プラトニックエロス・再
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☆ 

 もし美そのものを見ることが出来たなら、今までわれわれの見ていたものは影なので、真実の徳を生み出すことが起こりうる。

 それがエロスで、そういうことです。
日本放送協会のある番組で、エロスが語られていました。簡単にいうと伝わらないが、詳しく言えないので、それなりに。

 それからプラトンの「饗宴」を読んでみました。
 対話編なのですが、解説によると、今では考えられない状況での飲み会でのことです。寝椅子に横になって、飲み食いしながら討論するのです。年配の男性が、年下の美少年をぴったり侍らせながらごろ寝している(こともあります)。後から来た人が、ソクラテスと主催者の間に座らせてくれとゴネたりします。隣に座るというのは、添い寝をするのに近い状態です。

 そんな状態で、順番にエロスについて思うところを表明する。その中で、比較的面白いのは、元々人間は現在の人間が、二人くっついた状態の生き物だったというお話。男男、女女、男女(おめ)の三種類ある。いろいろ事情があって、神は人間をまっぷたつに切ってしまう。その元の片割れを求めてさまようようになったのが恋で、それを司るのがエロスなのだ。

 ここのところ、「海辺のカフカ」にも引用されていて驚いた。村上さんは、もちろん、エロスを見ているのでしょう。洞窟とか井戸の中で。この小説も、残念ながら美人が出てこない。

 それで、「饗宴」を最後まで読んで、本文以上の分量がある解説を読んでも、放映の中にあった重要な部分が出てこない。なぜだろう、なぜかしら。もう一度見返したら、私たちのエロスとの関係も、イデアとの関係と同じということで、プラトンの『国家』からの内容であった。別の本なのだ。

★      ★

プラトン『国家』〈洞窟の比喩〉。私たちの世界とイデアとの関係。
 
 私たち人間は生まれたときから、どこかの深く暗い洞窟の中に住んでいる。
その体は手足首が縛られており、洞窟の奥の壁を向かされている。
人間達の背後には塀があり、その奥にある松明の明かりが、塀の上で動かされる人形の影を洞窟の壁に映し出している。人間達は自分が見ているものが影だとは、全く気づかない。本物だと信じ込みその動きをあれこれ考えながら生きている。

 あるときそのうちの一人が拘束を解かれる。彼は後ろを向き、強い光と、塀の上で動く人形を見る。彼は今まで見てきた影が現実だと思いこんでいるので、事態がなかなか飲み込めない。しかし次に彼は洞窟の入り口へと連れて行かれる。そして彼は外の世界を目の当たりにする。最初はあまりの明るさにものを見ることが出来ない。しかし彼は自然の姿をはっきり目にする。そして太陽が世界を成り立たせていることを理解する。

 彼は洞窟に再び降りていく。そして洞窟の人たちが見ているのは影に過ぎないことを知る。しかし洞窟につながれた人たちは、かれが説明する世界の真実を全く信じようとしない。逆に男を危険視して殺してしまうかもしれない。

★      ★

 番組では、伊集院がつっこむ「テレビ業界?、出版業界?」言っていいのか。

先生は「いや、この現実だと思っている世界全体のことです」
江川達也「イデアに立ち返って、システムを変えていかなければいけない」
「いちおう影絵の世界でおとなしく見ているように演じています」
伊集院「死刑にならないように」
江川達也「本当はイデアの方に行ってほしい」
「でも作品の中のイデアを増やすと人気がなくなる」

わたしたちはプラトンを目指そう。ソクラテスにならないように。
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[2016/06/30 19:54] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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