『エレクトラ』 アバド ウィーン国立歌劇場 1989
エレクトアバド



 ここの所、猛暑で家に隠っている。そこで、音楽を聴く気にもならないのだが、新国立劇場の今秋シーズンの出し物、『イル・トロヴァトーレ』「サロメ」『ルサルカ』「こうもり」を聴き直している。

 そこで小澤征爾・ノーマンの「サロメ」を聴いたら、これがとてもいい感じだ。ヴェルディなどの、普通の?オペラと比べて、とりつく島もない、わけがわからない音楽だと、ずっと思っていた。

 ところが、実演では2回接したが、どういうわけか感動するのである。『ばらの騎士』や『影のない女』などの、しっかりした形式(これも自信がないが)の、堂々たるオペラではなくて、その中の一部をとりだして、引き延ばしたような、唐突な始まり方なのだ。

 つまり、『影のない女』の第2幕後半の、みんなでギャーギャー騒いでいるところだけを取り出したような音楽なのだ。ここの部分は、とても好きなのだが、ストーリーとか音楽の流れとか、そんなことは混乱していて、自分が今どこにいるのかわからない状態で感動しているのだ。

 そこで小澤征爾・ノーマンの「サロメ」を聴いていたら、今まで感じていたのとは違って、日本古来の雅楽を聴いているような気分にひたってしまった。春日大社神苑で聴いたことがあるのだ。やたらと同じようなフレーズが繰り返されるのだが、気分が高揚するのだ。

 それで、猛暑に囲まれ、籠城中である。信じられないのだが、「サロメ」と『エレクトラ』のビデオを、午前午後で立て続けに見たのだ。正確に言うと、『エレクトラ』を見たらよかったので、「サロメ」も続けて見てしまった。もっと楽しいものにしたかったのだが、これが運命というものだ。


 このアバドの『エレクトラ』のビデオは20年前に録画したきり、一度も見ていなかった。『エレクトラ』という曲自体、有名なショルティのCDを買って、一度聴いたきり、苦しそうな曲なので敬遠していたのだ。まさか今頃感動するなんて。きっと、『影のない女』と「サロメ」に馴染んだせいで、受け入れられるようになったのだろう。

 しかも主役がエヴァ・マルトンである。感動するわけがない、という先入観がある。彼女のトゥーランドットとレオノーラは全然よくない。こんなタイプのノーマンやネトレプコの声は好きじゃないのだ。いやいや、おそらく、生で聴けば素晴らしいのに違いないが、録音されたものだとそう感じるのだ。

 こう思うマルトンであるが、声以外は、最高に感動的だ。(褒めたことにならない?)声は、この中では、当時絶頂期の、シェリル・ステューダーが最高だ。ファスベンダーは、声というよりも、演技、というか不気味さがすごい。

 演出はひどく暗い。右側に、フセインの銅像みたいなもの、腰から下だけ見えている。つまり巨大な像があり、左側にその頭、3mぐらいの巨大な頭が落ちている。クリテムネストラとエギスト以外は、ボロボロの雑巾みたいな衣装。暗い、汚い、暑い(これは関係ないか)という苦しさの中、なんだか感動した。

 しかもアバドが、リヒャルト=シュトラウス。他に何か録音があったっけ。ワーグナーも『トリスタン』と『ローエングリン』だけだし、プッチーニはない。とまあ、有力指揮者としては珍しくレパートリーがバラついている。しかも、一番似合いそうもない『エレクトラ』なんて。


『エレクトラ』 ウィーン国立歌劇場 1989年ライヴ!

 エヴァ・マルトン(エレクトラ)
 ブリギッテ・ファスベンダー(クリテムネストラ)
 シェリル・ステューダー(クリソテミス)
 ジェームス・キング(エギスト)
 フランツ・グルントヘーバー(オレスト)
 ウィーン国立歌劇場合唱団(ヘルムート・フロシャウアー:合唱指揮)
 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
 クラウディオ・アバド 指揮 ハリー・クプファー演出


 カーテンコールでは、ハリー・クプファーや、他のみんなにこやかなのに、アバドだけ変な表情をしていた。観客のブーイングに、困惑したようだ。見事な熱演なのに、不平を言うことがあろうか。こんないいビデオ、何でもっと早く、見なかったんだろう。



  


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[2011/07/13 19:58] | シュトラウス | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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