まだ見ぬ書き手へ 1
 丸山健二という小説家の作品では、小説は芥川賞受賞しか読んでいないが、エッセイはずいぶん親しんで読んだ。たしか「GORO」という雑誌に連載されていた『メッセージ 告白的青春論』角川書店 1980を、だから30年ぐらい前に、感心してよく読んだものだ。

 1966年、「夏の流れ」が第23回文学界新人賞受賞。
翌年、同作が第56回芥川賞受賞(23歳での受賞は当時最年少)

 その後、図書館で『まだ見ぬ書き手へ』朝日新聞社 1994を借りて読む。だから20年ぐらい前のこと。小説家を目指す若者にあてて書いた、これぞ小説家の生きる道、といった内容の本です。

 この中で、小説は7回、一から書き直せ。それで満足のいくものが3作できてから新人賞に応募せよと言っています。村上春樹も言っているように、なんども書き直すのです。書き直すことから学ぶものが多いようです。

 しかし文学では、書き直しというのはこれぐらいなのでしょうか。毎回、全然違った主題を見つけてこなければいけないものでしょうか。「四季」で有名なヴィヴァルディなんかは、ヴァイオリン協奏曲を何百曲も作曲しましたが、同じ曲を何百回も作曲し直しただけだなんて言われることもあります。

 モネの連作を例に出すまでもなく、画家にとっては同じモチーフを何度も描くのは当然のことです。絵を見るのも、何度も見るのが当然です。読書というのも、同じ本を何度も読むのを読書というのであって、一回や二回読んだぐらいでは、読んだことになりません。


 丸山健二『まだ見ぬ書き手へ』から、1994年に書き写した文章より。


 問題になるのは、才能の有無です。いかなる世界で生きるにせよ、そこで成功するには何をおいても才能が絶対不可欠であり、さらにその才能の質が問題となってきます。

 才能とは、普通の人よりも何か特別な力を持ち合わせているということではありません。むしろその反対で、普通の人が持っている能力を一つか二つ持っていないことなのです。

 本当に執筆に当てる時間は、あなたや愚かなプロの書き手が思っているほど長くありません。一日にせいぜい2,3時間が限度です。それ以上書いて書けないことはないのですが、書いてもただ書いただけという程度でしかないような代物になるだけなのです。

 嫌気がさしても、気分が乗らなくても、ほかに面白そうなことがあっても、体調が少々悪くても、一日に二時間きちんと書き、そして完成させるのです。何が何でも完成させてみせるという気持ちを持つことが第一で、その作品の質をどうやって高めてゆくかはそれからの問題です。

 創作の喜びとは、きょうあす中にどうにかなるような、一年や二年の奮闘で手にはいるようなものではないのです。プロの世界では楽しんだり、面白がっているうちは仕事になっていないのです。それを仕事という形にさせるには、ストーリーづくりの楽しさが消えた後どこまで深く彫り込めるかにかかっているのです。

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[2016/11/30 14:28] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
知的生活の方法2
 だいぶ前に、一度取り上げたことがあると思う『知的生活の方法』であるが、その時と違うと思われるところを書いてみる。創作活動というものは、孤独と規則正しい生活を求められる。語り合うべき友と、十分つきあうのは難しい。


『知的生活の方法 渡辺昇一』正編・続編より

 何歳になっても、知的生産の中心は、孤独で考えたり瞑想したりする時間、孤独で本を読む時間、孤独で作業する時間である。一日何時間か、全く孤独でいても心楽しいという気質ができていないと、知的生活は成り立ちにくい。

 詩人が詩を作り、画家が絵を描き、作家が文章を書くときは、全く孤独な時間の連続である。中断があって些事に注意を向けなければならないことは、しばしば他人の目には何でもないことのようでありながら、当人には致命的なことが多い。知的生活は、本質的に孤独であるが故に、語り合うべき友を求める生活でもあるのだ。

 「作品」と名の付くものは、その大部分は機械的な作業であることを悟らない人は、知的生産には無縁にとどまるであろう。インスピレーションが出てきたときだけ書くというのでは、俳句ならいざ知らず、長編小説は書けない。

 寡作の人がよい作品を書くわけではなく、たくさん書くとうまくなるのだ。機械的なやり方であったために、多作の彼がシーズン中には週三回狩りに出かける暇があり、毎日トランプし、社交も大いに楽しむことができたのだ。優れた長編小説家は必ず多作であり、多作の人は必ず機械的に書いているのだ。

 せいいっぱいの勤労をしていると、心はかえってのどかで余裕があるというのだ。外見的には機械的に動いているとき、かえって心は自由になり次から次へとアイデアやら構想が浮かび、洞察が深まってゆくというのが常である。

 つまり構想が構想である内は論文でも何でもないこと。一応の構想やら書いてみたいことが浮かんだら、書き始めてみなければ何もわからないということ。書き出す前の構想などは、実際は一枚目を書いたとたんに飛び散ってしまうことだってあること。

 まずなによりも肝心なのは、思い切ってやり始めることである。仕事の机に座って、心を仕事に向けるという決心が、結局一番むづかしいことなのだ。事をのばさないこと。体の調子や、気の向かないことなどをすぐ口実にしたりせず、毎日一定の適当な時間を仕事に捧げること。

 一度、この、仕事に没頭するというほんとうの勤勉を知れば、人の精神は、働き続けてやまないものである。

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[2016/11/10 20:16] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
嫌われる勇気 岸見一郎

 アルフレッド・アドラーの心理学については、堀江貴文の本と一緒に二ヶ月前に取り上げました。しかし今頃になって岸見一郎著の本を二冊読みました。

 まず続編になる『幸福になる勇気』の方から。プラトンの著作を意識した対話形式なので、酷く読みにくいです。分からず屋で我の強い学生が、いちいち反論して、話がなかなか先に進みません。しかし最後の「結婚について」は、今まで聴いたことのない目の覚めるような見解です。

 みんな自分にふさわしい相手がいないと思い、婚期が遅れているが、自分にあった仕事を探すのと同じで、そんな理想の相手などいないのだ。はっきり言えば、結婚の相手など誰でもいいのである。自分の継続した愛の力で、責任を持って結婚生活を続ける事こそが肝要である。そんなふうに受け取ったが、全部読んでいるとわかりにくい。

 ところが最初に出た方の、つまり大ヒットした方の『嫌われる勇気』を読んでみると、もっとダイジェスト的でわかりやすいものでした。


 それで、どうしてあなたが他者を「敵」だとみなし、「仲間」だと思えないのか。それは、勇気をくじかれたあなたが「人生のタスク」から逃げているせいです。

 まず、行動面の目標は「自立すること」と「社会と調和して暮らせること」の2つ。そしてこの行動を支える心理面の目標が「私には能力がある」という意識、それから「人々は私の仲間である」という意識です。

 自らの人生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」それだけです。その選択について他者がどのような評価を下すのか、これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。

 あなたが誰かに嫌われているということ。それはあなたが自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従って生きていることのしるしなのです。

 しかし「わたし」は、世界の中心に君臨しているのではない。「わたし」は人生の主人公でありながら、あくまでも共同体の一員であり、全体の一部なのです。「この人は私に何を与えてくれるか?」ではなく、「私はこの人に何を与えられるか?」を考えなければならない。


以下、再度見直した、アドラーの言葉の要点です。

すべての悩みは、対人関係の悩みである。
人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。
人は今この瞬間から変われるし、幸福になることができる。
問題は能力ではなく、勇気なのだ。
相手を支配するために、怒りという感情を創り出し利用したのだ。
健全な人は、相手を変えようとせず自分が変わる。
大切なことは共感すること。
どうしたらみんなを喜ばすことが出来るかを、 毎日考えるようにしなさい。
自分だけでなく、仲間の利益を大切にすること。
受け取るよりも多く、相手に与えること。
幸福になる唯一の道である。

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[2016/10/27 12:40] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ギリシア人の物語 まだ1巻

 全15巻に及ぶ『ローマ人の物語』の、冒頭部分にちょっとだけ触れられていたギリシア部分を、3巻にまとめようという本の、まだ一冊目です。厚くて文字も小さい本ですが、おもしろくて二日とかからずに読んでしまいました。

 『ローマ人』後に『ローマ帝国後の地中海世界』2巻、『十字軍物語』4巻がありました。それ以前に中世イタリア、特にヴェネチアについての著作もたくさんあります。それなのにギリシアについては書かないのか、という疑問はありました。

 ギリシアといっても、当然ですが、アテネとテミストクレスが中心です。その次がスパルタ。2万のペルシャ軍に対した、レオニダス率いる300人のスパルタ重装歩兵の玉砕などの、なんとなく知っている歴史的エピソード満載。テミストクレスがサラミスの海戦でギリシアのポリスをまとめ導き、勝利する。強大なペルシャに対抗するためとはいえ、それまで領土争いの戦争を繰り広げていた、極めて仲の悪いギリシアのポリスが、理性的に一致団結するところは感動的だ。

 なにしろギリシアの最盛期ペリクレス以前を一冊で取り上げているので、『ローマ人』の詳細な記述に比べれば、総集編みたいに話の展開が早い。もっと長くして欲しいぐらいです。

 半分は、テミストクレスのお話です。ペリクレス以前の大政治家。ローマでいうと、ユリウス・カエサル以前の、ルキウス・コルネリウス・スッラにあたるような偉人です。しかし、恐ろしいことに、このペルシャ戦役の英雄が、二人とも不幸な仕打ちを受けることになる。アテネのテミストクレスは国を追われペルシャに逃れる。スパルタのパウサニアスは、スパルタの国是に反するとして殺された。目立った才能を酷く嫌う民主制なのだ。

 20万人以上の、ギリシアに10倍する世界最大動員兵力を持ってきて、2世代にわたって大ペルシャ帝国が敗れる。なんだペルシャでも負けるんだと分かったとたん、各地で反乱が頻発し、ペルシャは弱体化する。アメリカ合衆国帝国をもってしても、キューバもベトナムも、北朝鮮も思うように出来ないのだ。


 このような歴史書では、司馬遼太郎であろうと、トルストイであろうと、物語の合間に作者が顔を出して、教訓的意見を述べます。『ローマ人の物語』では、そういうところがたくさんありましたが、こんどはほとんどありません。読者に気づかれないよう、物語にとけ込ませているのかもしれません。以下はその珍しい、教訓っぽいところ。

 正論を言うのなら、初めからそうしていれば良いものを、と思ってしまうが、人間世界はそう単純には出来ていない。人間とは、なにもスパルタ人に限らなくても、既成事実のない段階で正論を聴かされても、必ずどこか文句をつける箇所を見つけるものである。それが、既成事実を前にして正論を説かれると、本心からは納得しなくても、まあそれでよしとしようという、対応が穏やかに変わる場合が多い。

 人間とは、偉大なことでもやれる一方で、どうしようもない愚かなこともやってしまう生き物なのである。このやっかいな生き物である人間を、理性に目覚めさせようとして生まれたのが「哲学」だ。反対に、人間の賢さも愚かさもひっくるめて、そのすべてを書いていくのが「歴史」である。

 『ローマ人』の時も、途中の段階で、作者の命が、物語の最後まで持つのかという心配がされましたが、今回は3巻。問題ないでしょう。いや、もっと長く続けてほしいものだ。





[2016/09/29 19:34] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
青が散る 宮本輝


 久しぶりに上下2巻にもわたる長編小説を読んだ。「青が散る」 出来たばかりの新設大学のテニス部の話だ。ひょんなことから(今時めったに使わない表現)学園のアイドル的な美少女と知り合いになったが、つきあいが深まることもなく大人になっていく。

 ありきたりな青春小説ともとれるし、熱血根性部活の部分は共感できないし、わりと簡単に少女と仲良しになるところなど素直にのめりこめない。それでも読み終わると、美人と付き合えるのは別にしても、若い頃ってこうだったよなと思い出すことは多い。

 この手の青春小説は、有名なものもそうでもない作品も、特に取り柄のない男の子が、特別な美少女と仲良くなる話が多い。のび太くんとしずかちゃんだ。女性の作家が書くと話は逆になるのかもしれないが、読んだことがあるのは作者が男性の話ばかりだ。

 名画の場合だと、美人や英雄を描いた絵ばかりではなくて、真実の人間の姿を描いた、要するに美しくないと思われる絵もたくさんある。だからといってこの青春小説のような話を、バカバカしいと思うかというと、そうでもない。やはり美人と付き合うのは気持ちがいい。作家の想像力だけの産物とも思えない。そこそこ現実にあり得るのだと思っている。

 私の場合、高校時代に手の届かないような、好きな女の子がいたのであるが、ひょんなことからその女の子のお姉さんと仲良くなった。東京で下宿していたおねえさんの所へ、夏休みに遊びに行くようになり、その後、3人で映画を見たりするようになった。その元好きな女の子と、大学受験も一緒に行き、おべんとうも一緒に食べた。しかし結局、つきあいが深まることなく会わなくなった。

 そういうことを思い出す。その時に何らかの決断をした。しかしその時から、何十年か経っているのに、なにも解決していない。ずっと大人にならないのだろうか。

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[2016/09/12 20:06] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
自分の課題
あたえる


すべての悩みは対人関係の課題である。
人生が困難なのではない。あなたが人生を困難にしているのだ。
人生はきわめてシンプルである。
苦しみから抜け出す方法はたった1つ。
他の人を喜ばせることだ。
「自分に何ができるか」を考え、それを実行すればよい。
自分だけでなく、仲間の利益を大切にすること。
あなたが始めるべきだ。
他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。
受け取るよりも多く、相手に与えること。
幸福になる唯一の道である。


 数ヶ月前、NHKの「100分で名著」でとりあげられた
アルフレッド・アドラーの心理学です。

 本屋で見る限り『嫌われる勇気  岸見 一郎, 古賀 史健(著)』から急に有名になったような気がします。この本は、何となく買う気がしないので、目次だけ見ていました。
気になったところは、『「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない』です。

 暑い日に、何か一冊本が欲しくて、選ぶ時間もなく買ってしまいました。
『本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方 堀江 貴文』 です。
【オリコン2016年上半期“本"ランキング、「新書部門」1位! 】なんて書いてあるので、普段だったら絶対に買いません。(いいわけが多い)

 中身を見ると、アドラーと同じような言葉が目についた。
自分の課題と、人の課題は違う。
人があなたのことをどう思うかは
相手の問題なのだから、放っておく。
 (ちゃんと、上記アドラーの本に書いてあることを明記してある)
その後の方に、ホリエモンらしからぬことが書いてあった。


やる気があれば、お金は関係ない。
「やり方」なんて、そもそもない。
まず貯めるべきはお金ではなく信用だ。
お金は、信用という複雑な存在を、単純な数値に落とし込んだツールである。
人から何か頼まれたら、信用に応えるように尽くす。
与えられた以上の価値を、必ず相手に与える。


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[2016/08/15 18:14] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(2) | page top
ありのままの私
ありのまま



 他の創作活動でもそうなのだろうが、絵を描く人には、自分の描き方や同じモチーフに固執する人が多い。なぜこんなものばかり描いている?気分が悪くなる。組み合わせが不自然だ。殺風景で暗い。展覧会でそのように感じる絵に出会うことも、少なからずある。

個性がなければ注目されないし、褒められもしないが、奇をてらっているだけの変わり者だと思われるのもつらい。印象派周辺の画家を思い出すまでもなく、ヘタクソと天才は計りがたい。誰にも理解できないからといって、無能と決めつけるわけにもいかない。

 特に、幼児や小学生などに絵を教え教えていた頃は気を遣った。その作品展では、幼児からおじいさんまで家族総出で見に来てくれる。子供は正直だ。教え子から「ヘタだ」「変な顔」「エロい!」「ヘンタイ」という言葉を聞いたことがある。

 最近は、子供と接することが少なくなったら、そんな怖れを感じなくなった。それでも人目を全く気にしないわけにはいかない。大人だって面と向かって「なんでこんな汚いものを描くのか?」という素朴な疑問を口に出す人もいる。純真な人にちがいない。描いたものの、世に出していない絵はたくさんある。ブログくらい、好きにさせてくれ。



『異性 角田光代 穂村弘』より

  じつは三十代に突入した私が「だれもありのままの私の真価なんか気づいてくれるはずがない」と気づいたのは、恋愛によってではなく、己の小説によって、だった。

  書くという仕事をはじめて十年近くたったそのころ、好きなように好きなまま小説を書き、それで読み手がどんどん増えて、評価も自然に高まるなんてことは、ないと気づいたのだ。大勢の人に読んでもらうためには、大勢の人に読んでもらうように書かなければならない。評価を得たいのならば、評価されるように書かなくてはならない。なんの考えもなくただ書き散らして、それでたくさん本が売れたり、褒められたり、なんてことはあり得ないと、あるとき急に悟ったのである。

 これは同時に、「化粧もせず、産毛の処理もせず眉毛もつながったまま、寝起きで目やにがつき、寝癖もあり、起きたままのジャージ姿で、でも、このまんまの私を愛してくれる人があらわれるはず」なーんてことがあり得ない、と悟った瞬間でもあったのだった。小説はともかく、そう知ることで、恋愛というものがちょっと楽になった。

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[2016/07/25 17:58] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
つかんでいるその手を放す
この世の悩み

『この世の悩みがゼロになる 小林正観』より

 アフリカでチンパンジーやオランウータンを生け捕りにするときに、用いる罠があるのだそうです。どんな罠かというと、木のウロ(空洞になっているもの)や、あるいは土を固めてちょっとした小山をつくり、そこにちょうどチンパンジーやオランウータンが手を入れられるくらいの穴をあけておくのだそうです。そして、その中に彼らが好むバナナや木の実を入れておくというのです。
 
チンパンジーやオランウータンはそれを見つけると、中に手を突っ込みます。そしてむんずとそのバナナや木の実をつかみます。それで何が罠かということになるのですが、実は、その穴は、何もつかんでいないときにはただの穴なのですが、ものをつかんで拳を握ったときには、それを引っ張り出せない程度の大きさなのだそうです。

 ですから、手を放せば当然すぐに逃げることができるのですが、チンパンジーやオランウータンは、一度つかんだ獲物を決して手放そうとしません。そこで歯をむき出してキーキー言っているうちに、スボッと頭からまるごと生け端りにされてしまうというわけです。

 この罠の話をすると、ほとんどの人が明るくワッハッハと笑ってくれます。しかし、よく考えていくと、その笑顔が真顔になっていきます。チンパンジーやオランウータンの話とは思えなくなってくるのです。もしかしたら、私たち自身がチンパンジーやオランウータンではないのでしょうか。

 私たちは、縛られているわけではなく、捕らわれているわけでもないのに、実は自らが何かをつかんで放そうとしていない、それがゆえにまるで捕らわれているように思えるのではないかということです。放しさえすればよいのです。放せば私たちは自由になれる、その執着から放たれることができるのです。

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[2016/07/16 17:30] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
ヨーコさんの“言葉”
 一ヶ月くらい前気づいたのだが、Eテレ「日曜美術館」の前にやっている5分のアニメというか絵本のような、ほのぼのとした番組が気になる。「日曜美術館」は、もう記憶にないぐらいずっと前から見ている。そのためにテレビをつけると、ちょっとだけ前の番組が映っている。そのちょっとが、見るたび気になっていたが、きちんと意識してはいなかった。



ヨーコさんの


いつもよりちょっと早めにテレビをつけると、
見る気もない番組からいきなり、こんなことばが出てきた。
「あと2年の命とわかったら、持病のウツ病が収まった。
死ぬとわかるのは、自由を獲得するのと同じ。」

驚いて次の週はしっかり見てみた。

第34話「2008年冬」

「私の乳ガンは骨に再発した。
あと二年と云(い)われたら十数年私を苦しめたウツ病がほとんど消えた。
人間は神秘だ。
人生が急に充実して来た。
毎日がとても楽しくて仕方ない。
死ぬとわかるのは、自由の獲得と同じだと思う。
命は地球より重いと信じない。命を惜しみたくない。
でも思う。私は死ぬのは平気だけど、親しい好きな友達には絶対死んで欲しくない。
死の意味は自分の死ではなく他人の死なのだ」


第35話「ラブ・イズ・ザ・ベスト」

「私どうして幸せかおわかりになる?
本当に愛した人の子供を産んで育てたことよ。
それがあるから、もう何もいらないのよ。
他のものはあっても邪魔なものばかりよ」


その後、再放送も欠かさず見ている。

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[2016/07/13 18:08] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
プラトニックエロス・再
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☆ 

 もし美そのものを見ることが出来たなら、今までわれわれの見ていたものは影なので、真実の徳を生み出すことが起こりうる。

 それがエロスで、そういうことです。
日本放送協会のある番組で、エロスが語られていました。簡単にいうと伝わらないが、詳しく言えないので、それなりに。

 それからプラトンの「饗宴」を読んでみました。
 対話編なのですが、解説によると、今では考えられない状況での飲み会でのことです。寝椅子に横になって、飲み食いしながら討論するのです。年配の男性が、年下の美少年をぴったり侍らせながらごろ寝している(こともあります)。後から来た人が、ソクラテスと主催者の間に座らせてくれとゴネたりします。隣に座るというのは、添い寝をするのに近い状態です。

 そんな状態で、順番にエロスについて思うところを表明する。その中で、比較的面白いのは、元々人間は現在の人間が、二人くっついた状態の生き物だったというお話。男男、女女、男女(おめ)の三種類ある。いろいろ事情があって、神は人間をまっぷたつに切ってしまう。その元の片割れを求めてさまようようになったのが恋で、それを司るのがエロスなのだ。

 ここのところ、「海辺のカフカ」にも引用されていて驚いた。村上さんは、もちろん、エロスを見ているのでしょう。洞窟とか井戸の中で。この小説も、残念ながら美人が出てこない。

 それで、「饗宴」を最後まで読んで、本文以上の分量がある解説を読んでも、放映の中にあった重要な部分が出てこない。なぜだろう、なぜかしら。もう一度見返したら、私たちのエロスとの関係も、イデアとの関係と同じということで、プラトンの『国家』からの内容であった。別の本なのだ。

★      ★

プラトン『国家』〈洞窟の比喩〉。私たちの世界とイデアとの関係。
 
 私たち人間は生まれたときから、どこかの深く暗い洞窟の中に住んでいる。
その体は手足首が縛られており、洞窟の奥の壁を向かされている。
人間達の背後には塀があり、その奥にある松明の明かりが、塀の上で動かされる人形の影を洞窟の壁に映し出している。人間達は自分が見ているものが影だとは、全く気づかない。本物だと信じ込みその動きをあれこれ考えながら生きている。

 あるときそのうちの一人が拘束を解かれる。彼は後ろを向き、強い光と、塀の上で動く人形を見る。彼は今まで見てきた影が現実だと思いこんでいるので、事態がなかなか飲み込めない。しかし次に彼は洞窟の入り口へと連れて行かれる。そして彼は外の世界を目の当たりにする。最初はあまりの明るさにものを見ることが出来ない。しかし彼は自然の姿をはっきり目にする。そして太陽が世界を成り立たせていることを理解する。

 彼は洞窟に再び降りていく。そして洞窟の人たちが見ているのは影に過ぎないことを知る。しかし洞窟につながれた人たちは、かれが説明する世界の真実を全く信じようとしない。逆に男を危険視して殺してしまうかもしれない。

★      ★

 番組では、伊集院がつっこむ「テレビ業界?、出版業界?」言っていいのか。

先生は「いや、この現実だと思っている世界全体のことです」
江川達也「イデアに立ち返って、システムを変えていかなければいけない」
「いちおう影絵の世界でおとなしく見ているように演じています」
伊集院「死刑にならないように」
江川達也「本当はイデアの方に行ってほしい」
「でも作品の中のイデアを増やすと人気がなくなる」

わたしたちはプラトンを目指そう。ソクラテスにならないように。

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[2016/06/30 19:54] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
いいかげんのすすめ
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 えっと、「おすすめの本」カテゴリーがあまりに増えすぎて、
過去のものが見にくくなってきたので、「おすすめの本2」にします。


 展覧会も終わったので、ボケッとした生活をしていました。
ちょっと気合いを入れようかとも考えたのだが、考えただけで、やめました。
取り返しのつくことなんかないのです。
今年は、暑そうですから。
9月頃までは、力を抜いてやりすごしましょう。

自衛隊海外派兵反対、終身雇用を遵守し、
子どもの多い平和な家庭を築いていただきたい。
食糧自給率を上げて、ふたたびめざせ、経済大国!
みんな、がんばれ! 
そんなことを考えている。

ひろさちやの
「でたらめ・あきらめ・いい加減 仏教に学ぶ幸せな生き方」の
目次を見ただけで面白かったので取り上げます。



世の中の役に立つ人間にならなくていいのですよ。

まず世間を馬鹿にすることからはじめましょう。
けれどもあからさまに世間を馬鹿にしてはいけません。

道徳なんて、馬鹿にした方がいいのです。

人間は、自分が所有するもので満足できないと、餓鬼になります。

「働きたくない」という欲望が、いちばん人間らしい欲望です。

働くのが好きであれば、だらだらと働くようにすべきです。

欲望を充足させると幸福になれるというのは、悪魔の思想です。

人生は「無意味」だとしっかり認識しておこう。

お金にしても、病気にしても、仏さまからの預かりものです。

仏さまはデタラメです。そして人生は「空」なんです。

思うがままにならないことは、思うがままになりません。

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[2016/06/21 20:16] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
鮮やかに痛い。
暮らしの哲学16



 数年前に、中学校時代の同級生数人と都内で会いました。30年以上たっていることよりも、記憶にある姿は子供なのだから、りっぱな初老のおじさん、おばさんを見てもピンと来ません。しかも田舎ではなくて東京です。何十年も未来の自分は他人と同じ、と書きましたが、同級生はもっと他人です。過去の自分が他人とは、言い切れませんが。

 それでもしゃべっているうちに、中学生時代の自分を思い出し、ついでに高校、大学時代の記憶がいもづる式に甦ってきました。あの頃は、30年なんて時間が過ぎることなど想像もつきませんでした。ど根性ガエルの町田先生でも「教師生活25年、こんな経験したことがない」と嘆くのです。いま、自分がこんな生活をしているのは、ほんとうに不思議です。


 久しぶりに『暮らしの哲学 池田晶子』より。


 ないもの、あるいはまだ持っていないもの、そして失くしつつあるものを「欲しい」と思うところに、われわれの不幸は発生するようです。「欲しい」心が、不幸な心であるようです。お金が欲しい、ものが欲しいで生きてきて、何とかそれらを手に入れた、次に欲しくなるのは、いま失いつつあるこの若さです。いつまでも心が見たされず、幸福になれないのは道理です。

 世間のほとんどの人は、こういう当たり前のこと、当たり前すぎることについて、考えるということを滅多にしていない。どころか、そういう事柄が存在しているということにすら気がついていないのだということに、世間で生きるにつれて気がつくことになる。私が自分は本当に変わっているのだと認識したのは、実はそんなに遠いことではありません。はたち過ぎればタダの人、と世間では言われます。しかし私は、はたちを過ぎて、いよいよ自分がタダの人ではなくなってゆくのを感じた。


 私が年をとることを、おいしい、面白いと感じるのは、自分の心がいよいよ深く豊かになってゆくのをはっきりと自覚するからです。ああ、こんな感覚、こんな考えは、若い頃には知らなかった。こんなにも深く、あの考えが成長した、こういう内なる成熟を、日々観察し味わいつつ暮らすことである老いるということは、私にとって非常な喜びでありまして、神はわれわれの晩年にかくも素晴らしいご褒美を用意してくれていたのか、そういう感謝めいた気持ちにすらなるものです。

 今年もまた桜が咲きました。
 当たり前のことのようだけれども、この当たり前のことが、年々歳々、深く感じられるようになるのは、どういうわけなのでしょうね。
この感じ、この感慨とは、何なのか。

要するに、生と死、すなわち他でもない「人生」というものに、深いところで触れてくるのですね、この「桜」、もしくは「春」というこの季節は。
 「春は残酷な季節だ」、今なら、この作者が感じているそのことが、はっきりわかりますね。「始まりは痛みである」、ああこのことだったのかと、まさしく痛いしかたで理解しますね。つまり、このことを理解するために、私にはこれだけの歳月、これだけの人生を重ねる必要があったのだということです。

 つまり「生命」なんですね。われわれがこの若葉の頃、薫る風を受けて、そのことだけで心浮き立つというこのことは。こんな他愛ないことを理解するまでに、やっぱりずいぶん年期がかかったなあという感じがします。初夏の風が気持ちいいなんて、馬鹿みたいに当たり前のことで、それがどうしてなのかという問いは、若年の頃には立ちませんでしたね。

 失くしたものがある。亡くなった人もいる。過ぎ去って還らないもの、失われて戻らないもの、その不在の感覚が、けれども春になると変わらずに咲く桜の花に、その満開に、鮮やかに痛いのでしょうね。
 

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[2016/06/09 17:37] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
365日の散歩
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 毎日の、散歩の途中でこう考えた。

 先日、なにげなくテレビを見ていたら、岩崎宏美のスタジオライブみたいなのをやっていた。聴衆のリクエストにこたえて、「タッチ」などの他に、NHK朝ドラの曲を歌ったのだ。

 朝ドラといえば、朝、天気予報を見ているので、その後に朝ドラの音楽がかかると、チャンネルを変える。だから音楽の最初の部分しか聴いていないぐらいの、ほとんど興味のない世界だ。

「朝ドラ50years-NHK『連続テレビ小説』放送開始50周年テーマ音楽集」1961から2012年のCD3枚組を借りてきた。ごく最近の、ちゃんとみてないので正式なタイトルは知らないが、「あまちゃん」とかは入っていない。

 だいたい100曲ぐらい入っているが、知っている曲はユーミンの「春よ来い!」、小田和正の「ダイジョウブ」、いきものがかり(っていうのかな?)「ありがとう」の3曲しかない。どっちかっていうと、NHKスペシャルのテーマ曲の方がたくさん知っているし、名曲が多いような気がする。

 ところが最近の曲は何となく覚えているぞ。ドラマは見ていなくても、「マッサン」とか「あまちゃん」の曲はすぐに思い浮かぶ。中島みゆきの「麦の歌」は、なんだか朝に全然合わないと思いながら、チャンネルを変えていたが、単独で曲を聴くと、いい曲だと思うし、案外歌いやすい?。

 それで、この間までやっていた「あさが来た」だ。あいかわらずドラマには興味がないが、ふむふむ、なかなかいい曲だと思っていた。それで最初の話にもどり、岩崎宏美が歌ったら、やっぱり名曲だと思った。それでこの時、歌っているのがAKBだと知った。(なにをいまさら)

 山本彩が、弾き語りで歌ってるのが、また、さらにいい。(「麦の歌」もそんなのをみつけた)アカペラに近い、シンプル伴奏のスローテンポがここちよい。

 今年の年始は、ジッタリン・ジンとブルーハーツ、シーナ・アンド・ロケッツなど、にのめり込んでいたが、そういうわけで今は「麦の歌」と「365日の紙飛行機」を口ずさみながら歩いている。(うー、不審だ)

 思い通りにならない日は、散歩しよう。365日。

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[2016/05/10 18:07] | おすすめの本 2 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top
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