知的生活の方法2
 だいぶ前に、一度取り上げたことがあると思う『知的生活の方法』であるが、その時と違うと思われるところを書いてみる。創作活動というものは、孤独と規則正しい生活を求められる。語り合うべき友と、十分つきあうのは難しい。


『知的生活の方法 渡辺昇一』正編・続編より

 何歳になっても、知的生産の中心は、孤独で考えたり瞑想したりする時間、孤独で本を読む時間、孤独で作業する時間である。一日何時間か、全く孤独でいても心楽しいという気質ができていないと、知的生活は成り立ちにくい。

 詩人が詩を作り、画家が絵を描き、作家が文章を書くときは、全く孤独な時間の連続である。中断があって些事に注意を向けなければならないことは、しばしば他人の目には何でもないことのようでありながら、当人には致命的なことが多い。知的生活は、本質的に孤独であるが故に、語り合うべき友を求める生活でもあるのだ。

 「作品」と名の付くものは、その大部分は機械的な作業であることを悟らない人は、知的生産には無縁にとどまるであろう。インスピレーションが出てきたときだけ書くというのでは、俳句ならいざ知らず、長編小説は書けない。

 寡作の人がよい作品を書くわけではなく、たくさん書くとうまくなるのだ。機械的なやり方であったために、多作の彼がシーズン中には週三回狩りに出かける暇があり、毎日トランプし、社交も大いに楽しむことができたのだ。優れた長編小説家は必ず多作であり、多作の人は必ず機械的に書いているのだ。

 せいいっぱいの勤労をしていると、心はかえってのどかで余裕があるというのだ。外見的には機械的に動いているとき、かえって心は自由になり次から次へとアイデアやら構想が浮かび、洞察が深まってゆくというのが常である。

 つまり構想が構想である内は論文でも何でもないこと。一応の構想やら書いてみたいことが浮かんだら、書き始めてみなければ何もわからないということ。書き出す前の構想などは、実際は一枚目を書いたとたんに飛び散ってしまうことだってあること。

 まずなによりも肝心なのは、思い切ってやり始めることである。仕事の机に座って、心を仕事に向けるという決心が、結局一番むづかしいことなのだ。事をのばさないこと。体の調子や、気の向かないことなどをすぐ口実にしたりせず、毎日一定の適当な時間を仕事に捧げること。

 一度、この、仕事に没頭するというほんとうの勤勉を知れば、人の精神は、働き続けてやまないものである。

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[2016/11/10 20:16] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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