完訳太平記
足利尊氏珠子

片岡球子作 足利尊氏


『太平記』(たいへいき)は、日本の古典文学作品の1つである。歴史文学に分類され、日本の歴史文学の中では最長の作品とされる。

 全40巻で、南北朝時代を舞台に、後醍醐天皇の即位から、鎌倉幕府の滅亡、建武の新政とその崩壊後の南北朝分裂、観応の擾乱、2代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任まで(1318年 (文保2年) - 1368年(貞治6年)頃までの約50年間)を書く軍記物語。(うぃきぺでぃあ)


 4月から、あまり本を読んでいませんが、『太平記』を読み始めました。
日本史の中では、バタバタしすぎていてわかりにくい時代です。読んでみると戦時中の皇国史観に利用されたほど、後醍醐天皇や楠正成が、過度に立派に描かれているわけでもない。仏教的因果応報論にもとづき、後醍醐天皇は徳を欠いた天皇として描かれる。天子に徳がないと、国が乱れる。

 北条高時に徳がないために鎌倉幕府が滅亡に至ったとしているが、そんなに悪い人ではなく描かれている。新田義貞もなかなか立派な武将のようだ。やたらと、義のために自決する武士が多くて、ちょっと辟易する部分はある。

 新田と足利は10代くらい前に兄弟で別れた、元は頼朝と同じ源氏の家系。新田の方が兄で、足利は弟だったが、どういうわけか足利が源氏の本流と思われていたようだ。

 当然であるが、足利とかいう名前は、荘園などの場所の地名であって、正式の名前は源尊氏。北条は平氏。グレコも、ダ・ビンチも地名だし。徳川は新田の家系を引いていると、いうことになっている。

 騎馬武者の人数が10倍ぐらい大げさに書いてあるように感じる。弟の足利直義が50万騎で駆けつけるとか。楠正成の千早城が100万の鎌倉軍でも攻め落とせないのに、鉄壁の鎌倉が、なんで新田義貞軍に破られるのか。ほとんど天下統一間近の豊臣秀吉軍でさえ、20万で小田原城を囲んで、北条の降伏待ちなのに。

 途中で、関連のある中国の歴史が語られる。項羽と劉邦や、始皇帝や、呉と越の話などが、方便やちょっとした引用ではなくて、数ページにわたって詳しく語られる。四面楚歌の場面や、「虞や虞や、なんじをいかんせん」なんていう虞美人も出ていた。20巻まで、半分まで読んだところで、まだ足利尊氏は、それほど目立っていない。

 足利尊氏が、九州勢を引き連れて淡路あたりから関西に上陸するところでは、敵味方入り乱れて半鐘を鳴らした。数百万の軍勢の、その音は何十里にも響き渡り、地軸が傾くほどであった。そうな。
 その頃から、地球の地軸なんて、知っていたのだろうか。
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[2017/06/06 17:04] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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