでが空気の振動の範囲です。
人間の耳に聞こえる16オクターブ以上になっても、
空気は振動を鼓膜に伝えているのですが、
人間の脳は関知しません。
一般に言われている「超音波」となります。
20オクターブを越えると、
空気はそれ以上、振動できません。

音波以上の高周波の振動は、エーテルの中を伝わります。
ラジオや無線の電波が、25から30オクターブにあたります。
その上に、熱線、
赤外線があり
さらに紫外線
60オクターブあたりにエックス線
65オクターブあたりにガンマ線

このように20から70オクターブの領域が
一般に「電磁波」と呼ばれているものです。

49オクターブのところに「可視光線」があります。
低い方から、赤、橙、黄、緑、青、と虹のように移り変わり
最後に、高い方が紫となったところで、
人間の目には見えなくなります。
赤より低いところを赤外線、
紫より高いところを紫外線と名づけました。

50オクターブ以上ある電磁波の中で
たったの1オクターブだけ
人間の目は識別できるのです。

目に見えないからといって
何もないわけではなく
目に見えるからといって
何かあるわけでもないのです。


『人間的感動の大部分は、人間の内部にあるのではなく、人と人との間にある』
                       by フルトヴェングラー


テーマ:絵画 - ジャンル:学問・文化・芸術

あなたに聞こえているもの、それは錯覚です
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「聴覚」が識別しているものは、「音」です。
「音」とはなんでしょう。
「音」とは、空気の振動です。
エーテルの波動の一形態ですが、簡単にいうと、空気の振動です。

ここでいう「振動」「波動」を表す言葉に「オクターブ」というものがあります。
メトロノームを想像してください。
真ん中にあった棒が、左へ行って、右へ行って、もう一度真ん中へ戻る。
1秒間にこれだけ動くと、1オクターブといいます。

1オクターブ=2周波です。
この振動がどんどん増えていって
5オクターブ=32周波ぐらいから「聴覚」が識別します。
ここが最低音で、どんどん波長が高くなると、音も高くなります。
16オクターブ=65536周波 
これぐらいで最高音となり、耳には聞こえなくなります。

空気の振動の範囲は20オクターブほどありますが、
「聴覚」が識別できるのはそのうち11オクターブだけです。
人間に聞こえる以外の部分には「音」はないのでしょうか?
たとえば「犬笛」といって、
人間には全く聞こえないけれども、
犬には聞こえるという笛があります。

恐らく、人間に聞こえる範囲の倍ぐらいは
音が存在するのです。

テーマ:絵ブログ - ジャンル:学問・文化・芸術

あなたの触れているもの、それは錯覚です
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 私たちの世界は、「原子」で出来ています。私たち自身の体も、木も、土も、車も、水も空気も「原子」で出来ています。
 「原子」とは、「原子核」の周りを「電子」が回転している状態のことです。
太陽の周りを惑星が回っているのに似ています。

 それでは、「原子核」と「電子」の間には何があるのでしょう?
なんとなく「空気」と答えてしまいそうです。
しかしそこは、何もない「真空」なのです。
「原子核」と「電子」の大きさは、無いに等しい大きさです。
宇宙空間と同じで、ほとんど「真空」の世界です。
宇宙空間の中で何かありそうな、太陽や地球も、ほとんど何もないのです。
私たちの体も、私たちを取り巻く世界も、何もないのです。

 地球は「水」のある、めずらしい惑星です。
もっと正確に言うと「水」が液体の状態で存在する、めずらしい惑星です。
「水」というのは「酸素原子」と「水素原子」2個がくっついたものです。
幅広い温度の中にあって、摂氏0度から100度という、きわめて狭い範囲で液体として存在しています。摂氏0度以下では「固体」、摂氏100度以上では「気体」となりますが、地球上ではその三体とも存在します。

 そこに人間の五感のうちの3つの存在意義があります。
「触覚」「味覚」「嗅覚」の3つです。
「触覚」とは、「固体」を識別します。
「味覚」とは、「液体」を識別します。
「嗅覚」とは、「気体」を識別します。

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番外編 モネには「目」と「腕力」がある
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 NHK迷宮美術館と日曜美術館の両方で「モネ」を取り上げていました。
 このあいだ、山下清クイズのときに、生徒のみなさんに聞いてみたら、なんと一割ぐらいの人しか、この美術番組を見ていませんでした。そんなに面白くないとはいえ、あんまりだ! 「レオナルド・ダ・ビンチの〜」「ゴッホの〜」とかタイトルが付いていると見るらしいのですが、レギュラー番組はたいていの人が見ないようです。

 「クロード・モネ」という画家は、この時代の天才「マネ」「セザンヌ」をおしのけて最も重要な画家です。『近代絵画』『印象派』とは「モネ」のことです。『クラシック』とは「モーツァルト」のことです。他の人は、彼が敷き詰めた路線の上を、誰よりも速く走る汽車を作っているようなものです。ワーグナーが始めてから、演奏中は客席が暗くなり、指揮者はオケの方を向いて指揮をするようになったのです。自己の芸術を高めると同時に、芸術界全体がどこを向いて進んだらいいのかを指し示した希有な天才です。


そこで迷宮美術館でやっていた問題です。
 
 1.セザンヌがモネを評したことば、『モネは○である。だが、なんとすばらしい○だろう。』 ○ってなに?

 2.モネが師匠によく注意されていたことは?

 3.モネたちが外で風景画を描くようになった原因となる、当時のある発明品とは?


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番外編 モネには「目」と「腕力」がある

 セザンヌの言葉は、「モネは目である。だがなんと素晴らしい目だろう。」
モネが師匠に良く注意されていたことは、「対象をそのまま描きすぎる」といったものです。セザンヌの言を言い換えると「モネは見たままを、ただそのまま描いただけだ。それなのになんと素晴らしい芸術作品になっていることだろう。」

 セザンヌは別のときに「モネには腕力がある」とも言っている。変化する自然の一瞬を、キャンバスにとらえる力が、モネは断然強いということだ。セザンヌは田舎に引きこもり、ひたすら自己の芸術を高めただけで、それが素晴らしい作品につながり、結果的に大勢の追従者が生まれることにもなった。モネは、自分こそが最先端を行っていることを意識して制作活動をしていた。

 「見たままを描いただけ」とはどういうことか。実は「見たまま」を描いた画家など、存在しない。よく考えれば当たり前のことだ。たとえば建築とか音楽とか、その時代の様式というものがある。ある時代の形式とか習慣・常識と言い換えてもいい。キリンそっくりの教会を建てましたとか、滝の音そのままの音楽ですとか、そんなものないでしょう。写真には写真の、映画には映画の、油絵には油絵の様式というものがあるのです。どうして絵だけ、「本物そっくり!」「写真みたい!」なんて事を言われなくてはいけないのでしょうか。

 写真には機械としての技術的制約もあり、写っているのは現実ではありません。正確に言うと、現実のある一部分がとらえられているだけです。もちろん日曜画家の作品などには、写真を映しただけのような絵があることは事実ですが、ふつう、一見写真のように見える絵でも、写真とは全く違います。「写真みたい!」ということを気にしている人は、恐らく、絵のことも写真のこともわかっていないのでしょう。

以前もお話ししたように、画家は普通、外で絵は描きません。野外で作曲したり、長編小説を書いたり、カレーを作ったり、テレビを見たり、普通はしませんよね。みなさん習字をするときには、まず墨を擦りますよね。墨汁を使うから、墨は擦らないなんて、とんでもないことです。油絵を描く場合は、油を絞って、それぞれの色を練って絵の具を作らなければいけないんです。そんなものどうやって外へ持って出るのですか。

 それで発明されたのが、チューブ入り絵の具です。お手軽、サンドイッチやお寿司のような、簡易野外用食品みたいなものです。このチューブ入り絵の具を使ったのは、コローやミレーの頃です。この二人は、自然主義とか言われていますが、まだまだ絵を作っています。マネやモネの先駆となるのは、コロー・ミレーのほぼ同時代人グスタフ・クールベです。「写実主義」と言われました。それまでの絵は、写実ではなかったわけです。

 写実主義・印象主義以前の絵では、王侯貴族の人物画、神話・歴史画、宗教画などのテーマがあり、テーマによって絵の格式というか価値が決まっていました。親戚を描いた人物画や、近所の公園を描いたものなど絵ではなかったわけです。クラシック、ロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロック、新古典派、ロマン派、写実主義、印象主義と変化してきます。ロマネスクとかロマン派とは、古典ギリシャ様式に対する、ローマ様式ということです。ロマンチックなローマ帝国の威力はここまで来ている。産業革命以前のヨーロッパは、ローマの末裔時代だと思います。

テーマ:絵画 - ジャンル:学問・文化・芸術

6.ある日突然、うまくなる
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 毎日の学習の成果はすこしづつ着実にあなたの身に付いています。しかしそれは、なかなか、目に見える形では現れません。まれに良い作品ができることはありますが、安定しているわけでありません。たいていは作品がうまく進まなくて制作に苦しんでいます。

 カイコの幼虫は何回か脱皮をして成虫になります。カイコの体は毎日少しづつ大きくなるわけではありません。脱皮をしたときだけ一気に体が大きくなります。そして大きくなるのはその一瞬だけです。もう当分大きくはなりませんし、もちろん小さくもなりません。内部ではどんなに変わっていても、次の脱皮の時まで見た目の大きさは変わらないのです。

 あなたにも、ある日、今までのレベルから飛び抜けた良い作品が描けるようになります。そうなったらもう元へは戻りません。ある一定のレベル以上の作品はいつでも描けます。たゆまぬ努力をしているあなたには、良い絵が描けるようになります。
 ある日、突然に!

テーマ:言霊(格言・名言・自分の考え) - ジャンル:学問・文化・芸術

番外編2.毎日、規則正しく制作する
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 芸術家は、気まぐれに仕事をしていると思われがちですが、多作な芸術家は規則正しい毎日の生活の中に、制作の時間を入れています。インスピレーションが湧いたときだけ、あるいは描きたいときだけ制作する、といった態度では偉大な芸術は生まれません。作品の「質」を高めるためには、「大量」の作品制作が不可欠です。「量」をこなさなければ「良質」の作品はできないのです。そして、「量」をこなすためには、規則的で健康的な生活態度、計算された時間配分などが必要とされるのです。

 まれに不規則に仕事をこなしている芸術家はいますが、そういう人は仕事の量が半端ではありません。食事の時間をのぞいて、あるいは寝食忘れて、一日中制作に没頭して、大量の作品を残します。残念ながら、こんな天才は、あまり長生きできないと思います。

 山下清の場合、時間をきっちり決めて貼り絵をするそうです。朝は10時から12時まで。お昼を食べて午後1時から始め、おやつの時間の3時になるとやめる、という学生のような仕事っぷり。奔放に生きているかのようにみえる山下清にして、こうです。

 芸術作品制作に規則正しい勤勉さが必要なことは、初めからわかっていました。しかしわたしは、どちらかというと、マーラーが「夏休み作曲家」であったように、「夏休み画家」でした。一年の内の、ある時期だけ絵を描き、それ以外は何ヶ月もなにもしない。そんなぐうたらな年月を過ごしてきたのです。しかし、ここ数年、心をいれかえました。規則的生活はいまだ出来ないのですが、せめて一日に一度は、ちょっとだけでも、歩き、体操し、音楽を聴き、絵を描き、本を読み、文章を書くようにしようと思っています。たとえ、ほんのちょっとだけでも。そして一年に一度くらいは、冒険の旅に出て行きたいものです。

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番外編1. 芸術作品制作は、機械的な仕事である
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 山下清の作品製作態度には、偉大な芸術家によくある普遍性があります。この有名な「貼り絵画家」のことは、今までまったく気にしたことはありませんでしたし、作品もろくに見たことがありません。一般的には「放浪の画家」としてテレビドラマにもなって、ご存じの方も多いと思います。

 彼は、旅をしているときはスケッチブックを持っていません。スケッチはしないのです。これは、画家としてはきわめて普通のことです。わたしもたまにヨーロッパに行って、帰ってくると「スケッチしてきたんですか?」「絵は出来ましたか?」なんて質問をされて辟易します。外国へ行ったら、ひたすら街の中を歩き回るだけです。

 画家は普通、外で絵は描きません。風景写生するのは、モネを代表とする印象派の時代の流行のようなもので、そんなことをするのは一部の画家だけです。ターナーが嵐の中で絵を描いたり、ベートーベンが田園に出かけていって、五線譜に音符を書き入れるでしょうか。

 ただし彼の場合は、かなりの長時間、風景を見続けていたようです。何時間も、あるいは数日、同じものを見て、頭の中で作品を仕上げていたのでしょう。その時点で、もう作品は完全に出来ているのです。モーツァルトみたいな天才です。映画「アマデウス」で、サリエリがモーツァルトの自筆符をみて、修正や書き直しが全くないので驚いている場面がありました。楽譜を書くというのは、ただ頭の中にあるものを写す機械的な作業なわけです。ですから交響曲を書きながら、頭の中ではオペラを作曲するなんて芸当ができるのです。

 貼り絵の作業はものすごく早いです。どんな小さな部分もはさみを使わず、手でちぎったり、こよりのように丸めたりして、目にもとまらぬ早さでのりを付けて、端からきっちり貼っていきます。内職のベテランみたいです。構想を練ったり、迷ったりすることなく、淡々と単純作業が続きます。農夫が毎日畑を耕すように、芸術作品は出来ていくのです。

 いま描いている。その絵が終わらないうちに、次の作品はもう始まっているのです。

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5.絵を描くようになる前のあなたは、何も見てはいなかった
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 あなたが毎日使っているカバン、目覚まし時計、車、100円玉などを、突然、見ないで画用紙に描いてみなさいと言われたらどうします。描けませんね。毎日何度となく見ているものなのにです。

あなたは人の顔、目、鼻、口、あるいは髪の毛のくせ、などを1時間もじっくり見たことはないでしょう。富士山がきれいだからといって、半日も眺めていたことはないでしょう。テーブル上のリンゴの位置を何度も移動させながら絵の構図を考えたこともなかったでしょう。自分のまわりの物をじっくり見たこともなく、ただここにはテーブル、あそこにはピアノと漠然と感じていただけです。

自分が見ていないことにも気がついていないのです。良く描くためには、よく見なければなりません。人は自分の見ているだけしか描けません。あなたには、まだ、上手く絵が描けません。自分ではわかっていませんが、あなたには物が見えていないのです。絵を描くようになって、自分が今までよく見ていなかったことに気づき、少しづつものが見えるようになってくるのです。


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4.とにかくたくさん描くこと
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 勉強の仕始めは、とにかくたくさん描かなければいけません。基本の勉強の段階では、じっくり時間をかけてそれが生活の習慣であるかのように毎日描かなければいけません。そのとき、絵の出来・不出来を気にしてはいけません。あなたはまだ絵をうまく描く段階ではないのです。とにかく毎日描くのです。

 英会話の修得など特にそうですが、とにかく英語を流しっぱなしにして耳になじませるんです。英語のドラマとか映画を見続けるのです。わからなくても気にしないでしばらくそうしていると、いつの間にかなにをしゃべっているか理解できるようになるものです。さらに進めば、自分から自然に話せるようになります。

 とにかく毎日描く。そういう生活を続けていけば、ある日突然、物がよく見えるようになります。物がよく見えなければ絵は描けません。いままでのあなたには物が見えていなかったのです。


NHKの迷宮美術館でやっていたクイズです。

■貼り絵で有名な放浪の画家 山下清 画伯 の作品を制作する時の、まちがいはどれ?

1、はさみは使わず、紙を全て手でちぎる。
2、画用紙の端から順番に紙を貼ってゆく。
3、作品が完成するまで、制作をやめない。

この中で、2つは本当のことで、1つが違っているのです。
この段階で考えて、お気軽にコメント下さい。

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3.なによりも本物を見ること
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 今まで見ることが大切だと何度も言ってきましたが、なにより本物を見ることが大切です。ここで言う本物を見るとは、駄作をたくさん見るよりは、数は少なくても名画を見ろという意味ではありません。

 名画を見ることも、もちろん大切なことです。画商の見習いは、まず、名作だけをたくさん見ます。出来の悪い物はいっさい見ないで、選ばれたよい物だけを見るのです。そうやって見る目ができてから他の作品を見れば、その作品の良し悪しが分かるというのです。そういうやり方はきっと望ましいのでしょうが、一般の人が選ばれた一流の作品だけ見るなどということが出来るわけはありません。日本で外来展覧会がたくさん催されるこのごろでも、名画の見られる機会は少ないのです。展覧会に出かけて行き、1枚の名画だけを見て、他の作品は一切見ない。そんなことが出来るはずがありません。ある程度の量を見ないことには始まりません。見られるものは全部見る、という心構えでいた方がいいでしょう。

本物を見るとは、画集やビデオなどの二次媒体を通して見るのではなくて、じかに絵を見るということです。絵だとちょっと違いがわかりにくいので、音楽で考えてみます。家庭のスピーカーからオーケストラの音を聞いているのと、コンサートホールでオーケストラを聴いているのでは全く違います。今まで嫌いな曲だと思っていたのに、生で聞いてみると感動して瞳を潤ませることもあるのです。録音されたものではわからない、演奏者の実力の違いもはっきりわかります。複製で物事を判断するのは、本末転倒です。

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2.わからないものを見ることによって、人は成長する
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 今年の夏も美術館でピカソ展があります。本物の絵は、画集などで見るのとはだいぶ違います。本物が見られるときに、自分が理解できないからといって避けていてはいけません。あなたは、わけのわからない物を見たとき、あんな物はくだらないとか、大嫌いだとか言ってすませていませんか。

 歴史に残るような名画が発表されたとき、世間の人に好意を持って受け入れられた例はまれです。同時代の先輩や同僚からも、絵画愛好家からも相手にされなかったり、痛烈に批判されたりしました。どんなにすぐれた絵やデザインでも、はじめて見たときには不作法な、はなはだ気分の悪いものに見えることがあります。時がたつと、初めは神経を逆撫でしていたものも心地よく受け入れられるようになるものです。

 世の中で名画と呼ばれているものには、そう呼ばれるだけの理由があります。自分にはさっぱりわからないこの絵が、なぜ名画と呼ばれるのか、考えてみることも大切です。成果はすぐには現れないかもしれません。結果として、やっぱりわからない、どうも好きになれないという事でもいいのです。わからないものを見ることで、人は成長するのです。

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1.とにかくたくさん見ることがいちばん
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 絵は文学や数学ではないので、画集で解説を読んでいるだけではわかるようにはなりません。テレビの美術番組を見るだけでも足りません。この絵には何がどのように描かれているか、この絵の歴史的意義と後世への影響は、この画家はどういう人生を歩んで画風が変わったか、などということをいくら勉強しても、それだけで絵がわかるようになるわけではありません。このような勉強は、その絵に感動した後にするものです。

語学の勉強も、単語や文法の勉強だけでわかるようにはなりません。かなりな量の文書を読んだり、書いたり、実際の会話を聞いたりといった経験を積み重ねなければ修得などできません。料理が上手くなるためには、まずおいしい物をたくさん食べなければだめでしょう。自分がおいしい物を食べたことのない人に、人を喜ばせるような料理は作れないでしょう。絵の勉強は自分で描くことのみ熱心で、鑑賞するということがおろそかになりがちです。

 見るということは、美術館で絵の鑑賞をすることにとどまりません。きれいな風景を見たり、町に貼ってある映画のポスターを見たり、ヘンな形の建物を見たり、街行く人々の顔を見たりするのも勉強です。なんでも、たくさん、じっくり見なければいけません。もちろん、絵はたくさん見なければいけません。好き、嫌いなど言う前に、とにかくたくさん見なければいけないのです。

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