まだ見ぬ書き手へ 2
 1994年に図書館から借りてきた、丸山健二『まだ見ぬ書き手へ』。先日、図書館祭りで古い本を(無料で)放出し、その数日後もまだ残っていた本の中に、この本を発見して持って帰りました。偶然、22年ぶりに、手にしたのです。



 小説を書き始める前のあなたは、結局何も見てはいなかったのです。自分自身も、他人も、世間も、ほとんど見ていなかったのです。他人を見る、世間を見る、それも必要以上に見るということは、自己の内面を覗き込む以上に、小説書きにとっては大切なことなのです。人間とは何か、人間としてどう生きるべきか、あるいはどう死ぬべきかという普遍のテーマに逃げることなく挑みつつけなければ、魂を揺さぶる、真の感動を呼び起こすまでには至らないのです。

 ありとあらゆる芸術が取り扱うのは、要するに魂の問題なのです。それと正面切って対峙している人はとても少ないのです。なぜならそれは暗く辛いことですから。幸福や安定に近づけば近づくほど人はそれから離れていってしまうのです。
 
 文学ほど個人に立ち返ることができる、つまり己の魂と向かい合うことができる芸術はほかに例がありません。書き手は読み手の数倍もの孤独を味わっていなくてはならないのです。孤独というものに慣れた、孤独のエキスパートでなければ書き手はつとまりません。

 創作に携わる者は、自分以外の力をあてにしてはいけません。あなたの小説はあなたのペースで、あなたが全責任を負って、誰にも口を出させず、最後の最後まで自力で完成させなければなりません。

 五年経っても、十年経っても、そこに待ちかまえているのは、今日と同じような、書く気があるのかないのか自分でもよく分からないような日々なのです。ともかく毎日書き続けた方がいいのです。大張り切りで書くことはありません。ともかく事務的に毎日少しづつ書くのです。持てる力の半分くらい出して、リラックスして、書き続けるのです。

 書き手になったからには、あなたの上にも、あなたの下にも、また、あなたの横にも誰かを置いてはならないのです。一人になることから始めて一人のまま終わっていくのが、芸術を追い求める者のあるべき姿なのです。
 
絵画や彫刻といった美術館の世界においても、自作を前にして恐ろしく次元の高い言葉で説明し、飾りたがる人がいます。そんなことをする必要はありません。そんなことは作品を読めばたちまち分かるのですから。その作品について作者がまだあれこれいいたいというのは、完成していない証拠でもあるのです。限界まで挑んだ作品なら、作品の意図するところを訊いてくる読み手に答えてやることはありません。

 心を開いて話ができる人間はあなたが考えているほど多くはありません。一生のうちに一人か二人いればいい方で、普通は一人もいない場合の方が多いのです。真の芸術家ならば絶対に仲間を作るようなことはしないはずです。あなたの作品に注目しても、あなた自身に接近をはかるようなまねしないはずです。

 もしあなたが独身で、どうしても結婚したいと考えたのなら、あなたに積極的に寄ってくる女性は外すべきでしょう。あなたが追いかけても逃げてしまう女性の中から選んだ方が、あなたにとってもその女性にとっても、より本物に近い恋愛になるはずです。

 一人で平然と生きてゆかれるようなあなたになるということです。一日中誰にも会わず、数ヶ月間口をきかなくても苦痛を感じない、というような人間を目指すのです。そこをくぐり抜けなければ何も見えてこないでしょう。
 



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倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし
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[2016/12/05 16:53] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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