ドストエフスキーはもう遅いが、再び『白痴』を読む。
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☆ 『白痴』河出文庫の表紙。


「東京大学で世界文学を学ぶ 辻原 登」を読んだ。とんでもないことが書いてありました。小説についての入門講座のような内容で、まず、小林秀雄の「誰かの全集を読め」「トルストイの全集を読め」という話で始まります。小林秀雄全集も20歳ぐらいの時に持っていたので、だいたい分かります。トルストイ全集を読もうとしたこともあります。(すぐに挫折した)「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」「復活」なんてのは、この頃読みました。

 この作者は、トルストイの全集からはじめて、スタンダール、バルザック、デュマ、ディケンズ、フローベールと読んだとあります。その作家リストの中にドストエフスキーが入っていません。その理由について、こう書いてあります。

「十代の時に全集を読んでいたからでもあるが、ドストエフスキーについては少し変わった考えを私は持っている。ドストエフスキーは19歳までに読み終えていなければ、読んだことにはならない、と私は考えている。20歳を過ぎて読み始めるのではもう遅い。」
「ドストエフスキーの毒を19歳までに浴びていない者は、本質的な作家にはなれない。20歳を過ぎては、もうドストエフスキーの毒は体中に回らなくなる」

そうか、「カラマーゾフの兄弟」などを読んだのは、20歳ぐらいだったような気がする。
それでトルストイとドストエフスキーをいろいろ読んだ中では、この『白痴』がもっとも面白かった。

 そのころは、せっせと映画も見ていて、池袋の名画座で黒澤明の『白痴』も見た。有名な方ではないと思うが、黒澤明の作品の中でもこの『白痴』がもっとも好きだ。

 『白痴』河出文庫を読んだ。文庫だから3冊に別れている。それぞれの表紙に人物の顔が描かれている。恐らく上巻がムイシュキン公爵、中巻がナスターシャ・フィリポヴナ、下巻がロゴージン。重要な人物であるアグラーヤはない。どこにも書いていないので推測である。

 黒澤の映画ではムイシュキン公爵が森雅之、ナスターシャが原節子、ロゴージンが三船敏郎、アグラーヤが久我美子である。アグラーヤは「ねじまき鳥クロニクル」における笠原メイのように、現実の世界を象徴する重要な人物である。小説を2回読んでも、この映画の呪縛からはのがれられない。

 本文を読みながら、改めて表紙を見ると、あまりに的確な人物描写に鳥肌が立つ。よくもこんな不思議な顔が描けたものだ。

 「カラマーゾフの兄弟」や「アンナ・カレーニナ」よりも、なにゆえ強い印象を残すのだろうか。
『白痴』だけ19歳の時に読んだわけではあるまいに。


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