道遊の割戸
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 この作品は、いまのところ2年寝かした未発表ものですが、今回出品します。画像よりも、もうちょっと描き加えてると思います。見たとおり山の上が、くさびを打ち込んで割れたようになっています。自然にこうなったのではありません。

【「慶長6(1601)年、金山発見の端緒となった大鉱脈の露頭掘跡が「道遊の割戸」です。江戸時代には主に地表部の採掘が行われましたが、明治以降も割戸の下部で大規模な開発が行われました。】ホームページから。

 日本人は、諸外国に比べると「金」に、それほど価値を見いださない民族だったのですが、戦国時代になって変わってきました。戦国大名は、戦に勝ち抜くために、堺で鉄砲や火薬を購入しなければなりません。それまでは米などで、武器を調達できたのですが、お金が必要になってきました。織田信長が急躍進したのも、米以外の収入を増やしたためです。

 武田信玄の甲州で、金山が開発されました。静岡や愛知のような恵まれた土地と違います。甲州は、徹底した治水工事を施さないと、満足に米を作れないような土地でした。土木工事が得意な土地柄です。そこで鉱山開発技術が発達しました。そこで育った、大久保長安が(能役者の息子らしい)、徳川家康の命で金山奉行として佐渡へ乗り込みます。

 相川の町から見える小山のど真ん中を掘り返しました。権力者の金に対する欲望の恐ろしさです。掘り出した金を含む土砂は、そのまま地上を運ぶのではなくて、縦に地下深くまで穴を掘り、そこに落した石を、下流にある精錬所まで、トンネルを造りトロッコで運びます。

 表側は絵の通りですが、裏に回ると思いっきり崩しています。

金山12
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テーマ:絵画 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2016/05/13 17:38] | 絵画作品2015/16 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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