何かを待っている。
大地震を待つ


 久しぶりに池田晶子の本から。2006年に出た哲学エッセイ本だが、この中に「大地震を待つ」という一文がある。もちろん東日本大震災よりも前に出たものだし、本人は数年前になくなっている。

  自分というものは「わからない」のではなくて、自分というものは「ない」。ブッダによれば、縁起によって役割が与えられているだけだ。


以下『知ることより考えること 池田晶子』より

 大地震で死ぬかもしれないというのは、それなりに不安ではある。けれども冷静に考えてみれば、地震によらなくても人は必ず死ぬのである。

 生きているということは、常にかならず危険なのである。自分はいつまでも生きているべきだと思っていて、思わぬことが起こるものだとは思っていない。思わぬことが起こると腹を立てるのである。しかしこれは間違いである。人生が危険なものであるのは本来であって、べつに社会のせいではない。他人が何をするかわからなければ、自分だって何をするかわからない。

 人は自分の人生は、自分の意志で、自分で選択して生きていると思っているが、そんなのは大ウソだ。何もかもが意志的に人為的に統御できると思っているのが現代文明である。この根本的大間違いの上に築き上げられてきた近代巨大都市である。しかし、人間の意志など知ったことか、自然は一撃でそれを壊滅させるだろう。


 しなければならないことなんか本当はないと、人はどこかでわかっている。だから、しなければならないことがあると、思おうとしている。だから、生きなければならないと思うことにして、仕事をし、闘争し、あれこれの苦労をし、それでもって人生だと、こう思うことにしている。いかな苦労でも、何もないよりはマシなのである。
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テーマ:文明・文化&思想 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2015/06/21 18:10] | おすすめの本 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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