正義とは他人を支配したいという暗い欲望である
正義池田



  以前から、たとえば久米宏などが司会をしていたような、世俗的ニュース番組の司会者って、政治と野球のことだけやたらと詳しくて、他のことは何一つ知らない、というスタンスで出ているのが不思議に思っている。

 インターネットのことも、地球温暖化のことも、原発のことも、ジョブズやビルのことも、日本の歴史についても、専門家を呼んでは、的外れな質問などをして、トンチンカンな意見をもっともらしく述べている。

 なんでテレビでは、ウソ八百とは言わないが、もうちょっとまっとうな意見を言わないのだろうか。やっぱり政府に統制されているのだろうか。

 さんまの「ホンマでっかTV」でおなじみ、武田邦彦さんの横に座っている、ちょっとなにが専門なのかわからない重鎮、池田清彦さんの著書です。


『ゼフィルスの卵 池田清彦』より

 靖国神社に勝手に祀られている人の多くは、戦争なんかで死にたくなかった人だろう。それがなぜか英霊なんかにされちまって、靖国神社の商売や政治の道具に使われている。気の毒にねえ。だけど、どうしてそうなったんだろう。

 それは正義に逆らえなかったからだ、と僕は思う。錦の御旗の下で、誰かが何かを言う。本当はイヤなんだけれども、反対するほんの少しの勇気がなかったのだ。しかし、ひとたび賛成してしまえば、今度は反対する奴が憎たらしくなる。オレだって本当はイヤなのに賛成しているのだから、オマエも賛成しろというわけだ。かくして、戦争やりたい人一割、やりたくない人九割の集団が、正義という不思議なポジティブ・フィードバックのおかげで戦争をはじめることになる。

 戦争は一割のやりたかった人の責任だろうか。もちろん、この人たちの責任は重い。しかし、残りの九割は単にだまされただけなのだろうか。断じてそうではない。

 正義というフィードバック装置を動かした原動力は、この九割にこそあったのである。英霊とはアホな精神の別名だ。こういうことを書けば、お国のために命を捧げた英霊を侮辱するのか、という人が必ずいると思う。ああきたはじまったよ、正義の物語が。正義とは他人を支配したいという陪い欲望である。

 どんな立派なお題目でも、あなたの個人的な楽しみを邪魔する政策には、とりあえず眉に唾をつけてみょうね。どんな立派なお題目でも、あなたの生活に何の関係もない規則の制定や規則の改定にはとりあえず反対しょうね。これは正義という物語に支配されない、さしあたって一番簡単な方法である。そして戦争を回避する最も確実な方法である。戦争はいつだって、二つの正義どうしの争いなのだから。

 国家はそこに住む人々の道具なんだから、道具は道具らしくしているべきだ。国のためというすべての考えは、正義のためというのと同じように唾棄すべきものだ。英霊になっても賊霊になっても死んだらただの亡霊なんだから、国のためになんてことを考える必要はないのだ。


       ゼフィルスの卵★ 池田清彦


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[2011/11/12 23:19] | おすすめの本 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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