大切なことは言葉にならない。やってみせるしかない。
言葉伝わらない

☆ 雨の平安神宮神苑 京都



『大切なことは言葉にならない 養老孟司』より


 どうして虫なんか、調べるのだ。だから世界が知りたいだけのことである。知ってどうする。またそこに戻る。それがきちんと説明できないことは、子どものときからわかっている。

 「大切なことは言葉にならない」のである。この本でも、一生懸命になにかを説明しているんだけれど、いちばん大切なことは言葉にならない。やって見せるしかない。それが「生きている」ということで、生きているのは楽しいことである。

 いまの人はそこを誤解しているんじゃないか。そう思う。メールもツイッターもフェイスブックも、それはそれでいい。でもありややっぱり「機械の中の幽霊」 でしかない。同様にして、ここの言葉も紙の上の幻であろう。虫は生きて動いているけど。

 それでも懸命に言葉にしてみるのは、言葉にならない世界を伝えたいからである。もちろん直接には伝わらない。でも、そういう世界に自分から触れたいと、読者に思ってもらいたい。そうしてくだされば、その人自身の言葉が発生する。それが身についた言葉なのである。


 世界を知りたいと思うこと、それを整理して考えること、そういうことに関心を持ったのは、本当に幸福だったと思う。子どもの頃の時代が良かった。それはしみじみ思う。なにしろ焼け野原、大人は食物を確保して、生きるのに精一杯、子どものことなど、かまっている暇はない。不思議なことに、そのほうが子どもはよく育つ。冬でも半ズボン、穴のあいたゴムの運動靴、食物はカボチャと乾燥芋、寒くてじっとしていられないから、外で走り回るしかない。それでも小学校で亡くなった同級生は一人だけ、級長までやった秀才だったけれど、それがストレスになったに違いない。

 テレビはないし、ゲームもない。インターネットはむろんない。おかげで世間の常識も教えてもらえないから、世界を「自分で知ろうとする」以外にすることがない。ただひたすら、それをして生きてきた。そんな気がする。庭のトビムシも、なにをしているのだろうか。つくばいの水の上に、数十頭の個体が集まって、右往左往している。まだ三月初めの寒空だけど、かれらはすでに春を感じているのかもしれない。庭石の上を、ポッポッ歩いているのも多い。じつと止まって、動かないやつもいる。寝ているのかもしれない。虫も寝る。最近それが昆虫の生理学でわかってきた。寝るということは、起きていることがあるということで、起きているなら、意識があるはずである。それはどういう意識なんだろうなあ。

 こうして私は、虫にもなる。虫になると、世界がものすごく広い感じがする。こんな広い世界を、わざわざ狭くしているのは、いったいだれか。脳はやっばり開かなくてはいけない。開いた脳は世界にそのまま連結してしまう。それが幸福で、なぜなら世界が自分になれば、異物はもはやなくなってしまうからである。そう思えば、調べているのも、考えているのも、対象は要するに自分ではないか。だから古人は「汝、自らを知れ」といったのであろう。



  


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[2011/09/20 19:45] | おすすめの本 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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