憲法という形では書いてない憲法がたくさんある
憲法がある



『自分の頭と身体で考える 甲野喜紀 養老孟司』より

 目というのは、耳と違ってすごく編集機能がありますよね。たとえば狭い場所で、ゴキブリがチョコチョコと動いている速さというのは、そこだけ画面が切り取られているように見えるので、何かもう時速三〇〇キロも出てるように見えますよね。つまり、テレビの画面の中で、Flのレーシングカーが走っているのと同じように見えたりするわけです。

 ところが、音というのは、どんな種類の音でも、一秒が長く感じたり、短く感じたりはしないものです。そこが目とは全く違う。つまり、目というのは現実を編集するので、アニメとか漫画などはすごくデフォルメされていても、つい引き込まれて見ますけれど、じゃ声も、アニメみたいにすごく作り物めいた声にしたらどうかというと、これは全然感じが出ないわけです。声の方は声優が、本当のドラマみたいにやらないと感じが出ない。だから視覚系と聴覚系って、本当に違う感覚器官なのですね。

  
 それで、目というのは非常に奇妙で「これ見て、これ見て下さい」と言うんです。そうすると、見ようとして目玉を動かしますよね。その時に、背景は動いてないでしょ。もし目がテレビカメラと同じだったら、その時に背景がザーツと動くはずなんです。ところが、人間の目はよくできていて、周辺視野は固定して、中心視野だけを動かしているんです。誰でも、日常的にそれをやってるわけです。

 そうすると、周辺視野は止まっていることから、どういう印象が生まれてくるかというと、「世界は静止している」という印象が出てくる。本当は、周辺視野も動いているんだけど、一応、それは止まっているものとして見ているわけです。

 では、なぜ静止しているように見るのか、ということになるのですが、皆さんの網膜に
は自分の血管の姿が映ってるということを、ご存じでしょうか。眼科の医者が眼底鏡を覗くと、血管がきれいに見えて、その向こう側に神経細胞も、光受容細胞もある。だから、光の来る手前には当然、血管があるわけです。でもそれは、見えない。なぜ見えないかというと、全く動かないからなんです。


 それは言語の影響も非常に大きいでしょう。言語というものは、基本的に世界を規律するものであって、言語が世界を決めるという考え方は日本人にはありません。たとえば、日本は法治国家ではないんですよ。どういうことかというと、誰も社会が法律でできていると思ってない。だから法律に優先する行動を取れる。

 逆に、この国は憲法という形では書いてない憲法がたくさんあるんですよ。さっき言った、「入試は公平かつ客観的でなければならない」もそうです。それは日本人全員が、そう認めるものでなければいけないと決まってますから、いかに私立大学でも、学生は金で入れないです。入れるとすれば、多少後ろめたくて、陰で入れています(笑)。やはりルール違反だということを知ってるわけですから、それは書かれてないけど、非常にはっきりしたルールなんです。

 自分が暗黙のうちに、どんな馬鹿なことをやってるかということも理解してない人が多すぎる。だから、自分を「正しい」と思う人が増えてしまうんですよ。自分は悪いことなんかしたことないという顔をしているわけでしょう。冗談じゃない。たいへんな差別をして、たいへんな圧迫をしています。それが分かってれば、多少後ろめたいから、あんまり人をいじめないと思うのですがね。



  

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テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

[2011/07/10 17:25] | おすすめの本 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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