ありのままの私
ありのまま



 他の創作活動でもそうなのだろうが、絵を描く人には、自分の描き方や同じモチーフに固執する人が多い。なぜこんなものばかり描いている?気分が悪くなる。組み合わせが不自然だ。殺風景で暗い。展覧会でそのように感じる絵に出会うことも、少なからずある。

個性がなければ注目されないし、褒められもしないが、奇をてらっているだけの変わり者だと思われるのもつらい。印象派周辺の画家を思い出すまでもなく、ヘタクソと天才は計りがたい。誰にも理解できないからといって、無能と決めつけるわけにもいかない。

 特に、幼児や小学生などに絵を教え教えていた頃は気を遣った。その作品展では、幼児からおじいさんまで家族総出で見に来てくれる。子供は正直だ。教え子から「ヘタだ」「変な顔」「エロい!」「ヘンタイ」という言葉を聞いたことがある。

 最近は、子供と接することが少なくなったら、そんな怖れを感じなくなった。それでも人目を全く気にしないわけにはいかない。大人だって面と向かって「なんでこんな汚いものを描くのか?」という素朴な疑問を口に出す人もいる。純真な人にちがいない。描いたものの、世に出していない絵はたくさんある。ブログくらい、好きにさせてくれ。



『異性 角田光代 穂村弘』より

  じつは三十代に突入した私が「だれもありのままの私の真価なんか気づいてくれるはずがない」と気づいたのは、恋愛によってではなく、己の小説によって、だった。

  書くという仕事をはじめて十年近くたったそのころ、好きなように好きなまま小説を書き、それで読み手がどんどん増えて、評価も自然に高まるなんてことは、ないと気づいたのだ。大勢の人に読んでもらうためには、大勢の人に読んでもらうように書かなければならない。評価を得たいのならば、評価されるように書かなくてはならない。なんの考えもなくただ書き散らして、それでたくさん本が売れたり、褒められたり、なんてことはあり得ないと、あるとき急に悟ったのである。

 これは同時に、「化粧もせず、産毛の処理もせず眉毛もつながったまま、寝起きで目やにがつき、寝癖もあり、起きたままのジャージ姿で、でも、このまんまの私を愛してくれる人があらわれるはず」なーんてことがあり得ない、と悟った瞬間でもあったのだった。小説はともかく、そう知ることで、恋愛というものがちょっと楽になった。

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[2016/07/25 17:58] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
つかんでいるその手を放す
この世の悩み

『この世の悩みがゼロになる 小林正観』より

 アフリカでチンパンジーやオランウータンを生け捕りにするときに、用いる罠があるのだそうです。どんな罠かというと、木のウロ(空洞になっているもの)や、あるいは土を固めてちょっとした小山をつくり、そこにちょうどチンパンジーやオランウータンが手を入れられるくらいの穴をあけておくのだそうです。そして、その中に彼らが好むバナナや木の実を入れておくというのです。
 
チンパンジーやオランウータンはそれを見つけると、中に手を突っ込みます。そしてむんずとそのバナナや木の実をつかみます。それで何が罠かということになるのですが、実は、その穴は、何もつかんでいないときにはただの穴なのですが、ものをつかんで拳を握ったときには、それを引っ張り出せない程度の大きさなのだそうです。

 ですから、手を放せば当然すぐに逃げることができるのですが、チンパンジーやオランウータンは、一度つかんだ獲物を決して手放そうとしません。そこで歯をむき出してキーキー言っているうちに、スボッと頭からまるごと生け端りにされてしまうというわけです。

 この罠の話をすると、ほとんどの人が明るくワッハッハと笑ってくれます。しかし、よく考えていくと、その笑顔が真顔になっていきます。チンパンジーやオランウータンの話とは思えなくなってくるのです。もしかしたら、私たち自身がチンパンジーやオランウータンではないのでしょうか。

 私たちは、縛られているわけではなく、捕らわれているわけでもないのに、実は自らが何かをつかんで放そうとしていない、それがゆえにまるで捕らわれているように思えるのではないかということです。放しさえすればよいのです。放せば私たちは自由になれる、その執着から放たれることができるのです。

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[2016/07/16 17:30] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ヨーコさんの“言葉”
 一ヶ月くらい前気づいたのだが、Eテレ「日曜美術館」の前にやっている5分のアニメというか絵本のような、ほのぼのとした番組が気になる。「日曜美術館」は、もう記憶にないぐらいずっと前から見ている。そのためにテレビをつけると、ちょっとだけ前の番組が映っている。そのちょっとが、見るたび気になっていたが、きちんと意識してはいなかった。



ヨーコさんの


いつもよりちょっと早めにテレビをつけると、
見る気もない番組からいきなり、こんなことばが出てきた。
「あと2年の命とわかったら、持病のウツ病が収まった。
死ぬとわかるのは、自由を獲得するのと同じ。」

驚いて次の週はしっかり見てみた。

第34話「2008年冬」

「私の乳ガンは骨に再発した。
あと二年と云(い)われたら十数年私を苦しめたウツ病がほとんど消えた。
人間は神秘だ。
人生が急に充実して来た。
毎日がとても楽しくて仕方ない。
死ぬとわかるのは、自由の獲得と同じだと思う。
命は地球より重いと信じない。命を惜しみたくない。
でも思う。私は死ぬのは平気だけど、親しい好きな友達には絶対死んで欲しくない。
死の意味は自分の死ではなく他人の死なのだ」


第35話「ラブ・イズ・ザ・ベスト」

「私どうして幸せかおわかりになる?
本当に愛した人の子供を産んで育てたことよ。
それがあるから、もう何もいらないのよ。
他のものはあっても邪魔なものばかりよ」


その後、再放送も欠かさず見ている。

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[2016/07/13 18:08] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
プラトニックエロス・再
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☆ 

 もし美そのものを見ることが出来たなら、今までわれわれの見ていたものは影なので、真実の徳を生み出すことが起こりうる。

 それがエロスで、そういうことです。
日本放送協会のある番組で、エロスが語られていました。簡単にいうと伝わらないが、詳しく言えないので、それなりに。

 それからプラトンの「饗宴」を読んでみました。
 対話編なのですが、解説によると、今では考えられない状況での飲み会でのことです。寝椅子に横になって、飲み食いしながら討論するのです。年配の男性が、年下の美少年をぴったり侍らせながらごろ寝している(こともあります)。後から来た人が、ソクラテスと主催者の間に座らせてくれとゴネたりします。隣に座るというのは、添い寝をするのに近い状態です。

 そんな状態で、順番にエロスについて思うところを表明する。その中で、比較的面白いのは、元々人間は現在の人間が、二人くっついた状態の生き物だったというお話。男男、女女、男女(おめ)の三種類ある。いろいろ事情があって、神は人間をまっぷたつに切ってしまう。その元の片割れを求めてさまようようになったのが恋で、それを司るのがエロスなのだ。

 ここのところ、「海辺のカフカ」にも引用されていて驚いた。村上さんは、もちろん、エロスを見ているのでしょう。洞窟とか井戸の中で。この小説も、残念ながら美人が出てこない。

 それで、「饗宴」を最後まで読んで、本文以上の分量がある解説を読んでも、放映の中にあった重要な部分が出てこない。なぜだろう、なぜかしら。もう一度見返したら、私たちのエロスとの関係も、イデアとの関係と同じということで、プラトンの『国家』からの内容であった。別の本なのだ。

★      ★

プラトン『国家』〈洞窟の比喩〉。私たちの世界とイデアとの関係。
 
 私たち人間は生まれたときから、どこかの深く暗い洞窟の中に住んでいる。
その体は手足首が縛られており、洞窟の奥の壁を向かされている。
人間達の背後には塀があり、その奥にある松明の明かりが、塀の上で動かされる人形の影を洞窟の壁に映し出している。人間達は自分が見ているものが影だとは、全く気づかない。本物だと信じ込みその動きをあれこれ考えながら生きている。

 あるときそのうちの一人が拘束を解かれる。彼は後ろを向き、強い光と、塀の上で動く人形を見る。彼は今まで見てきた影が現実だと思いこんでいるので、事態がなかなか飲み込めない。しかし次に彼は洞窟の入り口へと連れて行かれる。そして彼は外の世界を目の当たりにする。最初はあまりの明るさにものを見ることが出来ない。しかし彼は自然の姿をはっきり目にする。そして太陽が世界を成り立たせていることを理解する。

 彼は洞窟に再び降りていく。そして洞窟の人たちが見ているのは影に過ぎないことを知る。しかし洞窟につながれた人たちは、かれが説明する世界の真実を全く信じようとしない。逆に男を危険視して殺してしまうかもしれない。

★      ★

 番組では、伊集院がつっこむ「テレビ業界?、出版業界?」言っていいのか。

先生は「いや、この現実だと思っている世界全体のことです」
江川達也「イデアに立ち返って、システムを変えていかなければいけない」
「いちおう影絵の世界でおとなしく見ているように演じています」
伊集院「死刑にならないように」
江川達也「本当はイデアの方に行ってほしい」
「でも作品の中のイデアを増やすと人気がなくなる」

わたしたちはプラトンを目指そう。ソクラテスにならないように。

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[2016/06/30 19:54] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
いいかげんのすすめ
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 えっと、「おすすめの本」カテゴリーがあまりに増えすぎて、
過去のものが見にくくなってきたので、「おすすめの本2」にします。


 展覧会も終わったので、ボケッとした生活をしていました。
ちょっと気合いを入れようかとも考えたのだが、考えただけで、やめました。
取り返しのつくことなんかないのです。
今年は、暑そうですから。
9月頃までは、力を抜いてやりすごしましょう。

自衛隊海外派兵反対、終身雇用を遵守し、
子どもの多い平和な家庭を築いていただきたい。
食糧自給率を上げて、ふたたびめざせ、経済大国!
みんな、がんばれ! 
そんなことを考えている。

ひろさちやの
「でたらめ・あきらめ・いい加減 仏教に学ぶ幸せな生き方」の
目次を見ただけで面白かったので取り上げます。



世の中の役に立つ人間にならなくていいのですよ。

まず世間を馬鹿にすることからはじめましょう。
けれどもあからさまに世間を馬鹿にしてはいけません。

道徳なんて、馬鹿にした方がいいのです。

人間は、自分が所有するもので満足できないと、餓鬼になります。

「働きたくない」という欲望が、いちばん人間らしい欲望です。

働くのが好きであれば、だらだらと働くようにすべきです。

欲望を充足させると幸福になれるというのは、悪魔の思想です。

人生は「無意味」だとしっかり認識しておこう。

お金にしても、病気にしても、仏さまからの預かりものです。

仏さまはデタラメです。そして人生は「空」なんです。

思うがままにならないことは、思うがままになりません。

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[2016/06/21 20:16] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
鮮やかに痛い。
暮らしの哲学16



 数年前に、中学校時代の同級生数人と都内で会いました。30年以上たっていることよりも、記憶にある姿は子供なのだから、りっぱな初老のおじさん、おばさんを見てもピンと来ません。しかも田舎ではなくて東京です。何十年も未来の自分は他人と同じ、と書きましたが、同級生はもっと他人です。過去の自分が他人とは、言い切れませんが。

 それでもしゃべっているうちに、中学生時代の自分を思い出し、ついでに高校、大学時代の記憶がいもづる式に甦ってきました。あの頃は、30年なんて時間が過ぎることなど想像もつきませんでした。ど根性ガエルの町田先生でも「教師生活25年、こんな経験したことがない」と嘆くのです。いま、自分がこんな生活をしているのは、ほんとうに不思議です。


 久しぶりに『暮らしの哲学 池田晶子』より。


 ないもの、あるいはまだ持っていないもの、そして失くしつつあるものを「欲しい」と思うところに、われわれの不幸は発生するようです。「欲しい」心が、不幸な心であるようです。お金が欲しい、ものが欲しいで生きてきて、何とかそれらを手に入れた、次に欲しくなるのは、いま失いつつあるこの若さです。いつまでも心が見たされず、幸福になれないのは道理です。

 世間のほとんどの人は、こういう当たり前のこと、当たり前すぎることについて、考えるということを滅多にしていない。どころか、そういう事柄が存在しているということにすら気がついていないのだということに、世間で生きるにつれて気がつくことになる。私が自分は本当に変わっているのだと認識したのは、実はそんなに遠いことではありません。はたち過ぎればタダの人、と世間では言われます。しかし私は、はたちを過ぎて、いよいよ自分がタダの人ではなくなってゆくのを感じた。


 私が年をとることを、おいしい、面白いと感じるのは、自分の心がいよいよ深く豊かになってゆくのをはっきりと自覚するからです。ああ、こんな感覚、こんな考えは、若い頃には知らなかった。こんなにも深く、あの考えが成長した、こういう内なる成熟を、日々観察し味わいつつ暮らすことである老いるということは、私にとって非常な喜びでありまして、神はわれわれの晩年にかくも素晴らしいご褒美を用意してくれていたのか、そういう感謝めいた気持ちにすらなるものです。

 今年もまた桜が咲きました。
 当たり前のことのようだけれども、この当たり前のことが、年々歳々、深く感じられるようになるのは、どういうわけなのでしょうね。
この感じ、この感慨とは、何なのか。

要するに、生と死、すなわち他でもない「人生」というものに、深いところで触れてくるのですね、この「桜」、もしくは「春」というこの季節は。
 「春は残酷な季節だ」、今なら、この作者が感じているそのことが、はっきりわかりますね。「始まりは痛みである」、ああこのことだったのかと、まさしく痛いしかたで理解しますね。つまり、このことを理解するために、私にはこれだけの歳月、これだけの人生を重ねる必要があったのだということです。

 つまり「生命」なんですね。われわれがこの若葉の頃、薫る風を受けて、そのことだけで心浮き立つというこのことは。こんな他愛ないことを理解するまでに、やっぱりずいぶん年期がかかったなあという感じがします。初夏の風が気持ちいいなんて、馬鹿みたいに当たり前のことで、それがどうしてなのかという問いは、若年の頃には立ちませんでしたね。

 失くしたものがある。亡くなった人もいる。過ぎ去って還らないもの、失われて戻らないもの、その不在の感覚が、けれども春になると変わらずに咲く桜の花に、その満開に、鮮やかに痛いのでしょうね。
 

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[2016/06/09 17:37] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
365日の散歩
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 毎日の、散歩の途中でこう考えた。

 先日、なにげなくテレビを見ていたら、岩崎宏美のスタジオライブみたいなのをやっていた。聴衆のリクエストにこたえて、「タッチ」などの他に、NHK朝ドラの曲を歌ったのだ。

 朝ドラといえば、朝、天気予報を見ているので、その後に朝ドラの音楽がかかると、チャンネルを変える。だから音楽の最初の部分しか聴いていないぐらいの、ほとんど興味のない世界だ。

「朝ドラ50years-NHK『連続テレビ小説』放送開始50周年テーマ音楽集」1961から2012年のCD3枚組を借りてきた。ごく最近の、ちゃんとみてないので正式なタイトルは知らないが、「あまちゃん」とかは入っていない。

 だいたい100曲ぐらい入っているが、知っている曲はユーミンの「春よ来い!」、小田和正の「ダイジョウブ」、いきものがかり(っていうのかな?)「ありがとう」の3曲しかない。どっちかっていうと、NHKスペシャルのテーマ曲の方がたくさん知っているし、名曲が多いような気がする。

 ところが最近の曲は何となく覚えているぞ。ドラマは見ていなくても、「マッサン」とか「あまちゃん」の曲はすぐに思い浮かぶ。中島みゆきの「麦の歌」は、なんだか朝に全然合わないと思いながら、チャンネルを変えていたが、単独で曲を聴くと、いい曲だと思うし、案外歌いやすい?。

 それで、この間までやっていた「あさが来た」だ。あいかわらずドラマには興味がないが、ふむふむ、なかなかいい曲だと思っていた。それで最初の話にもどり、岩崎宏美が歌ったら、やっぱり名曲だと思った。それでこの時、歌っているのがAKBだと知った。(なにをいまさら)

 山本彩が、弾き語りで歌ってるのが、また、さらにいい。(「麦の歌」もそんなのをみつけた)アカペラに近い、シンプル伴奏のスローテンポがここちよい。

 今年の年始は、ジッタリン・ジンとブルーハーツ、シーナ・アンド・ロケッツなど、にのめり込んでいたが、そういうわけで今は「麦の歌」と「365日の紙飛行機」を口ずさみながら歩いている。(うー、不審だ)

 思い通りにならない日は、散歩しよう。365日。

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[2016/05/10 18:07] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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