仕事における文章
 画家が絵を描く、絵を描き続けていく心構えなどについて、書いているものは非常に少ない。それで村上春樹が何度も書いている小説の書き方などを取り上げてきた。参考になるかもしれないし、ならないかもしれない。

 村上春樹曰く(といっても記憶違いかもしれない)、村上龍とか、よしもとばななとかの、若い頃から大量の作品を書いている人は、特別な天才であって、彼らの足下には、ちょっと掘れば金の鉱脈が広がっている。僕の場合、時間をかけて地下深く掘らなければ物語が出てこないと言っている。

 本居宣長によると、効率的な勉強の仕方などというものはない。世の人は、先生からうまいやり方を教われば、自分もできるようになると思っている人が多いようだ。自分ができないのは、努力が足りないのではなく、やり方を教えてくれる人がいなかったせいだと思いこむ。いっしょうけんめい、長い時間をかけて、がんばるしかないじゃないですか。

 今はですね、せいぜい 「がんばらないけど、あきらめない」 ぐらいの気持ちです。



無趣味のすすめ 村上龍』より。

 仕事における文章は、「正確で簡素」でなければならない。そして、それは非常にむずかしい。当たり前のことだが、文章というのは読む人に理解されなければならない。

 実際の作業は全然違う。脳に負荷をかけて、できるだけ正確に書く、という面白くも何ともない作業の繰り返しに過ぎない。物語に破綻がないか、人物の造形に誤りがないか、登場人物の行動と態度と発言に不自然さはないか、描写に過不足がないか、比喩は適当か、読者が読んでいくときのリズムを壊してしまうような省略や反復はないか、何度も何度も読み返し、まるで偏執狂のように余分な文章や言葉をそぎ落とし、足りないシーンや文や言葉を書き足していくという、地味といえばこれほど地味なものはない、というようなことをえんえんと繰り返すのが「小説の執筆」だ。

 だがそれは「力業」などではない。ミスが許されないプログラミングとか、化学的な実験とか、ビルの設計などに近いものではないかと思う。

 その力は筋肉と同じで鍛え続けないと退化する。そして発想力を鍛え、維持するためには、他の誰よりも「長い時間集中して考え抜く」という、ミもフタもないやりかたしかない。つまりアイデアというものは常に直感的に浮かび上がる。しかし直感は、「長い時間集中して考え抜くこと」、すなわち果てしない思考の延長線上でしか機能してくれない。

おしゃれと無縁に生きる
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[2015/10/27 17:28] | 図書館 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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