板子一枚下は地獄
一枚下は地獄




 震災関連の番組ばかりで、いやでもあの地震から1年がたったと実感させられる今日の日です。昨年の、震災の前日に、自分が時計と携帯を持っていない事を引き合いに、ブログにこれを出しました。

『月はながめるものである  上旬の図書0310』
これを要約すると、

『茶の間の正義 山本夏彦』より

「何用あって月世界へ 月はながめるものである」という文章を、かねがね私は書きたい
と思っていた。

 辛か不幸か、私は日本人で、このごろいよいよ日本人である。何度も言うが、私は自動車を認めていない。ラジオもテレビも認めていない。あんなもの、なくてもいいものである。あっても人類の福祉とは何の関係もないものである。

 アポロは月に着陸したという。勝手に着陸し、次いで他の星へも行くがいい。神々のすることを人間がすれば、必ずばちがあたると言っても、分りたくないものは分るまいが、わずかに望みをつないで、かさねて言う。
何用あって月世界へ?
月はながめるものである。



そういうわけで、(どういうわけだ?)今年は。
『3.11以後  茂木健一郎 竹内薫』より


 アメリカの行動をみれば分かりますが、本当に世界は冷酷で、平気で人々が殺し合う現実は扱きがたくあります。そのなかで日本と日本人は、まだ世界を「お花畑のようなところ」だと思っているような印象です。反原発の言説には、そうしたナイーブなものが見え隠れしています。平和や安全は、「一心に求めれば実現できる」と、日本人はナイーブに考えているかのごときに見えます。


 中国の人というのはルール (法律)を無視することに慣れっこになっていて、常に法の網をくぐる方法を探しながら、私たちが思う以上に自由にビジネスをやっていることがわかりました。
                                         中国国民にとって、政治というのは自分とは無関係な存在なのです。「国」自体が自分とは無関係である、という意識さえあります。つまり、国に対して何の期待もしない。そうして、自分たちで勝手にビジネスをする。この考え方が、日本人よりもはるかに強いのです。最終的に国に頼ろうとする日本人の「裏返しのパターナリズム」は、中国人には全くあてはまりません。

 日本と中国をよく知る私の友人のアメリカ人は、「中国人は日本人よりも自由であり、自立している」と言います。中国人のこうしたメンタリティーは、ある意味で、アメリカ人の考え方に似ていると言えます。アメリカ人の好みは、中国人の考え方のほうです。


 漁師がよく使う言葉で「板子一枚下は地獄」というものがあります。これは、「船乗りの仕事は危険と隣り合わせだ」ということのたとえですが、この感覚を人間は忘れてはいけないと思うのです。

 日本のエネルギー問題を考えてみたとき、私は再生可能エネルギーは進めていくべきだとは思っていますし、そこでの披術開発やイノベーションは起こるべきだとは思いますが、あたかもユートピア(理想的な状態)があって、そこへ行けば危険のない世界に暮らせる、ということはありえない、とも思っています。

 海だけではなく、私たちが生きているせ界はどこもが、「板子一枚下は地獄」です。安全で確実な世界など、どこにもないのです。「板子一枚下は地獄」に対する私の基本的な認識としては、「人間は生き延びるためであれば、何でもやらないといけない」です。安全でも確実でもないせ界で、何とか生き延びていく。それが人類の姿です。




3.11以後 (中公選書)
新版 巨匠たちの音、巨匠たちの姿 (1950年代・欧米コンサート風景)

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[2012/03/11 18:44] | おすすめの本 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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