写真をとるのは難しい
写真難し2

☆ 日の名残り

 「家族としての犬と猫」をみても、ほとんどの作家が猫や犬を飼っているみたいだ。村上春樹と庄司薫という文学者が、双方ともに20歳にもならんとする長寿猫と、その飼い主の女主人と同居していた。小説家が、そんな普通の家庭生活みたいのことをしてもらっては困る。株や競馬や酒や女に血眼になって欲しい。質素な生活をしているぼくとしては、猫や犬はともかく、飼い主と同居することは望んでいないわけでもない。

 ところで(ここからだ)、うっかり間違って、留守電とか、自分の声が録音されたのを聴いてギャ!っとなったことがない人っていないと思う。わたしって、こんな声?。。こんな声で、人と話していたのか。

 同様に、免許証なんて特にひどいんだけど、自分の写真を見ると、なんて写りが悪いんだと思う。誰かといっしょに写ってるのを、「これって変な顔に写ってるでしょ、もっと良いのないのかな。」なんて言って、相手の反応を見る。自分ではヒドイと思っているその写真を「こんなモンでしょ。普通だよ。」「良くとれてるよ。」なんて冷静に言われたときのショックたるや、もう二度と写真に写るのはやめようと思う。

 なにしろ、写真というものに絶望していたわたしは、最初に行った2回の海外旅行では、カメラを持っていかなかった。それぐらい、自分で撮った写真が気に入らなかった。今では、メモリーが安くなったせいで、1日に700枚ぐらい撮るというのに。多ければいいわけではもちろんないが、さすがに大量に撮れば、100枚に1枚ぐらいは、それほど悪くないものも混じっている。(気のせいかもしれない)
だから、ほんとうに写真を撮るのは難しいのだ。


そこで『ぼくが猫語を話せるわけ』庄司 薫である。
猫の本かと見せかけて、心にしみいる写真についての文章が、昔っから載っています。

(この文章は、ただ美しいだけだ、といった類いの批評に憮然としていた感じの立木義浩氏のために、その写真集の「あとがき」として書いた。基本的にほ同趣旨の「践文」を、のちに沢渡朔氏の写真集『小沢征爾』にも書いている。)
と、最後に但し書きがあるが、それにしてはずいぶんと長い文章になっている。
そのなかからほんのちょっと、ちょっとだけ抜萃する。

(あしたに続く)

ぼくが猫語を話せるわけ (1978年)
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テーマ:写真日記 - ジャンル:写真

[2013/06/09 16:22] | おすすめの本 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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