「自分」という存在があるような錯覚
不思議の科学



『不思議の科学 3 森田健』より

 人はいつからか、「自分」という存在があるような錯覚に陥りました。
自分という錯覚は、育ってきた過程で知られてきたものであり、はとんどが思いこみにすぎないものです。社会やつき合う相手で変化するものです。

 いろいろな体験を積み重ねる内に、「私はこうだ」と信じるようになったのです。
しかし私自身を磨くことのはうが、生きることより、大切なのでしょうか~
生きた結果を積み重ねるほうが大切なのでしょうか~
生きることより、成長が大切なのでしょうか~

天真欄漫な時期ほ、誰にでもありました。
遊ぶために遊んでいました。
食べるために食べていました。
生きるために生きていました。
どんな人の心にも、その根底にはこの性質がひそんでいるほずです。

 そこには他人に対する演出のようなものはありませんでした。
 失うものなど無かったのです。
 だって、「自分はこうだ」というようなものが無かったからです。

もしも「私という存在」があったとしたら、どこまでが「私」でしょうか。
私の体は私でしょうか。
私の意識は私でしょうか。
私の無意識は私でしょうか。
私が体外離脱の際に脱ぎ捨てた体は私でしょうか。

 人の親切やありがたみが、より理解できるようになりました。
 それは自分を無力だと思えてきたからだと思います。
 大人のまま、子どもに返る瞬間、私たちは豊かになるのです。
 私は私のままでいい。
 あなたはあなたのままでいい。

私やあなたはもともと無いのですから……。




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[2011/06/20 18:33] | おすすめの本 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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