まだ見ぬ書き手へ 1
 丸山健二という小説家の作品では、小説は芥川賞受賞しか読んでいないが、エッセイはずいぶん親しんで読んだ。たしか「GORO」という雑誌に連載されていた『メッセージ 告白的青春論』角川書店 1980を、だから30年ぐらい前に、感心してよく読んだものだ。

 1966年、「夏の流れ」が第23回文学界新人賞受賞。
翌年、同作が第56回芥川賞受賞(23歳での受賞は当時最年少)

 その後、図書館で『まだ見ぬ書き手へ』朝日新聞社 1994を借りて読む。だから20年ぐらい前のこと。小説家を目指す若者にあてて書いた、これぞ小説家の生きる道、といった内容の本です。

 この中で、小説は7回、一から書き直せ。それで満足のいくものが3作できてから新人賞に応募せよと言っています。村上春樹も言っているように、なんども書き直すのです。書き直すことから学ぶものが多いようです。

 しかし文学では、書き直しというのはこれぐらいなのでしょうか。毎回、全然違った主題を見つけてこなければいけないものでしょうか。「四季」で有名なヴィヴァルディなんかは、ヴァイオリン協奏曲を何百曲も作曲しましたが、同じ曲を何百回も作曲し直しただけだなんて言われることもあります。

 モネの連作を例に出すまでもなく、画家にとっては同じモチーフを何度も描くのは当然のことです。絵を見るのも、何度も見るのが当然です。読書というのも、同じ本を何度も読むのを読書というのであって、一回や二回読んだぐらいでは、読んだことになりません。


 丸山健二『まだ見ぬ書き手へ』から、1994年に書き写した文章より。


 問題になるのは、才能の有無です。いかなる世界で生きるにせよ、そこで成功するには何をおいても才能が絶対不可欠であり、さらにその才能の質が問題となってきます。

 才能とは、普通の人よりも何か特別な力を持ち合わせているということではありません。むしろその反対で、普通の人が持っている能力を一つか二つ持っていないことなのです。

 本当に執筆に当てる時間は、あなたや愚かなプロの書き手が思っているほど長くありません。一日にせいぜい2,3時間が限度です。それ以上書いて書けないことはないのですが、書いてもただ書いただけという程度でしかないような代物になるだけなのです。

 嫌気がさしても、気分が乗らなくても、ほかに面白そうなことがあっても、体調が少々悪くても、一日に二時間きちんと書き、そして完成させるのです。何が何でも完成させてみせるという気持ちを持つことが第一で、その作品の質をどうやって高めてゆくかはそれからの問題です。

 創作の喜びとは、きょうあす中にどうにかなるような、一年や二年の奮闘で手にはいるようなものではないのです。プロの世界では楽しんだり、面白がっているうちは仕事になっていないのです。それを仕事という形にさせるには、ストーリーづくりの楽しさが消えた後どこまで深く彫り込めるかにかかっているのです。
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テーマ:本の紹介 - ジャンル:学問・文化・芸術

[2016/11/30 14:28] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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