生でないと本質は伝わらない。だけど…
チェリDG

チェリEM2



 セルジュ・チェリビダッケのCDをいくつか聴いています。みなさんご存じの、ドイツ・グラモフォンから出ている、シュトゥットガルト放送交響楽団とのブルックナーシリーズ。EMIから出ているミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団のものです。どのような理由で録音されたものかわかりませんが、ライブ録音です。

 彼のCDで聴いたことのあるものは、ベートーベン、ブラームス、ブルックナーだけだと思います。そして、とても素晴らしいと感じる数少ない曲もある反面、繊細ではあるが、遅くて生気のない演奏に感じる場合がほとんどでした。

 今回チャイコフスキーの第6交響曲を聴いて、あらためて驚きました。他の演奏とあまりに違う。異常なテンポのバーンスタイン盤と比べても、さらに独特のテクスチャー(という感じなのだ)を持っている。ダルく感じる部分もないわけではないが、一度きりのライブだったら、そうとうな感銘を受けたことは間違いない。

 
 生前、スタジオ録音に限らず、録音を嫌っていたチェリビダッケです。録音は音楽の本質を破壊するもので、本物の音は生の空間でしか体験することができないと。

 双方のリブレットには、父の意に反して、CD発売を許可した息子の、かなり丁寧なコメントが添えられています。EMI盤の方から要点を書き出します。

 録音というものは、現実を歪曲して伝えるものであり、一人の人間として与えられた限られた人生において、ためになるようなものではない。

 テンポは譜面の複雑さや副現象によって、微妙に変化します。録音は、会場で聴かれる現象のわずか数パーセントしか再現されないため、CDのテンポは常に「遅すぎる」印象を与えてしまう。

 父の写真は、父本人ではないけれども、父を思い出す手助けをしてくれる。録音されたものは「音楽そのもの」ではないけれど、父の演奏が「真の音楽」であったことを思い出させてくれる手助けとなる。

 その他、著作権、劣悪な音質の海賊版対策。


 かつて、カラヤンが夏休みの間だけ、ベルリンフィルのメンバーとサンモリッツでレコーディングをしていました。そのテープを後で、ベルリンに戻って聴き直してみると、印象が全然違うのだそうです。恐らく、高地による気圧の変化と、それによる心拍数の違いなどによって、ベルリンで聴くと、心地よくない演奏に変容してしまう、というようなことが、どこかに書いてありました。


 以前書きましたが、プラトンが著書の中で、本質的で大切なことを言っています。
「文章では、哲学の第一義は伝わらない。」
 言葉や文章や本のような形では、本当に大切なことは人から人に伝わらない、と言っているのです。心を開いて語り合う、二人の人間の対話の中でしか、本質は伝わらないのです。

 実際の対面の場合、その時の気候状況や、相手の顔色を見ながら、声の高さや力の入れ方を、臨機応変に変えますよね。相手に伝わっているか確認しながら、繰り返したり、さらにかみ砕いたり、大事なことをさっと通りすぎたり、そのとき次第で変わっていきますよね。

 つまり、十分な準備をしているにしろ、音楽が始まってしまったら、テンポやバランスなどの流れは、そのとき次第。ということをチェリビダッケの演奏に感じます。
 
 家庭で、レコードなんぞで音楽を聴いてたって、本質は伝わらないのです。
これは、写真と絵の関係、あるいは、本物の絵と画集で見る絵についても、そのような問題が生じています。

 しかし、、私たちには、経験に裏打ちされた、想像力というものがあるのです。



  

  
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テーマ:クラシック - ジャンル:音楽

[2012/01/18 21:10] | レコード | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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