失われた時を求めての現状維持メカニズム


 「失われた時を求めて」の読みにくさは、大部な一冊の本の中で、章立てもなく文章が続き、改行もすくなく、一文が長いところにもあるのではないかと思われる。もちろんストーリーの流れも掴みにくい。どこへ話が向かっていて、誰がなんのことを説明しようとしているのかわからない。語り手の名前もわからない。

  今年前半に全巻読んだ「失われた時を求めて」は鈴木 道彦/訳のものであった。時間がたつにつれて、衝撃の大きさが感じられて、いたるところ訳文には不満があったので、他の訳でよんでみたいという思いが強くなってきている。現在、岩波文庫(吉川一義訳)と 光文社古典新訳文庫(高遠 弘美/訳)で同時に進行中であるが、まだ前半の数冊が出たところだ。一応、多く出ている岩波文庫の方を読み始めた。全14冊中の7冊目まで出ている。それにしてもサブタイトルもわかりにくい。「スワン家のほうへ」と「ゲルマントのほう」はどうちがうのか。語尾の「へ」とか「に」が必要なのか。それにしてもさすがに、新しい訳の方が読みやすい。

失われた時を求めて 1 (岩波文庫)  スワン家のほうへ1
失われた時を求めて 2 (岩波文庫)  スワン家のほうへ2
失われた時を求めて 3 (岩波文庫)  花咲く乙女たちのかげに1
失われた時を求めて 4 (岩波文庫)  花咲く乙女たちのかげに2 
失われた時を求めて 5 (岩波文庫)  ゲルマントのほう1 
失われた時を求めて 6 (岩波文庫)  ゲルマントのほう2 
失われた時を求めて 7 (岩波文庫)  ゲルマントのほう3 

 人生のどんな場面であっても、台風の進路のように、自分の思い通りになるわけではない。絵を描くのも、文を書くのも、やけっぱちになるぐらい思い通りにならない。
そんなことを書いているところをすこし。こんな人なのだ。


「失われた時を求めて 5 吉川一義訳 ゲルマントのほう1」より

 せめて私に書きはじめることさえできていたら! ところが、このものを書く計画は(残念なことに、もうアルコールを飲まないとか、早めに寝むとか、よく眠るとか、元気でいるとか、そんな計画と同じで)、どんな条件でそれに取りかかろうとしても、たとえば散歩を取りやめたり、散歩をさきに延ばしてあとの褒美にとっておいたり、体調のいい一時間を利用したり、病気でやむなくじっとしている一日を使ったりして、どれほど夢中になってみたり、きちんと手順を踏んだり、いそいそとやってみたりしたところで、そんな努力の果てにからならず出てくるのは、なにも書かれていない一枚の白紙であって、そんな結果が避けられないのは、ある種のトランプの手品で、前もってどんなにカードを混ぜあわせておいても無理やり必然的に引かされるカードのようなものである。私は、仕事をしない、寝まない、眠らない、という習慣に操られる道具にすぎず、どんなことがあっても実現される運命にあるのはそんな習慣なのだ。もし私が習慣に抵抗したりせず、習慣がその日のなりゆき任せで自分勝手にふるまえる事情を口実にしても私がその口実を甘受さえしていたら、さしたる損害も受けずになんとか事態を切り抜けられ、とにもかくにも夜が終わるころには数時間の休息がとれ、すこしは読書もできて、あまり無理をしないですむ。ところがかりに習慣に逆らって、早めにベッドに入るとか、水しか飲まないとか、仕事をするとか、そんなことをしようものなら、習慣は怒りだし、強硬手段に訴えて私をすっかり病人にしてしまい、私はやむなくアルコールの量を二倍にしたり、二日もベッドに入らなかったり、もはや読書ができなかったりして、つぎの機会にはもっと道理をわきまえよう、つまり、もっと好き勝手にやろうと決心する仕儀となる。抵抗して殺されるのが怖ろしいあまり、盗まれるがままになる被害者のようなものである。
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[2014/08/30 17:48] | おすすめの本 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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